はじめに
東京・渋谷でロルフィング・セッションを提供している大塚英文です。

今年、10年ぶりに開催されている、東京・市ヶ谷で日本ロルフィング協会主催のアドバンスト(上級)・トレーニング(AT)に参加している。講師は、Ray McCall先生と田畑浩良先生の2名。
後半(Phase 2)の3日目(2025年6月26日)を終え、4日目を迎えた段階だ。今回のトレーニングの特徴は、外部クライアント、生徒同士でそれぞれ3セッション提供。手技を練習することになる。
Phase 2で何を学ぶのか?
初日は、Phase 2で何を取り組んだらいいのか?参加者の11名が3つのグループに分かれてディスカッションを行った。その結果、Phase 2で学ぶこととして、
1)ロルフィング10回セッションを終えた方に、更に身体を深めたい向けのセッション(3、5回のセッション)を提供する際に、どのように戦略を立てるのか?
2)基礎トレーニングで学んだ手技を含めたアプローチを深める
3)セッションの基本的な評価法についてを確認し、内容を深めること
等が整理された。
特に、私自身、どのように手技(touch)を使って筋膜へアプローチするか?ロルフィングの表層(sleeve)と深層(core)のセッションでの手技の使い分け、手の圧に緩急をつけながらセッションを提供することが一つの課題なので、そこを2名の講師とともに確認できればと考えている。
今回もブログにて色々と書いていこうと思うのだが、3日目に印象に残ったことからまとめていきたい。
そもそも、ロルフィングのセッションにおいて、技術や知識以上に問われるのは、「どのようにクライアントと関わるのか?」という姿勢だ。これは、コーチングを含めた、傾聴していく上でのあり方にもつながる考え方でもあると思う。
実は、セッションを通じて変化が起きるのは、単に筋膜に働きかけた結果ではない。そこにどんな関係性が築かれているか、どんな場が共に育まれているか──それこそが、本質的な変容の土台になる。
セッションの目的は「ダンス」である
印象的だったのは、今回とある受講生が、セッション中に体験したことを「ダンスのようだった」と表現したことだった。
それは、クライアントと施術者のどちらが主導しているとも言えない、不思議な「共振」のような動きと表現した。
「僕がやっているわけでもなく、田畑さんがやっているわけでもない。波のような動きが自然に起こっていた。」
このような現象が起きるとき、施術者は“介入する者”ではなく、場に立ち会い、変化をホールドする者としてそのプロセスに関わっていると、Rayは説明した。
関与しすぎず、しかし無関心でもない──ニュートラルという在り方
では、その「共にいる」感覚はどうすれば育まれていくのか?
Phase 1でたびたび取り上げたが、その鍵となるのが、ニュートラル。Rayは、セッション中に起きることに関して、「Kind Indifference(優しい無関心)」の状態が重要だとトレーニングで表現していた。
要は、
- クライアントの体験に過剰に巻き込まれないこと
- しかし同時に、深く関心をもって見守ること
という意味。
この絶妙なバランスが、変容の場を開くのです。
オステオパスのJim Jealousは、
The process is none of your business. Observe, but do not become part of the story.
「クライアントのプロセスは、私たちの“ビジネス”ではない。観察はしても、ストーリーの一部になってはいけない。」
と表現している。
プランは「変わるために持つもの」
さて、そのような考え方の下で、どうセッションを構成するか?──これは、技術的な戦略以上に「クライアントとの関係の築き方」に深く関わっている。
We talk about the importance of a plan, but then when you test the body, the plan becomes irrelevant. So we could say, perhaps maybe the purpose of a plan is to have something to change. “So you could say that the purpose of a plan is to have something to change, when you encounter reality.
私たちは、プラン(計画)を持つことの重要性について話す。しかし、実際に身体に触れてテストしてみると、そのプランは無意味になってしまうことがある。だから、こう言える──プランを持つ目的は、それが現実に出会ったときに変わる“何か”を持っておくためであると。
つまり
「つまり、プランを持つということは、現実と出会ったときに手放すための“何か”を用意しておくことなのです。」
この言葉は、関係性の中で施術者がいかに柔軟性を保つことが重要かを示していると言える。
最初に立てた計画が、実際に触れた瞬間に変更を迫られることが大いにある。そこで「自分の正しさ」に固執するのではなく、クライアントの体が示す方向を信頼するという姿勢が求められると言える。
直感に従えるかどうかは「ニュートラル」かどうかで決まる
セッション中に、身体のある部位がふと「呼んでいる」ように感じることがある。2日目の田畑さんのデモを見ていた時にも、そういった場面に遭遇することが多々あった。しかし、それが単なる思い込みか、確かな知覚かをどう判断すればいいのだろうか?
「それを信頼できるかどうかは、自分がニュートラルな状態にいるかどうかにかかっている。」
とRayはいう。
ニュートラルであれば、身体の中にある微細な“呼びかけ”を受け取ることができる。逆に、マインド(思考)やユング派の心理学用語でいう、コンプレックス(Complex)にとらわれているときは、その直感が歪んで伝わってしまうとのことだ。
「支配」ではなく「伴走」する関係へ
このように見ていくと、ロルフィングにおける「関与」とは、クライアントを導くことではなく、共に在ることだとわかる。
- 判断しすぎず、無関心でもなく
- 変化に介入しすぎず、手放しすぎず
- 身体の声に耳を澄まし、プロセスを信頼する
それはまるで、一歩後ろから見守るような「伴走者」としての姿勢。この在り方こそが、クライアント自身が自分のプロセスにアクセスする自由を保証すると言えるのではないかと思う。
今回のPhase 2では、このような姿勢を大事にしつつ、生徒同士、外部クライアントとのセッションの練習を行っていければと考えている。
まとめ:関係性が癒す
ロルフィングは、筋膜を扱う手技であると同時に、関係性を通じて統合が進むプロセスの一つと言える。だからこそ、セッション中に自分がどんな在り方でいるか、自分の“中心”に戻れるかが問われ続けると言える。
田畑さんは、HARA(肚)、Rayは、ニュートラルとそれぞれ表現しているわけだが、結局は、「どう関わるか」は、ロルフィングの技術ではなく、哲学であり、態度そのものと言える。
少しでもこの投稿が役立つことを願っています。