【R#383】空間は「ないもの」ではなく「あるもの」──足裏の“目”から始まる知覚の捉え方──Phase 2の第二週目を終えて〜AT-2(7)

はじめに

こんにちは。渋谷・恵比寿でロルフィング・セッションを提供している大塚英文です。

現在、東京・市ヶ谷で開催されたアドバンスト・ロルフィング・トレーニング(Phase 2)に参加中(講師は、Ray McCall先生と、田畑浩良先生)。第二週の週末(2025年7月4日、現在)を迎え、学んだことを振り返っている。

「Eye of the Foot(足の目)」と呼ばれるエクササイズは、Rayが毎回、トレーニングで紹介しているとのこと。自分の身体の見方や、空間との新たな関係性を発見することができ、非常に興味深かった。

2025年7月4日(金)に行った感覚トレーニングの一つだったが、ロルフィングの本質──重力との調和、統合、そして“関係性の回復”というテーマに直結するものであった。

今回は、このワークを中心にまとめたい。

Eye of the Foot──足裏に“目”を持つという感覚

このワークでは、まず「足裏に目がある(Eye of the Foot)」と仮定し、それを開いたり閉じたりすることで、身体内部や周囲の空間にどのような変化が起こるかを観察する。

「Eye of the Foot」を閉じて立つと、身体全体が収縮し、地面との接触感が変わる。対照的に「Eye of the Foot」を開くと、骨盤底や横隔膜の開放感、重力との関係性が変化する。歩行中に開閉を繰り返すことで、周囲との距離感、空間との一体感がまったく異なるものとして感じられるようになる。

空間の“質”を感じ取るということ

空間とは「何もないもの」ではない。むしろ、空間とは私たちと対象物との関係性が生じる“場”であり、“質”を持った存在である。対象物に集中して意識を向けたときと、その“間の空間”に意識を移したときとでは、身体の反応が明確に変わる。さらにその空間の「背後」まで認識することによって、より広範囲にわたる身体的支持と安心感が生まれる。

ある参加者は、空間を「みずみずしいもの」「密度を持ったもの」として感じたと語っていた。これは、空間がただの「背景」ではなく、身体が応答し、関係を持つ“相手”として存在していることを示している。

私の場合は、前景(Foreground)と背景(Background)を交互にスイッチする感覚を養うことができ、空間認識が変化したように感じた。

セッションへの応用──「触れる」よりも「空間を観る」

このエクササイズが教えてくれるのは、「空間を観ること」こそが、プラクティショナーとしての身体の見方と、タッチの質を変えることだ。触れようとするのではなく、その人の周囲や内部にある“空間”の質に耳を澄ますこと。そのことで、身体が発するメッセージを傾聴することができ、身体の変化の可能性が自然に立ち上がってくるような感じになる。

トレーニング中にも繰り返し語られたのは、「パターンを修正しようとするのではなく、そのパターンを生み出している“力”と出会うこと」の重要性であった。そのための入り口の一つが、この“空間知覚”だという。

空間認識が変わると、自己感覚が変わる

「Eye of the Foot」のワークの中で、自分の内側にある中心軸(Center line)と、空間に広がるHorizontal lineの両方を感じ取る参加者が多くいた。ある者は、骨盤内の緊張がほどけ、聴力の感覚が開かれるようだったと語り、またある者は、左右の足の感覚の違いに新たに気づいたという。

このように空間の知覚が変化すると、自然と身体のバランスや筋肉の張力(Tonus)の配分も変わっていく。空間に対して開いている時には脱力とリリースが促され、逆に閉じると、より内側に「芯」が通る感覚が生まれる。これは単なるリラックスではなく、環境に応じた「適正な筋肉の張力」を見出す練習と言っていい。

空間は可能性が立ち上がる場である

特に印象的だったのは、ある参加者のこんなコメントである。

「これまでは、空間は“防御すべきもの”だった。しかしこのワークを通じて、空間は“楽しみが起こりうる場”として感じられるようになった。」

これは、セッションにおいてクライアントの“問題”を見るのではなく、“可能性”を観るという視点にも通じる。クライアントの身体に直接働きかける前に、その人の「周囲」にある空間を感じ取る。そこから立ち上がってくるリズムやトーン、バイブレーションに耳を澄ませる。

そのとき、ロルファーとして私たちは“何かをする人”ではなく、“起こることを許容する場”になっていく。

おわりに──空間との関係を取り戻すこと

このEye of the Footのエクササイズは、まさにロルフィングが追求する「全体性」や「統合」を、身体と空間の関係性の中から体験させてくれるワークであり、新たな知覚を養う機会となった。

私たちは、空間の中に存在しているのではない。空間との関係性において、私たちは存在している。そのことを思い出させてくれるこの体験は、自分にとっても今後のセッションをより深く、繊細にしてくれるだろう。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka