第4回:身体の内側にも、センサーがある──迷走神経と内受容感覚

呼吸をもう一度──科学から見る 第4回(全4回)

本記事は「呼吸をもう一度──科学から見る」シリーズ全4回の第4回である。本シリーズは、ロルフィングのセッションを8年提供してきた時点で、科学的な知見の側から呼吸を書き直したものにあたる。2015年、基礎トレーニングの期間中に書いた呼吸シリーズ全4回とは、立っている位置が違う。最終回では、呼吸を含む身体の内側の感覚そのものを扱う。

はじめに身体感覚とは何か

私は、2015年6月から渋谷・恵比寿・代官山にて、ロルフィング・セッションを提供している。

手技を使ったロルフィングが、マッサージと整体と違って効果が持続する理由は「整体・マッサージとの違い〜症状か構造か?」に書いた。その一環として、ロルフィングによって身体感覚(内受容感覚)が養われると、何がいいのか?直感や迷走神経との関係についてまとめたい。

ロルフィングは「身体感覚」を養うことで、身体の姿勢を改善。効果が持続する。「身体感覚」とは「体内の状態に気づくこと」。

実は、外の世界から情報を受け取る、五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)に対して、体内にも情報を受け取るセンサーがあり、脳に情報が送られる。

このセンサーが「身体感覚」(内受容感覚)と呼んでもいい。

内臓、筋肉の中、骨の中等、全身から生まれ、

「現在の自分の状態」

「今この瞬間に自分はどう感じるのか?」

等

「体内の感覚のバランスを保つためには、どんな行動を取ったらいいのか?」

身体感覚をつなげていくことで、一つのイメージを作り上げる。

なお、この回で扱う内容の多くは、スタンフォード大学のAndrew Hubermanが、脳と身体のつながりについて論じた回に依っている。臓器が脳の働きにどう影響し、脳が臓器をどう制御しているか。その対話に意識的に気づくことを内受容感覚と呼ぶ、という枠組みだ。

迷走神経と内臓との関係〜コミュニケーションと感情を作ること

センサーで重要な役割を果たすのが、迷走神経だ。迷走神経とは、脳から腹部まで到達する唯一の脳神経で、頭(脳幹)から、胃腸管、気管支、心臓につながっており、内臓の働きに関わっている。

興味深いことに、肺(呼吸)心臓(心拍数、血圧)、胃腸(空腹か、満腹か、栄養素の何が入っているのか?)、胃(胃酸が出ているか?)、腸(腸内細菌のバランス)、脾臓(免疫の働き)等の情報は、絶えず迷走神経から脳へ伝えられる。迷走神経の情報が「身体感覚」となって脳に情報が伝わるわけだ。

伝わる情報は、大きく2種類に分けられる。機械的な力——圧、痛み、容量など——と、化学的な要因——腸の酸性度、微生物叢の多様性など。この2つが組み合わさって、気分、炎症、免疫の働き、怪我からの回復までを左右している。

例えば、食事を摂った後、蛋白質、脂質、炭水化物がどれだけ、胃腸内に入ったのか?迷走神経経由で30分以内には脳に伝わっており、小腸で栄養を吸収する(約4〜6時間かかる)満腹、又はもっと、栄養素を求める行動をとるようになる。

実際、迷走神経は、副交感神経として身体を落ち着かせる役割があることに注目が行きがち。しかしながら、砂糖を摂ると、迷走神経から脳へ情報が伝わり、もっともっと砂糖を欲するような行動をとるように促すので、迷走神経は身体を活性化する方向でも働くのだ。

ここは、Huberman自身が繰り返し注意を促している点でもある。迷走神経の活性化が常にリラックスにつながる、という理解は正確ではない。迷走神経への電気刺激は、孤束核の経路を通じて、むしろ覚醒を高めうる。落ち着かせるだけの神経ではない。

そして、身体がストレスを感じると、迷走神経はOFFになり、脳と内臓とのコミュニケーションが行われなくなる。ストレスによって、胃腸の状態が悪くなるというよりも、胃腸からの情報が伝わらなくなることで、消化不良等を起こすのだ。

これは、内受容感覚の研究の側からも裏づけがある。内受容感覚の正確さは、感情の調整やストレス耐性と正の相関を示し、急性のストレスの後には、その正確さが低下することが観察されている。ストレスがかかると、身体の内側が読みにくくなる。

最後に、迷走神経は、心臓(心拍数、血圧)肺(呼吸)、胃腸(消化、吸収)、血中のホルモン等の情報から判断し、身体がどのような「感情」「気分」表現するのか?統合し、脳に情報を伝える役割も果たすのだ。結果的に、顔の表情に「感情」が現れるのだ。

迷走神経は、下りるだけではない

ここで一度、整理しておきたい。

迷走神経には、二つの向きがある。脳から臓器へ下りていく方向と、臓器から脳へ上がっていく方向。前者を遠心性、後者を求心性と呼ぶ。

この記事がここまで扱ってきたのは、すべて上りの側である。内臓から絶えず情報が上がってきて、それが身体感覚になる。

下りの側については、11年前に別の記事で書いている。2015年2月、基礎トレーニングのPhase IIIの期間中に、Phase IIで学んだポリヴェーガル理論についてまとめたものだ(「顔の表情が安心を作る〜ポリヴェーガル理論と2つの迷走神経」参照)。

そちらで扱ったのは、Stephen Porgesの理論である。迷走神経には有髄のもの(腹側)と無髄のもの(背側)があり、前者は哺乳類が新たに発達させたもので、顔面表情と発声をコントロールする頭蓋の神経につながっている。新しい迷走神経、交感神経、古い迷走神経の3つが階層構造をとり、安全を感じれば一番上位が働き、危機が訪れれば下位へ降りていく。

同じ神経を、別の面から見ていることになる。

理論をめぐって

ただし、この理論には現在、大きな議論がある。

Andrew Hubermanは、ポリヴェーガルという語が迷走神経の複数の枝を反映したものであり、その複雑さ自体は認めるとしたうえで、Porgesのモデルが現代の解剖学的な理解と完全には一致しないと指摘している。そして、十分な生理学的根拠がないまま、心理的・身体的な状態についての診断的な主張に使われることに問題があるとも述べている。

2026年には、より大きな批判が出た。バーゼル大学病院で心身医学の研究部長を務めたPaul Grossmanが、自律神経系の研究者38名との共著で、ポリヴェーガル理論は支持できない、とする論文を発表している。39名の専門家に評価を依頼した、20年にわたる仕事だという。

主な論点は3つある。

一つは、RSA(呼吸性洞性不整脈)を迷走神経の緊張度の直接の指標として使うことは支持されない、というもの。RSAは複数の影響を反映しており、腹側迷走神経の活動だけを一意に示すことはできない。呼吸の速さと深さ、圧受容器反射、二酸化炭素の値、交感神経の活動、加齢、心臓自体の機構に左右される。

二つ目は解剖学で、疑核と背側運動核の機能的な区別、有髄と無髄の強調は単純化しすぎであり、現在の証拠に支持されない、と。

三つ目は進化で、哺乳類の迷走神経の経路が固有だという物語は誇張されており、爬虫類や魚類にも類似の構造がある、と。

Porges側も応答している。この批判は神経解剖学と神経生理学を混同しており、理論を測定の論争に還元してしまっている、と。そしてPorges自身が、HRVは迷走神経の状態の直接の読み取りではなく、複数の変数に影響される代理指標だと認めている。

決着はついていない。同種の批判は2007年頃から査読文献に出ており、そのたびにPorgesが応答してきた、という整理もある。第三者の見方も、批判は正当だが理論が崩壊しつつある兆候ではない、とするものと、もはや支持できない、とするものに分かれている。

一点、この回にとって重要なことがある。

批判が向かっているのは、いずれも下りの側である。背側と腹側の区別、進化の順序、そしてRSAを迷走神経の緊張度の指標として読むこと。内臓から脳へ情報が上がってくること自体は、論争の対象になっていない。内受容感覚の研究は、別の系統で積み上がっている。

この回が扱っているのは、その上りの側になる。

ただし、本シリーズの「第2回:横隔膜は心臓とつながっている──呼吸と心拍、脳幹の二つの核」でHRVを扱った。あれはRSAそのものであり、批判の第一の論点にあたる。高ければ副交感神経優位、低ければ交感神経優位、という読み方は、そう単純ではないということになる。

なぜ、内受容感覚が大事なのか?〜無意識と心拍+呼吸のリズム

人体のすごいところは、親しい人と接している時、無意識に、心拍数、呼吸などのリズムが同期するのだ。

なぜ同期が意味を持つのか。内受容感覚の正確さが高い人は、感情の反応がより強く、他者の感情に対する感受性も高いことが報告されている。自分の内側を読む力と、相手を読む力が、同じところから来ているらしい。

裏を返せば、自分の内側が読めていないと、同期しているのに気づかないまま、相手の状態に引きずられることになる。逆境に立った時、相性の悪い人と出会った時、挑戦しているときに、自分の内受容感覚を整える時間を作ると、状況を打破し、乗り越えられる可能性が高いのは、そのためだ。

この、共感と内受容感覚の関係については、後に「感じる力は“共鳴する脳”から──共感と自己感覚を育む神経回路」で詳しく扱っている。ミラーニューロンから島皮質を経て中前頭前皮質へ至る回路のうち、島皮質が担っているのが、他者の動きや表情を「自分の内側の感覚」として感じ取る段階になる。

