Supervision Workshopも3日目(2016年12月15日)が終わった。ちょうど中間地点に到達し、夜には懇親会が開催された。

2日目と3日目を振り返る前に、Pierpaola Volpones先生(以下Paola)について書きたい。実は、懇親会でちょうど真向かいになり、Paolaと話している中で興味深いことを聞くことができたので、そのシェアから始めたい。

Paolaがトレーニングを受けたのは80年代。その時のトレーニングの指導者は米国人ロルファーで、ミュンヘンで受講した。面白いのは、私の受けた2015年とはまるで違うアプローチだったこと。現在のようにPhase I/II/IIIではなく、Audit(観察)の段階(9週間)、Practitioner(施術者)の段階(9週間)の2段階があったというのだ。
Auditの段階では、ただPractitionerを観察するだけで、施術を行わない。次のPractitionerに進むと、各回のセッションに対して、生徒同士の交換、3人のクライアントと合計で4セッションを行なっていく。そして、すべてのセッションに対して時間をかけて、色々な角度から徹底的に身体観察を行なったという。そして驚くことに、テキスト、写真や手技の練習など一切なく、ただセッションをこなすという形でトレーニングが進んでいた。
そういったことをシェアしてくれた。
その後、2000年に入り、PaolaはHarvey Burns先生やRobert Schleip先生からの誘いにより、Harvey Burns先生のアシスタントを務めることになった。Paolaは全くInstructor(指導者)になろうとは考えていなかったというのは事実らしく、いつの間にという感じだったという。そして、Ray McCall先生、Pedro Prado先生のアシスタントや、Hubert Godard先生からの影響を受けつつ、最終的に2006年にはInstructorに認定される。

私が今回Paolaの指導を受けていていいと思うのは、シンプルに物事を表現するということ。Paola自身も、指導するようになってから、無意識に行なっていることを言語化するのに非常に勉強になったと言っていたが、本当に言葉がわかりやすい。
例えば、ロルフィングのセッションで施術を行う際には、場合によってクライアントに動いていただく場合がある(Active Movement Participation、AMP。能動的に動きに参加するという意味)。
AMPの目的には、
- Palintonicity(2方向性)
- 身体の意識を向上させる
という二つの意味があり、2方向性は身体のある部分は止まり、ある部分は動くということ。

身体の意識を向上させるというのは、触れている身体の部分をイメージしやすいように名前(解剖学の厳密な用語でなくてもいい)をつけて、どことどこが別々に動くのかを、動きを取り入れながら体験していただくこと。
このように説明を受けることで、Phase IIやPhase IIIで学んだことを、より言葉で明確に理解できるようになった。他にも、セッションが終わる前の座位での施術(Sitting Workという)をどう行うのか。足を意識しながら背骨へのアプローチをメインに行うのだが、AMPと絡めて説明を受けたことで、より意味が明確になったと感じることができた。

2日目と3日目は、午前中に腕を中心とした施術の練習、昼食を経て、午後2時からはクライアントを招いたセッションが行われた。2日目はグループA(7名)、3日目はグループB(6名)で、グループAは2日目と4日目、グループBは3日目と5日目に一人クライアントを担当し、クライアント・セッションを行うことになる。
そして午後4時以降に、セッションの感想のシェアと再び練習と続き、午後6時に終わる。
私はグループAだったので、2日目にクライアント・セッションを経験。Phase IIとPhase IIIで体感した時に比べると、リラックスして身体観察、プラン、そして施術を滞りなく進めることができた。
さて、トレーニングは残りあと半分。特に今回の課題である、身体へアプローチする際にどのようにしたら疲れないか、身体を痛めないかについて、Paolaから貴重なフィードバックをいただいているので、日本へ帰国後、施術に力がいかに入らずに効果を出すのか、もう少しうまい形でセッションへ取り入れられそうだ。
明日には2回目のクライアント・セッションが控えている。是非とも楽しみたい。
2026年8月の注記
懇親会で向かい合って聞いた話のなかに、一つ、後から効いてくるものがあった。Paola が、指導するようになってから、自分が無意識にやっていることを言葉にするのに非常に勉強になった、と言ったところである。
Paola が受けたのは80年代の課程で、テキストも写真も手技の練習もなく、ただセッションをこなす形だったという。言葉にされないものを受け取った人が、渡す側に回って初めて、それを言葉にする必要に迫られたことになる。
そして本人は、教師になるつもりがなかったと言っている。Harvey Burns と Robert Schleip に誘われてアシスタントを引き受け、いつの間にか、という感じだったと。同じ教室にいた Fuensanta も、ERAの教員になったのはこの日から二年後のことで、それより前からアシスタントを務めていた。誰も最初から教える側を目指していない。それでも渡す側に回った時点で、言葉にする仕事が始まる。
言語化を疑う立場については、このシリーズで書いたことがある。方法を言葉にすること自体に懐疑を向ける人がいて、その立場からすれば教科書の不在は必然になる。ここで起きているのは、その反対側である。教えるという行為そのものが、言葉にすることを強いる。同じ系譜のなかに、両方が並んでいることになる。
その言語化の産物を、この日は受け取っている。AMP、Active Movement Participation。施術中にクライアントに動いてもらう操作を指す。目的は二つあり、一つは二方向性、身体のある部分は止まり、ある部分は動くこと。もう一つは身体の意識を高めること、触れている部分に名前をつけて、どことどこが別々に動くかを体験してもらうことである。
二方向性は、基礎トレーニングの早い段階で概念として学び、五原則の一つとしても扱った。それがここで、いつ、どのように動いてもらうかという手続きになっている。概念のままでは、目の前のクライアントに何をすればよいかは決まらない。名前をつけて、別々に動く場所を体験してもらう、というところまで降りて初めて手が動く。
この記事が、Phase IIやPhase IIIで学んだことをより言葉で明確に理解できるようになった、と書いているのはそのことだと思う。
言葉にされずに渡されたものを、言葉にして渡し直す。それを誰かがどこかでやっているから、次の人が受け取れる。教科書がないという話は、渡されるものが少ないという意味ではなかった。
