【R#370】「早い脳」と「遅い脳」──感情と記憶の二重システム(第2回)〜全7回・IPNBとの接点

はじめに

こんにちは。渋谷でロルフィング・セッションを提供している大塚英文です。

このブログでは、「社会性の脳(social brain)」とInterpersonal Neurobiology(IPNB)の視点から、身体・感情・関係性の再統合について探っています。

第2回の今回は、「早い脳」と「遅い脳」という切り口から、**なぜ私たちは“つい反応してしまう”のか?**を見つめ直します。
その背景には、2人の“Daniel”──ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)とダニエル・シーゲル(Daniel Siegel)が提唱する「Fast / Slow」モデルが存在します。

それぞれの理論の違いを理解することで、脳の働きと自己理解がさらに深まります。

Daniel Kahneman の「System 1 / System 2」

行動経済学における“速い思考”と“遅い思考”

まず紹介するのは、ノーベル経済学賞を受賞した心理学者ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)の「System 1 / System 2」モデルだ。

彼は著書『Thinking, Fast and Slow(邦訳:ファスト&スロー)』の中で、人間の意思決定や判断が2つの思考システムによって成り立っていることを明らかにした。

  • System 1(速い思考)は直感的・感情的で、自動的に働きます。私たちが何かを“ぱっと”判断するとき、たいていこのSystem 1が使われてい流。
  • System 2(遅い思考)は論理的・意識的に働き、熟慮や自己制御が必要な場面で登場する。

このモデルの目的は、人間の「非合理的な判断の傾向(認知バイアス)」を理解することにあり、マーケティングや経済行動、認知科学など幅広い分野で応用されている。

System 1 / System 2 の比較表:

観点System 1(速い思考)System 2(遅い思考)
性質直感的・即時的・自動的論理的・熟慮的・努力的
処理スピード非常に速い(0.05秒〜)遅い(0.5秒以上)
意識化無意識(automatic)意識的(controlled)
エネルギー消費省エネルギー(負荷が小さい)高エネルギー(負荷が大きい)
主な役割瞬時の判断、パターン認識、日常動作、感情的な反応計算、推論、論理的判断、自己制御、選択的注意
長所素早く動ける、直感的な反応に優れる冷静に考えられる、複雑な問題に対応できる
短所認知バイアスを起こしやすい、誤解・早とちり処理が遅い、疲労しやすい、集中力が必要
応用領域経済行動、マーケティング、心理テスト教育、意思決定理論、認知トレーニング
「この顔は怖い」「赤信号だ、止まろう」「この状況ではどう対応すべきか考えよう」

Daniel Siegel の「早い脳 / 遅い脳」

神経系の発達・感情調整・関係性に基づくモデル

次に紹介するのは、精神科医でありIPNB(対人神経生物学)の創始者でもあるダニエル・シーゲル(Daniel J. Siegel)が提唱する「早い脳/遅い脳」(The Developing Mindで取り上げている)という神経発達モデルだ。

シーゲルの理論では、脳の働きは「単なる情報処理の速さ」ではなく、身体や感情、そして他者との関係の中でどのように統合されているかが重視される。

  • 早い脳とは、進化的に古く、扁桃体や脳幹を中心とした「瞬時に命を守る反応」を担う脳です。トラウマや情動記憶とも深く関係している。
  • 遅い脳とは、前頭前皮質や島皮質といった「社会的で意味づけ的な統合を行う脳」であり、安全や共感、自己制御を支える働きをしている。

このモデルは、マインドフルネスやセラピー、ロルフィングといった“今ここ”の体験に深く関係している。

早い脳 / 遅い脳 の比較表:

観点早い脳(Fast brain)遅い脳(Slow brain)
主な部位扁桃体、視床下部、脳幹、古い辺縁系前頭前皮質、海馬、島皮質
処理スピードきわめて速い(無意識的・情動的)比較的遅い(意識的・意味づけ)
進化的役割生存・防衛・闘争逃走反応共感・調整・自己制御・社会性
記憶の形式暗黙的記憶(implicit memory)明示的記憶(explicit memory)
反応の特徴反射的・条件反射的・身体的緊張熟考・メタ認知・物語化・再評価
感情傾向怒り・恐怖・回避・シャットダウン好奇心・共感・安心・つながり
行動との関係過去のトラウマが再演される可能性があるトラウマの意味づけと再統合が可能
癒し・統合の方法ポリヴェーガル理論による安全の回復、身体への気づき、マインドフルネス関係性の再構築、内省、愛着修復、身体からの意味づけ
応用領域トラウマ療法、愛着理論、ロルフィング、SE、ソマティック心理学マインドサイト、セラピー、統合的教育、神経系再調整

ダニエル・カーネマンとダニエル・シーゲルの視点の違い(表)

観点カーネマン:System 1/2シーゲル:早い脳/遅い脳
モデルの目的認知バイアスと意思決定の非合理性を説明感情調整と対人関係・自己統合の促進
応用対象経済、心理実験、認知科学セラピー、教育、身体心理、愛着
処理単位認知的プロセスの違い(知覚/推論)神経系の発火パターン、身体反応と情動
キーワード自動 vs 熟慮/バイアスと合理性情動 vs 意図/安全・つながり・再統合

ロルフィングにおける「FastとSlow」の調和とは?

ロルフィングでは、触れられた瞬間に緊張する「早い脳」の記憶に対し、呼吸・重力・空間の感覚を通して「遅い脳」を呼び起こす支援を行う。

このプロセスは、脳だけでなく「身体の奥に刻まれた反応パターンの再教育」でもあ流。

たとえば:

  • 島皮質の活性化(身体感覚への気づき)
  • 副交感神経の優位化(安全の体感)
  • 言葉よりも“間”や“空気”への信頼

これらを通じて、反射的に反応する生き方から、選択的に応答できる在り方へとシフトしていく。

まとめ:「Fastを否定せず、Slowとつなぐ」

カーネマンのSystem 1は、バイアスを含んだ認知のクセを教えてくれる。シーゲルのFast brainは、傷つきやすい神経系が「生き延びよう」として走る軌道を示す。

私たちが行うべきことは、それらを否定したり矯正したりすることではなく、Slowな自己とのつながりの中で、Fastを抱きとめることだ。

それが、ロルフィングやIPNBが語る「統合(integration)」の本質。

シーゲルの言葉を借りれば、

“Linking differentiated parts into a functional whole is called integration.”
(分化された部分が、機能的な全体へとつながること。それが統合である)

次回予告:

第3回では、右脳主導の乳児期の発達と愛着形成に焦点を当てます。母子の共調整(co-regulation)、感情記憶の形成、そして“つながりの原初的地図”について、身体と脳の対話から掘り下げていく。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka