はじめに
こんにちは。渋谷でロルフィング・セッションと脳科学をベースにした講座を提供している大塚英文です。

人生には、思いがけない困難や、避けられない出来事が訪れることがあります。そのとき、私たちはつい「なぜこんなことが起きたのか」「どうして自分だけが」と考えてしまいがちです。けれども、現象学的な視点に立つと、そこに少し違った光が差し込みます。
出来事は「出来事」でしかない
現象学(phenomenology)では、「出来事(event)」そのものは中立的な存在であると考えます。それに「意味」や「価値」を与えるのは、私たちの“意識”や“解釈”です。つまり、出来事には本来「良い・悪い」といった評価はありません。
私たちがどのようにそれを“見るか”“意味づけるか”によって、世界の見え方は変わるのです。
同じ出来事でも、それを「終わり」と見るのか、「始まり」と見るのかで、人生の方向は大きく変わっていきます。
「あるがまま」を受け入れることの強さ
困難に直面したとき、「受け入れる」という行為は決して“あきらめ”ではありません。むしろ、それは現実を正確に見つめ直すための第一歩です。“あるがまま”を受け入れることは、世界と敵対するのではなく、世界と共に歩むという姿勢でもあります。
ロルフィングのセッションでも、クライアントが「何とか変えよう」と力むよりも、“今ある身体の状態”をそのまま感じ取るとき、自然と新しい可能性が開かれていくことがあります。これはまさに、身体を通じた「現象学的な受け入れ」といえるでしょう。
世界と共に「つくる」視点へ
現象学者メルロ=ポンティは、「私たちは世界を単に“見る”のではなく、“世界と共に生きている”」と言いました。世界は固定された舞台ではなく、私たちと共に“生成し続ける場”です。
出来事もまた、世界が私たちに語りかける「問い」だとすれば、それにどう応答するかは、私たちの“在り方”そのものに関わってきます。「受け入れる」という行為は、受動的な忍耐ではなく、世界と共に“新しい意味を創り出していく”能動的なプロセスなのです。
意味づけの自由と創造
起きた出来事を、前向きに捉えるか、後ろ向きに捉えるか。それを選ぶ自由は、常に私たちの内側にあります。この「意味づけの自由」こそ、人間の創造性の源でもあります。
ロルフィングでも、コーチングでも、「現実をどう意味づけるか」が、変化の出発点になります。身体を整えることも、心の姿勢を整えることも、その根底には「世界と共に生きる」感覚が流れています。
まとめ
困難な時こそ、私たちは“あるがまま”に立ち返る機会を与えられています。出来事を変えることはできなくても、それをどう受け止めるか、どう意味づけるかは、いつでも私たちの手の中にあります。
「世界と共に、つくっていく」――そんな姿勢で生きるとき、どんな出来事も、私たちを成長へと導く扉に変わるのだと思います。

