【R#312】「見る」とは?〜身体が動くことで身につく

はじめに

東京・渋谷でロルフィング・セッションと脳科学から栄養・睡眠・マインドの脳活(脳科学活用)講座を提供している大塚英文です。

東京大学薬学部の池谷裕二教授の本は、同教授が助手だった頃から、よく読んでいる。新刊(2024年3月28日・発売)の「夢を叶えるために脳はある「私という現象」、高校生と脳を語り尽くす」が出版。今流行りの人工知能と脳と比較しながら、脳の働きについて迫った野心作で面白かった。

 

過去に、池谷氏は、高校生向けに3回講義を行っている。その内容は、「進化しすぎた脳」「単純な脳・複雑な私」という形にまとまっており、今回3冊目になるのだ。いずれも面白いので、ご興味のある方は、チェックいただきたい。

今回は、同書の中で、「見る」を学習するために必要な身体の動きについて、興味深いことが書かれていたので紹介。そして、後半は、ロルフィングにおける「観察力」の磨き方が、その考え方に似ているので、合わせてまとめさせていただいた。

見るとは何か?〜視覚障害者との比較から

人間は、何かものを考えるときに、過去の経験、記憶に縛られる傾向がある。池谷氏は、下記の道の写真を例に、その考え方を紹介している。

普通、目の見える人から見たら、道の真ん中、そこから遠くへ道が延びていると解釈する。しかし、この写真を視覚障害者が見たらどうなるのか?

視覚障害者の中で、開眼手術を受け、物が見えるようになると、なんと、彼らは「遠近」には見えず、初めて、真っ直ぐ延びる道路の真ん中に立って、「遠くの物が小さく見える」という事実に驚く。要は、平面の三角形と区別がつかないということだ。

見るとは何か?〜脳によって再編成された世界

実は、世界は3次元だけど、視覚の情報を処理する「網膜」は二次元。「網膜」に映った位置(上下)、高さ、低さ、遠近など色々な情報が集まってくる。これらを読み解かなければ、3次元の立体を感じることができない。目は、そういった精度の高い逆算を一気に行い、目が見える状態に再編成する。

つまり、網膜の情報から「立体的な見え」を逆算するというトレーニングを若い頃から、じっくりと行う。その経験があって、初めて視覚的な立体が成立。逆に言えば、逆算によって見える世界を、現実だと錯覚してしまい、認知にバイアスがかかってしまうのだ。

ここで、池谷氏は興味深い実験を紹介している。生後直後から、サルの頭部を固定して動かさない実験を行う。食事や水、ジュースも与えながら、育てていく。実際、身体に障害がなく育つが、サルは動いたことがない。大人になって、縛りを解いて部屋に放すとどうなるか?

なんと、サルは目が見えないのだ。網膜、視覚レンズ、神経活動など問題がないにも関わらずだ。結局は、身体を使った運動経験が「見え」を作るということなのだ。

見るとは何か?〜身体が「動く」経験によって身につく

例えば、ペン。顔に近づけると、大きく、遠ざかると小さく見える。同じペンなのに、網膜上に投影されると、距離によって大きさが変わる。実は、こういう複雑な視覚情報の解読は、手足を動かし、空間を移動したりといった「経験」がないとできないのだ。

結局、遠近感や立体感を実感するためには、空間を移動するという経験が必要。「見る」とは、自身の経験によって得た記憶によって決まるのだ。要するに、網膜から入ってきた情報と過去の記憶を頼りに、能動的に「読み解く」というプロセスを経て「見る」ことができる。「自分がどう移動したから見え方がどう変動するか?」の関連付けが重要になる。

もう一つ、興味深い実験がある。ネコのゴンドラ実験だ。垂直に立てられた支柱の上部から両サイドに向けて水平棒が出ていて、ネコがつながっている。一方は、床に足がついており、一方はカゴに乗せられている。

サルの実験と同じで幼少期から飼育されている点は同じで、床についているネコは自分の足で動くことができる。一方で、反対のネコは動けない。実験結果どうなるのか?カゴに乗ったままのネコは、目が見えるようにならなく、足で歩き回ったネコは普通に物が見えるのだ。

この実験から言えるのは、自分で動き回らない限り、「見る」ことができない。

なお、固定から解放されたサルは、最初は見えなくても、その後、自分で動くから後天的に見えるか?についてだか、ほぼ見えなくなるらしい。というのは、感受性期があり、発達の過程で、ある一定期間に視覚経験をしなければ、一生見えないのだ。

ロルフィングのトレーニングで重視される「観察」

ロルフィングの創始者、Ida Rolf博士が、手技を教える基礎トレーニングで重視したのが、観察力だった。

2014年8月から2015年3月の6ヶ月間(700時間近く)、ロルフィングの基礎トレーニングを受講するためミュンヘンに滞在した。

ロルフィングのトレーニングは、一言でいうと、「「観察力」を如何に磨くか?」だ。

実にトレーニングの半分は、「身体をどのように観察するのか?」に充てられる。

ロルフィングの創始者のIda Rolfが基礎トレーニングを教え始めた当初、カルキュラムを2つの段階にわけていた。Auditing(観察者(知覚する)の段階)とPractitioner(施術者(施術経験)の段階)だ。

Auditingは、どのように観察するのか?を教える段階。身体を観察するところに力点がおかれている。施術することを一切しない。実際に施術者を繰り返し、繰り返し観察する。

「ロルフィングに必要な観察力」「何を観察するのか?」を身につけるまでそれが続くのだ。このような手法をSaturation method(Saturation=情報が飽和する)と呼ぶ。

目が「観察できる目」になり「身体に対する見る目」を養うまで情報を与え続けることで見る目を身につける。
この方法は、現在のロルフィングのカルキュラムにも活きていて、他の施術者を観察することに多くの時間を割いているというロルフィングのトレーニングの特徴となっている。

「観察力」は繰り返し見ることで養われる

興味深いのは、ある日突然、身体が見えるようになることだ。
実際に、私もトレーニング期間中にいつの間にか無意識のうちに修得できていた。
必要な目はどのように身につくのか?1つ例を挙げてみたい。
Giraffe
上記の写真を見ると、単に様々な図形が並んだ絵にしか観察することができない。しかし、この中でキリンを見つけることができるか?といったらどうか。

図形に線が加えられていないにもかかわらず、キリンがぱっと浮かび上がってくることに気づく。何が変わったのかというと自分の中に適切な概念・意味(キリン)を持っていたために、キリンと観察することができたのだ。

ロルフィングにおいて、身体観察を知覚的にできるようになるというのは、このプロセスに似ている。練習会では、このプロセスを味わっていただくために、あえて教科書を手放して、セッションに臨んでいただくのだ。
結果として、予想外の見方を受け入れられるマインドが育つ。

まとめ

今回は、「見る」というのは、身体を動かすことによって身につくものであることを中心に紹介。その後、ロルフィングの基礎トレーニングで学んだ「観察」についてもまとめさせていただいた。

ロルフィングでは「見る」ことを「身体」と関連付けることで、姿勢を整えていくが、すでに持っている能力をどう気づかせるか?の視点で行なっている。

ご興味のある方、ぜひセッションにお越しください!

 

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka