エサレン研究所(1)〜心理学とボディワーク

世界一周へ旅立つ前に、田口ランディ氏の『仏教のコスモロジーを探して』という本に出会った。この本は、7人の僧侶及び研究者を中心に現代の仏教について考えるという対談だった。その中で、最も強烈な印象を残したのが吉福伸逸(よしふくしんいち)氏との話。氏はその後、2013年5月に逝去された。

田口ランディ

世界一周から帰国後に、吉福伸逸氏の本を読んでみたいと考えていたところ、神保町の書泉グランデという書店で2冊の本に出会う。1960年代、アブラハム・マズローが中心となって発展した、トランスパーソナル心理学の歴史について語った『トランスパーソナル・セラピー入門』と、吉福伸逸氏のお弟子さんが中心となって思想をまとめた『吉福伸逸の言葉』の2冊。

吉福伸逸2
吉福伸逸1

書き始めてみると、意外と長くなりそうなので、何回かに分けて吉福氏の考え方について触れたい。今回は、主にエサレン研究所とその周囲の環境について書きたいと思う。

まず簡単に吉福伸逸氏の履歴を紹介する。

プロのジャズ・ベーシストとしてアメリカのバークリー音楽大学で勉強した後、一旦挫折。2年間中南米を放浪。アメリカに戻ってきてから東洋哲学とサンスクリット語を学ぶ。3年半かけてサンスクリット語を完全にマスター。サンスクリット語を学んでいた3年半の間に、瞑想している人やセラピーのワークショップに参加している人が多数いた縁で、エサレン研究所(Esalen Institute)へ向かうことになる。

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エサレン研究所は、ロルフィングを開発したアイダ・ロルフがロルフィングの手技を教えていた場所として有名。エサレン研究所にアイダ・ロルフを招聘したのが、ゲシュタルト療法の創始者であり、NLPのモデルとなった一人、フリッツ・パールズであることは「モダリティ(1)〜モダリティの意味とロルフィングでどのように生かすか?」に書いた。そして、NLP関連でいえば、もう一人のモデル、バージニア・サティアもエサレンに滞在した経験があり、のちに述べるチェコの臨床家スタニスラフ・グロフを招聘するのに貢献した。

そう考えると、NLPやロルフィングを考える際には、エサレン研究所や当時その時代、どういった影響があったのか?知ることが大切なように思えてくる。

エサレンでは、Human Potential Movement(人間の潜在性開発運動)の拠点として様々な実験的なワークショップが行われ、チベット密教、東洋的修行法、ヴィパッサナー、スーフィズムが取り入れられ、ゲシュタルト療法、トランスパーソナル心理学もここを発祥とする。中でも、禅は、東洋で知られている様々な修業体系の中で一番早く、アメリカで市民権を得て、様々なアメリカの知識人、例えばスティーブ・ジョブズにも大きな影響を与えている。

1960年代の薬物文化のなか、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソンといったミュージシャンが1970年前後に相次いで命を落としているが、心理学に対しては、必ずしも悪い影響を与えているわけではない。例えば、チェコ人のスタニスラフ・グロフは、スイスの製薬会社サンド社で作られたLSDを1960年代アメリカで使用禁止になるまで、精神病に対して3,000症例あまりに使用した経験がある。彼が、エサレンに移ってからは、ロルフィングやゲシュタルト療法に接することでマズローと共に自己を超えた何ものかに統合されると考え、そのための精神統合の手法を確立していき、トランスパーソナル心理学へと至ることになる。

エサレン研究所は、San Franciscoから200km離れたBig Surという町にあるが、エサレンという名前は、アメリカ先住民エッセレン族の名前に由来。エサレン研究所のそばにその聖地があるためだ。このような様々な思想背景の中でNLPやロルフィングという技術や方法が熟成され、現在に至ると思うと、非常に興味深い。

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吉福氏は、アメリカを含め10年間滞在後、1974年に帰国。翻訳家として、ケン・ウィルバー、フリッチョフ・カプラやスタニスラフ・グロフの本をいち早く紹介。アメリカでのカウンター・カルチャーの現状について紹介していく。その結果として、1980年代に日本において心理療法、ボディワーク、スピリチュアリティ、エコロジー、ホリスティック医療などのような分野の第一人者として活躍している人たちに多大な影響を及ぼすことになる。2013年に逝去されるまで一線でご活躍された。

今回は、主にエサレン研究所について書いたが、次回は吉福伸逸氏のセラピストについての考え方(非常に興味深いので)について紹介したい。

2026年8月の注記

この記事を書いたのは2015年5月、世界一周から帰国した直後だった。エサレン研究所について書かれたものを読み、その内容を整理している。当時のこちらの立場は、読者のそれである。

11年経って気づくのは、この場所が、その後まったく別の三つの入口から現れ直したということだ。

一つ目は、当事者の証言としてである。2016年11月の東京と2017年1月のシアトルで、Sharon Wheelerのワークショップに参加した。SharonはEsalenで1970年頃からIda Rolfに直接学んだ数少ないロルファーの一人で、聞いたことを一語一句そのまま再現する人だった。そこで語られたエサレンは、この記事に書いたものと重なりつつ、決定的にずれていた。

この記事では、フリッツ・パールズがIdaを招いた、と書いている。それは書物から読み取れることだ。Sharonから聞いたのは、その先である。Idaはパールズに招かれたが、New Yorkを離れて定住することはなかった。そしてIda自身が、モーシェ・フェルデンクライスをエサレンに招いている。二人は対立せず、互いのワークを受けていた。エサレンの創設者はDick PriceとMichael Murphyであり、Murphy一族が土地を購入した。Michaelの当初の関心は本屋の経営で、厳しいしつけの記憶からエサレンに嫌悪感を持っていたという。1970年代にはジョーゼフ・キャンベルも出入りしていた。

招かれた側としてのIdaは書物に残る。招いた側としてのIdaは、その場にいた人からしか出てこない。

二つ目は、もう一人の教師を通じてである。2017年3月、Gael Rosewoodのワークショップに参加した。Gaelは1969年にエサレンでIdaと出会い、Sharonと同期でトレーニングを受けている。この記事を書いた2年後のことだ。つまり2015年に書物の中の場所として扱ったエサレンは、その後に直接教わることになる二人が、実際に居合わせた場所だった。当時はそのことを知らない。

三つ目は、まったく別の系譜からである。2024年以降、向精神薬と幻覚剤の歴史を書き進めるなかで、エサレンが再び現れた。1994年、エサレンでの会合をきっかけに、ジョンズ・ホプキンズ大学のローランド・グリフィスが幻覚剤を用いた臨床研究を計画する。1970年の規制で途絶えていた研究が、そこから再開した。現在「精神医学のルネサンス」と呼ばれる流れの起点である。

そしてこの記事に登場するスタニスラフ・グロフが、二つの系譜をつないでいる。ここでは、ロルフィングやゲシュタルト療法に接することでトランスパーソナル心理学へ至った臨床家として書いた。幻覚剤の歴史の側から見ると、3,000症例を超えるLSD精神療法を行い、後に呼吸法によって同じ意識状態を生み出すホロトロピック・ブレスワークを創始した人物である。薬物を使う道と、身体から入る道の両方に、同じ人が立っている(「幻覚剤の全体地図──古代の儀式から精神医学のルネサンスへ」参照)。

こう並べてみると、この記事の最後に書いた「NLPはなんらかの形でロルフィングに影響を与えているように思う」という推測は、修正できる。影響の伝達ではない。同時性である。パールズ、バージニア・サティア、Ida Rolf、フェルデンクライス、グロフ、キャンベルが、1960年代後半から1970年代前半の数年間、同じ土地に居合わせていた。そこから出てきたのが、ゲシュタルト療法であり、NLPであり、ロルフィングであり、Rolf Movementであり、トランスパーソナル心理学であり、後の幻覚剤研究だった。どれかがどれかを生んだのではなく、同じ場が別々のものを送り出している。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka