Supervision WS – Pierpaola Volpones(3)〜最終日

6日間にわたったSupervision Workshopも、昨日(2016年12月18日)に終了した。13人の参加者とともに一人のクライアントを担当し、その合間に手技の練習をおこなった。

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手技も、手から腕と、内転筋から骨盤底までの足の2つを中心に取り上げ、パートナーと組んで練習を行う。ロルフィングのトレーニングで、今回は男性が3人、女性が10人と大幅に女性の数が多かったのが、過去のトレーニングと違う点だ(参考に、Phase IIは8人全員男性、Phase IIIは9人男性、1人女性)。

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もう一つ違う点は、日本人のロルファーが合計で2名参加していること。パートナーを組み、日本語で会話する機会があったのだが、ドイツのトレーニングでまさか日本人と一緒になるということは思いのほか予想外だった。そのロルファーとは初対面にもかかわらずすぐに親しくなった上、色々と学ぶことがあったので、収穫があった。

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また、日本国内でロルフィング・セッションを提供する際に7割近くが女性なので、女性の身体に触れるということは慣れているが、外国籍の人たちに触れるというのは初めてだった。日本人に比べて体格の大きな女性に触れることで、いい経験ができた。

クライアント・セッションの時もそうだったが、身体をどのように使えば効率よく、自分の身体に負担をかけずにセッションを進めることができるのか。基礎的な部分に絞って、PaolaやFuensantaからフィードバックをいただいている。

例えば、親指や指全体で身体に触れることが多いが、どういったタイミングで肘、腕、手の甲、手のひらを使うのか。身体の部位に合わせた使い方をわかりやすく、丁寧に伝えてくれるので、より基礎的な面における点検ができた。

Paolaのワークショップは過去のトレーニング同様、教科書というものがなく、大きな画用紙にPaolaが説明している時にFuensantaがメモを取り、ワークショップ中、教室に一枚一枚の画用紙をはり出すという形で進んでいった。

興味深かったのは、PaolaがTeachとEducateの違いを説明していたこと。Teachというのは手順を一つ一つ伝えて、生徒に手技を覚えさせること。一方でEducateというのは、生徒の良さを引き出す(Eduは引き出すという意味)ために、どうしたらいいのかを生徒に考えさせること。

Paolaの教え方は、どちらかというと後者に感じた。どのようにしたら原理原則が学べるのか。その後、どのようにしたらそれを応用して自分でテクニックを身につけるのか。そういう意味で。

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最終日のすべての日程を終えたあと、輪になり一人一人振り返った。自分もそうだが、これで基礎トレーニングが終わったのだということを実感するのと同時に、自分なりの長所を持って、どう一人一人のクライアントの良さを引き出すのかが、これからの課題となりそうだ。日本へ帰国後、セッションを行うのが楽しみだ。

2026年8月の注記

最終日に Paola が説明したのは、Teach と Educate の違いだった。Teach は手順を一つ一つ伝えて手技を覚えさせること。Educate は、生徒の良さを引き出すために、どうしたらいいかを生徒自身に考えさせること。

そして、この記事の最後の段落を読むと、その区別が別のところへ移っている。基礎トレーニングが終わったことを実感しながら、これからの課題として書いているのは、自分なりの長所を持って、どう一人一人のクライアントの良さを引き出すのか、である。

教える側について聞いた話が、その日のうちに、施術する側の課題として書き直されている。生徒とクライアントを入れ替えただけで、そのまま通る。教育の話として渡されたものが、実務の姿勢になった。

同じ場所に、後になって受け取るものがいくつも重なる。答えを与えずに時間を渡すこと、相手の側で何かが形になるのを待つこと、こちらが何を語るかではなく相手が何を取っていくかで考えること。基礎トレーニングの最後の日に置かれたこの区別は、その後に受け取ったもののほとんどが戻ってくる場所になっている。

もう一つ、この記事はワークショップの進め方を具体的に書いている。教科書はなく、Paola が説明しているあいだに Fuensanta がメモを取り、大きな画用紙に書いて、教室に一枚ずつ貼り出していく。

書き留めてはいる。ただ、持ち帰れる形にはしていない。話された順序のまま、その教室でだけ意味を持つ形で壁に増えていき、終われば剥がされる。言葉にすることと、教科書を作ることは、この課程では別のこととして扱われている。

十一年たって、こちらは残す側に回った。教室で貼り出されて剥がされたものを、書き留め、後から注記を加え、別の言語に移している。あのとき壁にあったものは残っていないが、こうして残せるものもある。基礎トレーニングを終えた日に何が課題として見えていたかは、この記事があるから今も読める。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka