はじめに
歩くことについて、4回に分けて書いていく。第1回は足から始める。
足は身体の中でいちばん下にあって、地面に触れている唯一の場所だ。土台と呼ばれることが多い。ただ、土台という言葉から思い浮かぶような、動かない板のようなものではない。
一歩のあいだに、足は形を変えている。
着地では潰れ、蹴り出しでは締まる
踵が床に触れる。その瞬間、足のアーチは潰れる方向に動く。体重と落下の衝撃を、形を変えることで受け止めている。
そこから体重が前へ転がっていく。踵から足の外側を通り、母趾球へ。そして蹴り出しの直前、アーチは締まって硬くなる。潰れていた足が、床を押し返すバネに変わる。
潰れることと締まること。この2つを一歩のうちに切り替えられる構造でなければ、歩けない。硬いだけでは衝撃を受け止められず、柔らかいだけでは床を押せない。
足に26個の骨があり、33の関節があるのは、そのためだ。数が多いから複雑なのではなく、形を変えるために数が要る。
これから足の構造を見ていくが、目的はひとつだ。この切り替えが、どうやって成り立っているのかを知ること。
骨は、1・2・3・4・5で数えられる
26個は多い。ただ、脚の上から順に数えていくと、規則が見えてくる。
太腿は1本。大腿骨だけだ。
下腿は2本。脛骨(けいこつ)と腓骨(ひこつ)。太いほうが脛骨で、体重はほぼこちらを通る。細い腓骨は外側にあって、体重を支えるというより、動きを調整する側に回っている。
この2本は、骨間膜(こっかんまく)という膜で結ばれている。膜といっても、2本を別々に包んでから貼り合わせたのではない。まとめて一枚で包み、あいだに指を通して縫い留めたような形になっている。骨を包む骨膜と一続きになっていて、境目がない。
この膜があることで、筋肉が付く面積が増える。そして繊維の走る向きによって、脛骨と腓骨の関係そのものが変わる。2本の骨が、少しずつ位置をずらせる。
足首から下は3本。距骨(きょこつ)、踵骨(しょうこつ)、舟状骨(しゅうじょうこつ)。
距骨は、下腿から降りてきた体重を最初に受ける骨だ。その下に踵骨があり、前に舟状骨がある。この3つが集まって距骨下関節(きょこつかかんせつ)を作り、体重を2つの縦アーチへ振り分ける。
その先が4本。3つの楔状骨(けつじょうこつ)と、1つの立方骨(りっぽうこつ)。楔状骨は舟状骨に続き、立方骨は踵骨に続く。
そして5本。5本の中足骨(ちゅうそくこつ)が、それぞれ楔状骨と立方骨の先に並ぶ。
1、2、3、4、5。あとは足指の骨で、母趾だけ2本、他の趾は3本ずつ。全部で26個になる。
なぜこの数え方が役に立つかというと、体重が上から下へどう分かれていくかが、そのまま数に出ているからだ。1本の骨で受けた体重が、2本になり、3本になり、4本、5本と枝分かれしながら床へ届く。逆に床からの力は、5から1へ集まりながら上がっていく。
関節は、蝶番と螺旋が交互に並ぶ
33の関節も、性格の違いで見ると整理がつく。
足指の関節は蝶番(ちょうつがい)だ。曲がるか伸びるかしかしない。
その手前、母趾球のあたりにある5つの関節も基本は蝶番だが、少しだけ回旋する。体重を足の内側から外側へ転がすとき、この小さな回旋が働いている。母趾だけで小さな円を描こうとすると、その動きが感じられる。
足の中ほどにある足根中足関節(そっこんちゅうそくかんせつ)は、また蝶番になる。中足骨の手前側の端が角ばっていて、ほとんど回れない。しかもこの関節は、第2中足骨だけが楔状骨のあいだに深く食い込んでいる。第2中足骨が長く、第2楔状骨が短いためだ。この食い込みがあることで、たとえばバスケットボールで着地したときに、足の前半分が横へずれない。
そして距骨下関節は螺旋を描く。距骨の下面が踵骨と舟状骨の上を滑り、足を内側へ倒したり外側へ倒したりする。内返し・外返し、あるいは回外・回内と呼ばれる動きだ。踵を手で包んで固定し、もう一方の手で足の先を動かしてみると、この動きの複雑さが分かる。
その上の距腿関節(きょたいかんせつ)は、また蝶番だ。つま先を上げる背屈と、下げる底屈しかしない。
単純な蝶番と、複雑な螺旋が、交互に並んでいる。この並びによって、足は上から降りてくる動きにも、地面の凸凹にも、両方に応じられる。
歩行に引きつけて言えば、こうなる。着地の局面では距骨下関節の螺旋が働いて、衝撃を回旋に変えて逃がす。蹴り出しの局面では蝶番が働いて、力を一方向にまとめて床へ伝える。潰れるときは螺旋、締まるときは蝶番。
ここで区別しておきたいのは、距腿関節と距骨下関節だ。捻挫で傷めるのは距骨下関節のほうで、足首そのものではない。ただし、この2つの関節をまたいで走る靭帯があるため、腫れると足首の曲げ伸ばしにも影響が出る。「足首をひねった」と言われたとき、見るべきは足首の下になる。
3つのアーチ
足が床に触れている点は3つ。母趾球、小趾球、そして踵。この3点を結ぶと三角形になり、それぞれの点のあいだにアーチがある。
内側縦アーチは、踵から母趾球まで。いわゆる土踏まずだ。距骨が上から体重を受け、舟状骨へ渡し、3つの楔状骨とその先の中足骨へ続く。
外側縦アーチは、踵から小趾球まで。踵骨、立方骨、第4・第5中足骨でできている。立方骨を横から見ると台形で、上側が広い。これがローマ建築のアーチの要石とまったく同じ働きをする。両側から挟まれることで、立方骨は地面から浮いた位置に保たれる。
外側のアーチは非常に安定している。Thomas Myersは20年の臨床で、外側アーチが潰れた例をわずかしか見ていないと書いている。潰れるのは、よほどの外傷か、足の変形がある場合だけだという。
横アーチは2箇所にある。母趾球と小趾球のあいだと、その手前、楔状骨と立方骨のあたり。
手前側は、3つの楔状骨がすべて楔形で、先が下を向いている。骨の形そのものがアーチを作っているので、体重が乗るほど締まる。一方、母趾球側のほうは骨の形では支えられておらず、靭帯と筋肉に頼っている。
この違いは、足裏のタコの位置で分かる。正常なアーチなら、タコは第1趾と第5趾の下にできる。母趾球側のアーチが落ちていると、第2・第3・第4趾の下にできる。
そしてMyersは、ダンサーが使う別の呼び方を紹介している。内側のアーチを「つま先の足」、外側を「踵の足」と呼ぶ。内側は脛骨から体重を受けて前3本の趾へ渡す。外側は、カヌーの舷外浮材のように、体重を支えるというより全体のバランスを取っている。
歩くときの役割分担も、この呼び方で見える。着地は「踵の足」が受け、蹴り出しは「つま先の足」が担う。一歩のあいだに、主役が外から内へ移っていく。
その移り変わりの中で、骨も動いている。着地のとき、立方骨が内側アーチを下から支える。蹴り出しのとき、舟状骨が下りる。そして最後に体重が母趾まで届く。
踵とつま先、そして耳と目
歩くことは、踵で着地して、つま先で蹴り出すことだ。この2つは、立っているときにも意味を持つ。
体重が踵寄りか、つま先寄りか。人によって偏りがある。そしてこの偏りは、どの感覚を優位に使っているかと結びついている。
目を使うと、重心はつま先へ寄る。耳を使うと、踵へ寄る。
理由は顔の構造にある。目は顔の前面にあり、耳は目より後方にある。どちらのセンサーを優位に使っているかが、そのまま重心の前後に出る。
だから、いま自分がつま先と踵のどちらをより使っているかが分かると、五感の使い方の偏りにも気づける。前のめりで歩いている人は、視覚に頼りすぎているのかもしれない。
ロルフィングでは、姿勢を支えるセンサーを、眼・足・内耳の3つを頂点とする三角形として捉える。Triangle of Supportという。足だけを整えても、この三角形は安定しない。
この三角形については、第4回で扱う。
扁平足について
扁平足は、足の話の中でいちばん質問が多い。
まず、アイダ・ロルフの言葉を引く。
Flat feet are not flat feet. They are flat shins. If you really know the anatomy of the shin and the retinaculum, you should have no problem with the flat feet.
扁平足は扁平足ではない。扁平な脛だ。脛と支帯の解剖を本当に知っていれば、扁平足に手を焼くことはない。
足の問題が、足ではなく脛にあるという見方だ。理由は簡単で、アーチを上から引き上げている筋肉が、すべて下腿にあるからだ。この話は第2回で詳しく扱う。
もう一つ、Myersの記述がある。
優れたアーチは生まれつきのものではなく、作られるものだ。人は全員、扁平足で生まれてくる。アーチは、立つことと歩くことの中で作られていく。
そしてMyersは、これを背骨の二次湾曲と同じものとして扱う。
赤ん坊の背骨は、丸まった一次湾曲だけでできている。うつ伏せで頭を持ち上げるうちに首のカーブができ、ハイハイをするうちに腰のカーブができる。これが二次湾曲だ。もともとあったものではなく、動きの中で引き出されたものになる。
足のアーチも同じ順序で生まれる。足の内在筋と、ふくらはぎの筋肉が働くことで、骨の並びが作り替えられていく。膝が伸びるようになり、そして立って歩きはじめるときに、アーチができる。
歩くことがアーチを作り、そのアーチが歩くことを可能にする。順序としては、歩くほうが先だ。
この見方を取ると、扁平足も、高すぎるアーチも、一次と二次のバランスの問題として捉えられる。骨の形が悪いのではなく、引き出される過程で何かが足りなかった、あるいは過剰だったことになる。
ちなみに、高いアーチと呼ばれているものについて、Myersは20年の臨床で本物を見たことがないと書いている。高く見える足の多くは、アーチが高いのではなく、中足骨が下を向いている。座って足を組み、力を完全に抜いた状態で足を見ると分かる。足首とふくらはぎに対して、足の後ろ半分は普通に見える。前半分だけが下を向いている。
そして、施術者の側からの正直な言葉もある。
If they have flat feet, to create an arch, they have got to want to create an arch. The client has to do exercises and has to have the wish to create arches. You do not create arches through Rolfing.
扁平足の人にアーチを作るには、その人がアーチを作りたいと望まなければならない。クライアントは運動をしなければならないし、アーチを作りたいという願いを持たなければならない。ロルフィングでアーチを作ることはできない。
施術で骨の形は変えられない。できるのは、アーチが働ける条件を整えることだけだ。あとは、その人が立ち、歩く中で作られていく。
それぞれの局面に、時間があるか
歩行を観察するとき、速さや歩幅だけを見ているわけではない。
歩幅はどのくらいか。踵が床にとどまっている時間があるか、それとも接地した瞬間に跳ね上がるか。趾が床を押す時間があるか。足が転がる時間があるか。
それぞれの局面に、必要なだけの時間があるかどうかを見ている。時間が足りない局面があると、そこでの仕事が飛ばされる。着地の衝撃を受け止めきる前に次へ進んでしまう、あるいは蹴り出しきる前に足が離れてしまう。
一歩のあいだに、足は潰れて締まる。その切り替えには時間が要る。
ロルフィングの2回目とのつながり
10回シリーズの2回目では、この足を扱う。
セッションで見ているのは、足裏が柔らかくなったかどうかではない。床から返ってくる力が、足首から膝、股関節、骨盤へ通っているかどうかだ。アーチが働くとは、力が通るということでもある。
そしてMyersが記事の最後に書いていることが、そのまま2回目の手順と重なる。施術が終わったら、クライアントに足へ注意を向けてもらう。体重がどこに落ちているかを感じてもらい、少し揺れてもらって、足が作っている変化を確かめてもらう。
観察して、介入して、もう一度観察する。変化を施術者だけでなく本人が感じ取ることで、身体への気づきが育つ。
- 2回目:足を整える──下半身の表層と、地面との関係
次回へ
第1回では、一歩のあいだに足がどう形を変えるかを見た。26個の骨、蝶番と螺旋の交代、3つのアーチ。そして、アーチは歩くことによって作られるということ。
ただし、扁平足の話で触れたとおり、アーチを引き上げている筋肉は足の中にはない。すべて下腿から来ている。
歩いているとき、足を動かしているのは足ではない。
第2回では、足と下腿の関係を扱う。
歩くシリーズ(全4回)
- 第1回:一歩のあいだに、足は形を変える──アーチはどうやって作られるのか (本記事)
- 第2回:足の問題は、足にはない──下腿から骨盤への連鎖
- 第3回:脚は、肋骨の下から始まっている──腸腰筋と対角の連動
- 第4回:重力から歩行を読む──Tonic Functionとg・g’
2026年9月の注記
この記事は、もともと2015年5月に書いたものだ。世界一周から戻った直後で、翌月にはスリランカへ行く予定が入っていた時期になる。
タイトルに(1)と付けながら、続きは書かれなかった。歩くことについて書きたいという意図はあったが、書けるだけの材料がなかったのだと思う。当時書いたのは、足の骨の名前と、アーチの種類と、下腿との関係。教科書に載っていることを、自分の言葉で並べ直した程度のものだった。
11年後に、その続きを書いた。第2回で下腿と骨盤、第3回で腸腰筋と対角の連動、第4回で重力とTonic Function。そして第1回にあたるこの記事も、全面的に書き直した。
書けるようになった理由は、はっきりしている。
この11年で、ミュンヘンで基礎トレーニングを終え、Rolf Movement Practitionerの認定を取り、継続教育を重ね、2025年にアドバンスト・ロルファーの認定を受けた。第4回で使ったPalintonicity、Triangle of Support、Pre-movement。どれも2015年には持っていなかった言葉になる。
もう一つ、書き直す直前に起きたことがある。
2026年8月、3泊4日で四国を歩いた。修験の山である剣山に登り、そこから次郎笈まで稜線を往復した。標高1,955メートル、往復で5キロ近い道を、普段の運動靴で歩いた。登山靴でもトレッキングポールでもない。装備としては、むしろ条件が悪かったはずだ。
それでも、あまり疲れなかった。
一緒に歩いた人には疲労が出ていた。同じ道を、同じ時間、同じ順番で歩いている。それでも出方が違う。
理由をはっきり説明することはできない。ただ、歩いているあいだ、力が抜けていたことは確かだった。足元の石を見ながら足場を選ぶのだが、視覚だけで判断するのではなく、足裏が地面をどう捉えているかを感じながら進んでいた。
同じ日の夕方、祖谷のかずら橋を渡った。長さ45メートル、水面からの高さは約14メートル。足元の木の間隔が広く、その隙間から谷底が見える。一歩進むたびに橋が揺れる。
そこでは、身体がまったく逆の反応をした。恐怖だった。頭では安全だと分かっている。それでも身体は閉じ、力が入った。
数時間前まで、同じ足裏で山を歩いていた。同じ日の、同じ身体である。
違いは、足裏の下に何があるかだった。山では地面があり、身体を支えてくれる相手として存在していた。かずら橋では、足裏の下にあるのは14メートルの落差だった。
そして旅の最終日、空海が生まれた場所とされる善通寺で、御影堂の地下にある戒壇めぐりを歩いた。光がまったくない暗闇で、目が慣れれば見えるという暗さではない。左手を壁につけ、伝いながら進んでいく。
そこでは、足裏と左手が目の代わりをした。見るべき対象が一つもないので、空間そのものを感じるしかない。
四日間で、同じ足裏が三通りの反応をしたことになる。
2015年に書いたのは、足の構造だった。骨がいくつあり、アーチがどう働き、どの筋肉が引き上げているか。それは間違っていない。この書き直しでも、その部分はむしろ厚くなっている。
ただ、足は構造であると同時に、その場所と関係を結ぶ器官でもある。何を踏んでいるのか、その下に何があるのか、周囲がどうなっているのか。足裏が受け取っているのは、床の硬さや形だけではない。
11年前の自分は、前者しか書けなかった。
そして、いま書けるようになったことも、たぶん半分でしかない。第4回で、歩き方を良くしようとするのではなく身体が自然に歩ける条件を整える、と書いた。その条件に何が含まれるのかは、まだ全部が見えているわけではない。
続きは、また11年後に書くことになるのだと思う。
参考文献
- Thomas Myers, “The Foot: Understanding the Arches,” Massage Magazine, September/October 1997.
- Myersは、アイダ・ロルフとモーシェ・フェルデンクライスの両方に学び、1992年から1995年までRolf Instituteの解剖学部門の責任者を務めた。『アナトミー・トレイン』の著者としても知られる。

