2016年3月5日(土)、ルーテル市ヶ谷教会で日本ロルフィング協会(Japan Rolfing Association、JRA)に参加してきた。2015年3月25日にドイツ・ミュンヘンでロルファーとして認定されてからほぼ1年となる。
午前中は海外のロルフィング・インストラクター(Carol Agneessens先生とRay McCall先生)の話を正味2時間(午前9時半〜午前11時半)伺うことができた。昨日まで開催されていたロルファーのアドバンスト・トレーニングのための来日だったということもあったが、貴重な機会となった。
124名の日本人ロルファー(2016年3月5日現在)のうち参加者38人。Ida Rolfがどのようにロルフィングを考えていたのか?についてのお話を聞くことができた。
内容を簡単にまとめると
- ロルファーのエメット先生によると、Ida Rolfは、1978年に米国・ボルダーにあるRolf Institute(以下RI)にロルフィングの権利を売った時に、指導する際の指導料の何パーセントを契約書に盛り込んだのと同時に、3つの種類の学校を設立してほしいという要望をRIに出した。心理学的な部分をカバーする学校(California)、医学的な側面をカバーする学校(New York)、スピリチュアルな側面をカバーする学校(Colorado)。ということはIda Rolfは、ロルフィングにおいて肉体的な側面以外に感情的な部分、スピリチュアルな部分の重要性についても考えていたということになる。このような形の学校は実現しなかったが。。。
- なぜIda Rolfは、整体のような身体的なアプローチを重視したか?それは、手に触れてコンタクトできるのは肉体的な部分のみだから(`Only thing that I can get hands on is physical’)という。
- 歴史が進み、オステオパシーの頭蓋仙骨療法(クラニアル・セイクラル)や内臓マニピュレーションの手技がロルフィングに入り、身体というのはこちらから積極的に介入しなくても自ずと変化するの能力を持つということが明らかになっていく。
- 手のタッチもしっかりとした接触だけではなく、その場にいるだけ(To be present)というタッチも有用であることがわかってきて、その人各々向けの手によるコンタクトがあるということも明確になっていった。
- タッチの範囲も広がったことにより、女性の体重が160ポンド以上でなければロルフィングの指導を受けられなかった(らしい)のだが、一般女性でも受けられるようになったというエピソドの紹介もあった。
- Ida Rolfは、エネルギー的な側面にも興味を持っており、弟子の一人にRIにあるボルダーの山でエネルギースポットを探してきて、そこに座った感想を教えてほしいとか、クラス中に感情を乱したクライアントに対して、太陽神経叢に触れてみると落ち着くよということを助言。実際に落ち着いたということもあった。
- このようにIda Rolfは知識が豊富で色々と知っていたのだが、当初はロルフィングの知識を医師に伝えようと考えていたそうだ。ただ、それがどういうわけだか、うまくいかず、最終的にEsalen研究所で料理人や清掃員などの肉体労働者に対して指導をする形で普及していくことになる。
お話を聞く間、手を相手の腿に触れるというペア・ワークを行った。一回目は何も準備しない状態で、二回目は、自分の肉体に意識を持って行き、後ろに空間がある状態で身体に真ん中の線を意識しつつ、手を浮かせながら、腿が手に情報が来るようにするという方法で。私が感じたところ、後者の手で身体を触れると、身体全体が変化して整っていくような印象を受けた。
最後に、10回シリーズをIda Rolfはどのようにして作ったのか?文献に書いていないので教えてほしいということを私の方から質問したところ、そういったものは文献には書かれていないのでわからないと述べつつ、最初口頭で教えていたことが、生徒がそれを持ち帰ってアイデアを奪うことをしていたことから、10回フォーマットを用意するようになったということだ。これには、10回フォーマットいう売りやすいマーケティング的な側面のみならず、数字一つ一つ意味があるように数秘的な考え方も含まれているのではないか、という考えも紹介。最初Structual Integrationではなく、Body Rebalancingと呼ばれていたことなどについても述べていた。
どちらかというと質問すべきなのは、ロルフィングでないものは何か?ついてと言うことを言っていたのが興味深かった。おそらく、ロルフィングのカバーする範囲が広くなったということ危惧するようなことなのかもしれない。
このように色々と話していくうちに2時間がすぐに経過。時々、こういった形で先生にうかがうことも大切だな、という感想を持った。