はじめに
渋谷でロルフィング・セッションを提供している大塚英文です。

現在、東京・市ヶ谷で開催されている日本ロルフィング協会主催のアドバンスト・トレーニングに参加しており、Ray McCall氏と田畑浩良氏による講座の後半フェーズが始まった。昨日、その最初の4日間を終えたところである。
この4日間は、これまでの自分の学びと実践を深く見つめ直す契機となった。
その点に関してまとめてみたい。
テクニックを越えて──問い直される「知識」の使い方
これまで私は、NLP、CTIのコーチング、ソマティック・エクスペリエンス(SE)、分子栄養学にもとづく血液検査の読み解き、各種呼吸法、アシュタンガ・ヨガ、さらにはタロットカードの象徴的な言語解釈といった、さまざまな心理的・身体的アプローチを学んできた。
それらの技法は、対人支援において一定の成果をもたらしてきた。実際に、10年以上にわたって人に伝え、セッションとして提供してきた。
しかしながら、どれほど多くの知識と技術を積み重ねても、「うまくいく人」と「うまくいかない人」が、常に存在してしまうという現実がある。
知識がつくる“見えない壁”
その要因の一つは、施術者自身の“在り方”にあったのではないかと考えている。
知識と技術を習得するほど、「自分は知っている/相手は知らない」「自分が整えられる/相手は整えられるべき存在である」といった、上下のレンズが無意識に形成されてしまう。そして、この見方のままでは、たとえどれほど洗練された技術を使ったとしても、結果的に「治す/治される」という構図を強化してしまいかねない。
実は、支援者が治すにではなく、相手が治す気があるかどうか、マインドが決め手になるのだ。
本質は「在り方」──ニュートラルであるということ
今回のトレーニングで繰り返し強調されているのが、「Neutrality(中立性)」という概念である。
ニュートラルであるとは、変化を“起こそうとしない”ことである。変化は、クライアントの内部から自然に生まれてくるものであり、施術者が“作る”ものではない。施術者に求められるのは、変化が生まれる土壌を整え、それを信頼し、待つという姿勢である。
さらに重要なのは、そのプロセスに自らが巻き込まれないことである。期待や評価、過剰な共感や操作欲といった反応を脇に置き、ただその場にいること──それが「在り方」の中核である。
技術は「検証」のためにある
技術や知識を否定するつもりはない。むしろ筆者は、学んできたあらゆる手法の中でも、特に科学的に検証可能な視点や方法を重視してきた。というのも、私自身、博士課程を通じて、左脳的な検証方法を身につけてきたからだ。
重要なのは、それらを「操作の手段」として用いるのではなく、「観察と検証の道具」として用いることにある。どのような変化が起きているのか?身体のどこに、どんな反応が現れているのか?──その答えを丁寧に確かめるために、知識と手技は活かされる。
手放すこと、そして信頼すること
セッションの現場では、信頼関係を築いたうえで、いかに自分の学びを手放せるかが問われる。自分が「何かをしなければならない」という枠組みから離れ、変化を“待つ”という態度を貫けるかどうか──そこに、プラクティショナーとしての成熟が試される。
まとめ
ロルフィングのトレーニングは、単なる技術の研磨にとどまらず、自身の「在り方」を根底から問い直す場であると、あらためて実感している。これは、これまでの知識と経験を統合し、さらなる深みに至るためのプロセスである。
この先のトレーニングでも、自身の在り方に耳を澄ましながら、その旅路を丁寧に歩んでいきたい。