内受容感覚は、養える

いわば、内受容感覚は、自分の中で養える「直感」と言ってもいい。

直感という言葉には、根拠のない当てずっぽうという含みがついて回る。だが、意思決定における感情の役割を扱ったソマティック・マーカー仮説は、そうは考えない。感情のプロセスは意思決定に不可欠であり、それは感情に結びついた身体の感覚に依拠している、という見方である。腹に落ちる感じというのは、身体からの信号を読み取っているということになる。

素晴らしいのは、内受容感覚を養うことができるのだ。

これは実験でも確かめられている。8週間のボディスキャンを行った群では、心拍知覚の課題で測った内受容感覚の正確さが有意に改善した。内受容感覚は、身体の信号に注意を向ける長期の実践によって改善しうる、という結論が出ている。心拍の知覚そのものも、訓練できることが知られている。

実際、筋膜へのアプローチで姿勢が整うロルフィングによって、内受容感覚を養うことができるからだ。

まとめ

今回のブログでは、身体感覚(内受容感覚)とロルフィングのとの関係を「迷走神経」の役割からまとめさせていただいた。

4回を通じて呼吸を辿ってきて、最終回で行き着いたのは、呼吸が身体の内側の感覚の一部だということだった。

内臓から絶えず上がってくる情報の中に、呼吸がある。心拍がある。それを感じ取れるかどうかで、自分の状態も、相手との距離も変わってくる。

呼吸は、意識的に触れられる数少ない内受容感覚の一つになる。心拍や消化は意志では動かせないが、呼吸は意識を向けた瞬間に感じ取れて、しかも変えられる。だから、10回シリーズが呼吸から始まる。

呼吸をもう一度──科学から見る(全4回)

2015年、基礎トレーニングの期間中に書いた呼吸シリーズは、こちらにある。

呼吸シリーズ(全4回)

2026年9月の注記

この記事を書いたのは2023年6月で、迷走神経が内臓から脳へ何を伝えているかを扱っている。肺、心臓、胃腸、胃酸、腸内細菌、脾臓。そこから上がってくる情報が身体感覚になる、と。

同じ神経について、11年前にも書いていた。

2015年2月、基礎トレーニングのPhase IIIの期間中に、Phase IIで学んだポリヴェーガル理論をまとめた記事である。そちらで扱ったのは、有髄と無髄の二つの迷走神経、顔面表情と発声、そして新しい迷走神経・交感神経・古い迷走神経という階層構造だった。

二つの記事は、同じ神経の逆の面を見ている。

2015年が見ていたのは、脳から臓器へ下りていく側だった。顔の表情が安心の合図になり、その合図が相手の神経系に届く。外へ向かう働きである。

2023年が見ていたのは、臓器から脳へ上がっていく側だった。内臓の状態が絶えず報告され、それが自分の感じとして像を結ぶ。内へ向かう働きになる。

書いているときには、どちらも「迷走神経について書いている」としか思っていなかった。向きが逆だということに気づいていない。

そして11年のあいだに、この二つの面には差がついた。

下りの側は、いま大きな論争の中にある。本文に書いたとおり、2026年にPaul Grossmanと38名の研究者が、ポリヴェーガル理論は支持できないとする論文を出した。背側と腹側の区別、進化の順序、そしてRSAを迷走神経の緊張度の指標として読むこと。Porges側も応答し、決着はついていない。

一方、上りの側——内臓から脳へ情報が上がり、それが身体感覚になるということ——は、論争の対象になっていない。内受容感覚の研究は、別の系統で積み上がっている。

2015年に書いたほうの記事は、Porgesの説明をそのまま紹介する形で書いた。当時はそれが最新の知見だった。11年経って、その枠組みの土台のほうが問われている。

ここで、押さえておきたいことがある。

こういう経緯を見ると、あの理論は間違いだったのか、と受け取られることがある。だが、話はその逆である。

ポリヴェーガル理論は、具体的な主張をしていた。腹側の迷走神経は有髄であり、哺乳類に固有であり、RSAがその活動を反映している、と。具体的に言い切ったからこそ、どの部分をどう調べれば確かめられるかが決まった。だから39名の研究者が20年をかけて検証でき、Porgesが応答でき、いまも議論が続いている。

反証できるということは、科学の弱点ではなく、条件のほうだ。何を言っても当てはまる説明は、確かめようがない。確かめようがないものは、覆りもしないかわりに、前にも進まない。

ボディワークの世界で、この理論は広く受け入れられている。安全、危機、凍りつきという三つの状態は、施術の場で起きていることに名前を与えてくれる。分かりやすいことは、それ自体が力になる。ただ、分かりやすさは正しさとは別のことで、いま問われているのはその土台のほうである。

そして、こうして検証にさらされていること自体は、あの理論が科学の側にいることの証でもある。

本文で、この記事が扱っているのは論争の外側だと書いた。ただしそれは、この記事が慎重だったからではない。たまたま、そういう側を書いていただけである。

いま確からしく見えているものが、11年後にどうなっているかは分からない。分からないまま書くしかないが、書いたものを後から確かめられる形にしておくことはできる。この注記は、そのためにある。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka