はじめに
こんにちは。渋谷でロルフィング・セッションを提供している大塚英文です。

この全7回の連載では「社会性の脳(social brain)」に焦点を当て、脳科学・愛着理論・発達心理学・身体感覚など多面的に“人とつながる”機能を探っていく。
その軸となるのが、Dan Siegel博士らによるIPNB(Interpersonal Neurobiology、対人神経生物学)という、科学的検証に基づく統合的アプローチだ。
IPNBでは、以下の三要素を統合的にとらえる「三角モデル(Triangle of Well-Being)」が提示されている。
- 脳(Brain):神経構造と生理機能(前頭前野・辺縁系・迷走神経系など)
- 心(Mind):主観的体験、感情、記憶、意図、意識といった内的プロセス
- 関係性(Relationship):他者との相互作用、共調、愛着、共感といった社会的つながり
この三者は相互に作用し合い、どれか一つの変化が他の要素にも影響を与える。Dan Siegelはこうした心の定義を次のように明確に述べている:
The human mind is a relational and embodied process that regulates the flow of energy and information.
心(mind)とは、脳内および他者との関係性においてエネルギーと情報の流れを調整する、身体性をもち関係性をもったプロセスである。
つまり、心とは脳の中だけに存在するものではなく、身体(embodiment)と他者との関係(relationship)によって生み出される動的なプロセスなのである。
なぜ科学的なアプローチが重要か?
コーチングの分野では、「傾聴」「共感」「質問」「リフレクション」など、多くの実践的スキルが重要視される。これらのスキルはクライアントとの関係性を築き、変容の土台を整えるために不可欠となる。
一方で、どのような関係性が脳にポジティブな影響をもたらすのか?あるいは、どのようなプロセスを通じて神経系の変化や統合が起こるのか?といった根本的な問いに対しては、十分に科学的な説明がされないことも多いのが現状だ。
心理的な技法の一つ、NLP(Neuro‑Linguistic Programming:神経言語プログラミング)は「成功者の言語パターンを真似ることで成果が得られる」ことを前提に体系化されたアプローチだ。
NLPは、多くのコーチング・研修で用いられており、注目を浴びている。こちらも、その多くは事例や体験談に基づいた帰納的手法であり、厳密な科学的・神経科学的検証に乏しいという批判が聞こえてくる。
対照的に、IPNBは実際の脳活動計測(fMRIやEEG)、発達心理学実験、ランダム化比較試験(RCT)などの研究を積み重ね、「人と人との関係が脳へどのように具体的に影響するか」を検証し、再現性をもって体系化されている。
統合(Integration)という中心概念
IPNBの中心には「統合(integration)」という概念がある。これは、異なる要素(感情・記憶・感覚・人間関係・脳領域など)が違いを保ちながらも協調的に機能する状態を指す。Siegelは統合された心の状態を、以下の頭文字で表す:
- Flexibility(柔軟性)
- Adaptability(適応性)
- Coherence(一貫性)
- Energy(活力)
- Stability(安定性)
このような統合状態は、精神的健康や創造性、関係性の成熟と直結する。一方で統合が失われた状態は、rigidity(硬直)やchaos(混沌)として現れる。
NLPのテクニックとIPNB・能動的推論の接点と違い
NLPは、1970年代に米国で開発された「優れたコミュニケーションの模倣モデル」として、以下のようなテクニックを用いられる。
- ラポール形成:相手の姿勢・呼吸・話し方をミラーリングすることで親和感をつくる
- VAKモデル:視覚(Visual)、聴覚(Auditory)、身体感覚(Kinesthetic)という感覚優位タイプに応じたアプローチ
- アンカリング:特定の感情状態を刺激(言葉・動作)と結びつけることで再現性を高める
- サブモダリティの変更:イメージの明るさや距離などを変えて、記憶や感情の意味づけを再構築する
これらの技法は、短期的な行動変容や、自己調整のきっかけとしては有効なこともあるが、多くの場合は意識的・表層的な介入にとどまりやすく、脳神経ネットワークの長期的変容や、発達段階に沿った統合には結びつきにくいといったことも指摘されている。
IPNBと能動的推論の視点が加わると、どう変わるのか?
IPNBでは、上記のような“ミラーリング”や“感覚刺激”といったアプローチを、より発達理論や神経可塑性(neuroplasticity)に基づいたプロセスとして再解釈する。
例えば、
- ミラーリングは単なる模倣ではなく、ミラーニューロン系を通じた共感的同調であり、これは安全な関係性(愛着)を土台として発達するもの。
- アンカリングのような刺激・反応パターンは、扁桃体ベースの“早い脳”の反応を引き起こすことがあるが、IPNBではそれをmPFC(中前頭前皮質)や海馬と接続し、統合的に意味づけるプロセスこそが重要とされる。
能動的推論(Active Inference)の視点からみると、人間の脳は「感覚入力を受け取るだけでなく、常に予測と誤差修正を行っている」と捉える。この枠組みにおいて、単発のNLP的テクニックは予測モデルの表層を修正することはできても、深層の“自己”や“他者モデル”の再構築には至らない可能性がある。
テクニックからプロセスへ──関係性を通じて脳を変えるという視点
NLPでは「うまくいっている人を真似れば、自分もうまくいく」という前提に立ちますが、IPNBと能動的推論の視点では、人それぞれが異なる身体感覚・神経発達・トラウマ履歴・予測モデルを持っているという前提に立つ。 このため、テクニックの適用そのものよりも、
- どのような関係性の場で
- どのような身体状態で
- どのような意図と予測モデルの下で
変化が起きているか?というプロセス志向の関与が重要になる。
ここにおいて、NLPの技法の一部は「神経系へのアクセス手段」として使い得ますが、それが深い統合的変化につながるかは、環境・関係・意味づけの質に依存するといっていい。
ロルフィングやボディワークにNLPを組み合わせると何が起こるか?
ロルフィングやその他のボディワークは、身体の構造や動き、感覚への気づきを通じて、神経系の再調整や自己認識の変容を促す手法です。これにNLPの言語パターンや感覚誘導技法が加わることで、身体感覚とイメージ、言語の三層構造で“気づき”が立体的に促進される可能性があります。
たとえば:
- セッション中にクライアントがある感覚に集中しているとき、その感覚に「言葉」を与えることで、脳の統合が進みやすくなる
- 身体の動きや姿勢に合わせて、VAKモデルに基づく感覚誘導を行うと、自己調整が加速する
- アンカリングの技法を身体動作と結びつけることで、ポジティブな身体記憶を再現しやすくなる
ただし、重要なのはそれが「操作的」にならず、クライアントの内側から生まれる変化と共鳴して用いられることです。IPNBの視点では、この共鳴や意味の文脈づけが神経系の安全感と統合を導くカギであるとされており、NLPの技法も適切に関係性の中で活用されることで、単なる言葉のテクニック以上の変容プロセスに進化すると考えられます。
まとめ:NLP vs IPNB+能動的推論 vs ボディワークの比較表
項目 | NLP | IPNB + 能動的推論 | ボディワーク(例:ロルフィング) |
---|---|---|---|
アプローチ | 技法ベース(言語・視覚・動作) | 関係性と発達プロセスを重視 | 身体構造・感覚への直接アプローチ |
モデルの基盤 | 師匠モデルの模倣・観察(帰納) | 脳神経科学・愛着理論・発達心理 | 解剖学・運動学・感覚統合理論 |
技法の例 | ミラーリング、アンカリング、VAK | 感情調整、共感的関与、マインドフル統合 | タッチ、圧、動きの誘導、感覚への注意喚起 |
脳への働きかけ | 意識レベルでのパターン変更 | 意識・無意識レベルの再組織化 | 感覚入力を通じた神経可塑性の誘発 |
科学的検証 | 一部に限られ、RCTは乏しい | fMRI, EEG, RCTなどエビデンス豊富 | 身体構造と神経系変化に関する研究が増加中 |
予測と誤差修正の視点 | 原則として欠如 | 能動的推論モデルと整合性あり | 予測モデルの更新を感覚から支援 |
IPNBの科学的根拠──脳活動計測や臨床研究の事例
IPNBは、臨床理論としての枠を超えて、脳科学・心理学の研究成果と深く結びついている。たとえば、以下のような科学的検証が報告されている。
- グループセラピーにIPNBを統合した研究では、fMRIやEEGを用いて前頭前皮質と辺縁系の統合が強まり、情動調整能力が向上することが観察される。
- fMRI・EEGを使った実験により、対人会話中の「脳の同期(neural synchrony)」が確認されており、相互の共感的理解が脳活動レベルで共有されることが示されている。
- リアルタイムfMRIやEEGによるニューロフィードバック研究では、扁桃体と前頭前皮質の接続性強化とともに、うつやPTSDの改善が報告されており、IPNBが重視する神経統合の妥当性を支持する結果が得られている。
このように、IPNBは「関係性が脳に影響する」という仮説を、経験的だけでなく科学的手法(fMRI、EEG、RCTなど)によって裏付けている点が大きな特徴だ。
Interpersonal Neurobiology(IPNB)とは?
IPNBは、1990年代以降、Dan Siegel博士によって提唱された理論で、心理学・神経科学・発達理論・愛着研究・教育学などを融合し、「人と関係を持つことが脳をどう変えるか」を問い、かつ実験的データで裏付けた学際的アプローチ。
例えば、愛着形成を担うJohn BowlbyとMary Ainsworthの研究、レジリエンスと共感に関わるSchoreやCozolinoの神経科学、トラウマ治療やマインドフルネスに関するDaniel Siegel自身の臨床研究まで、その体系は科学的基盤の上に形成されています。
社会性の脳──つながるための神経ネットワーク
人間の脳には、「他者とつながり共感し合う」ための専用回路が存在します。代表的な部位と機能:
- 扁桃体(amygdala):安全・危険を即時に判断し、ストレス反応を制御
- 海馬(hippocampus):経験と文脈を整理し、記憶の連続性を支える
- 中前頭前皮質(mPFC):共感、自己認識、道徳判断など多機能統合を担う
- 島皮質(insula):身体内部感覚(interoception)を通じて自己感覚を生む
- ミラーニューロン(mirror neuron)系:他者の体験をしくみ的に模倣し共感を促す
これらはIPNBによって、実際のfMRI撮像や神経学的実験を通じて、対人相互作用の前後で活性化状態や接続性が変化することが検証されている。
次回予告:脳の“遅い”回路と“早い”回路
次回(第2回)は、「暗黙記憶(implicit)」と「明示記憶(explicit)」という神経的プロセスに焦点を当て、扁桃体主導の“早い脳”と海馬を通じた“遅い脳”が、人間関係や行動変容にどう働くかを掘り下げていく。
臨床・神経科学・発達心理学の視点から、その背景メカニズムを解き明かす。