【R#400】感情は身体に保存されるのか──「感じる・意識・身体」との関係

はじめに

渋谷を拠点にロルフィング®のセッションを行っている大塚英文です。

日々、さまざまな身体に触れながら、「考えること」「感じること」「身体感覚(肚・丹田)」が、自然にひとつの判断としてまとまっていく状態を、セッションを通して支えています。

ボディワークの現場にいると、あることに気づく。

それは、人間の経験は

思考
感情
身体感覚

の三つに分かれているようでいて、実際にはひとつの流れとして起きているということだ。

ロルフィングのセッションの中で、筋膜の緊張がほどけた瞬間に、突然感情が浮かび上がることがある。涙が出る人もいれば、長く抑えていた怒りを感じる人もいるし、深い安堵や静けさを感じる人もいる。

こうした現象は偶然ではない。人間の感情や意識は、身体の状態と深く結びついているからだ。

感情は身体から生まれる

神経科学者・Antonio Damasio(アントニオ・ダマシオ)は、感情について次のように説明している。

感情とは、心理的な出来事ではなく、身体状態の変化を伴う生理的プロセスであると。

例えば怒りが起きるとき、

身体では

  • 心拍数が上がる
  • 呼吸が速くなる
  • 筋肉が緊張する

といった変化が起きる。

そしてその身体変化を脳が知覚したとき、私たちはそれを「怒り」として感じる。

つまり、

身体反応 → 感情の知覚

という順序が存在しているのだ。

Feeling(感じること)こそが意識である

この点について、近年とても興味深い理論を提唱しているのが、神経心理学者・Mark Solms(マーク・ソームス)だ。

Solmsは次のように述べている。

Feeling is consciousness.

つまり、「感じていること」そのものが意識であるという考え方。

私たちは通常、意識=思考だと考えがち。

Solmsによれば、意識のもっとも原初的な形は、身体から生まれる感覚(feeling)といっている。

例えば

  • 空腹
  • 痛み
  • 不安
  • 安心

こうした身体的な感覚が、意識の土台をつくっている。言い換えれば、私たちは感じているからこそ意識しているのだ。

問題は感情ではなく「感情への抵抗」

ここでとても重要な視点がある。

多くの人は、

怒り
悲しみ
恐れ

といった感情そのものを問題だと考える。

実際には、問題は感情ではなく、感情への抵抗なのだ。

例えば

失敗への恐れを感じないようにすると、安全な選択ばかりを選ぶようになる。

対立を避けるために怒りを抑えると、人に合わせ続けることになる。

悲しみを感じないようにすると、心が麻痺していく。

このように、感情を避けようとすると、そのエネルギーは消えるのではなく、身体の緊張として残る。

感情の抵抗は身体に現れる

ボディワークの現場では、このことが非常に明確に見えてくる。

例えば、

  • 呼吸が浅い
  • 胸が硬い
  • 首や顎が緊張している
  • 腹部が固まっている

こうした身体パターンは、単なる筋肉の問題ではない。

そこには、感じられなかった感情への抵抗が含まれていることがある。

身体は、感じられなかったものを、緊張として保持するのだ。

Overthinkingは身体から切り離された思考

最近よく言われる「Overthinking(考えすぎ)」も、この視点から理解できる。

多くの場合、Overthinkingとは感じられていない感情を、思考で処理しようとしている状態だ。

怒り
悲しみ
恐れ

といった感情を身体で感じることができないとき、脳はそれを思考で解決しようとする。

本来、感情は本来、身体を通して動くプロセス。思考だけでは処理できない。

ボディワークが意識に触れる理由

ここでボディワークの意味が見えてくる。

ロルフィングでは

  • 重力との関係
  • 呼吸
  • 筋膜の緊張パターン

を整えていく。

身体状態が変化すると、神経系の活動も変わる。すると、feeling(感じ方)が変化する。

Solmsの理論に従えば、feelingが変わるということは、意識そのものが変わることを意味する。

つまりロルフィングとは、身体を通して意識を変化させるプロセスとも言えるのだ。

まとめ

ロルフィングのセッションを通して私が感じるのは、

人間の体験は

思考
感情
身体感覚

に分かれているのではなく、本来はひとつの統合された流れだということだ。

身体が整うと、

呼吸が変わり
神経系が落ち着き
感じ方が変わります。

そしてそのとき、

考えること
感じること
身体感覚

が自然に一致していく。

ロルフィングの仕事とは、身体を通して

感情への抵抗がほどけ、意識が統合されていく場をつくること

なのだと思う。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka