ロルフィングの10回シリーズは、呼吸から始まる。肩こりや腰痛を抱えて来られた方には、これが意外に映るようだ。なぜ最初に扱うのが肩でも腰でもなく、呼吸なのか。
1回目の位置づけ
10回のうち、1〜3回目は表層の筋膜を解放する第1フェーズにあたる。この3回が扱うのは「上下」と「前後」という空間軸だ。1回目は上半身(呼吸)、2回目は下半身(足裏)、3回目で前後のバランス。身体の縦軸の土台ができてから、4回目以降の中心軸へ入っていく。
1回目に触れていくのは、胸郭・肋間・横隔膜まわりの表層筋膜である。
浅い呼吸は、失敗ではない
先に断っておきたいことがある。
呼吸が浅い身体を、直すべき不具合として扱わない。胸郭が硬くなっているとき、その硬さは何かを支えていた。長く緊張の続く時期を通り抜けるとき、身体は胸まわりを固めることで揺れを抑える。声を張る仕事、重いものを扱う仕事、痛みを抱えた時期。どれも胸郭を固めるだけの理由がある。
制限と可能性は対で存在する。いま制限になっているものは、かつてその身体が選べる範囲での最善だった。だから1回目にすることは、悪い癖を取り除くことではない。その支え方が要らなくなったことを、身体が受け取れる状態を作ることだ。
なぜ呼吸から始めるのか
理由は二つある。
一つは、呼吸が全身の筋膜と連動していることだ。呼吸が浅いままだと胸郭が硬くなり、その張力が首・肩・背中へ広がっていく。逆に呼吸が深まると、全身の緊張パターンが緩みはじめる。土台をつくる場所として効率がいい。
もう一つは、呼吸が「身体感覚」の入口になっていることだ。
身体感覚(内受容感覚)とは
五感が外の世界から情報を受け取るのに対して、体内の状態を感じ取るセンサーもある。内臓、筋肉、骨——全身から情報が集まり、「今、自分がどう感じているか」という感覚を形づくる。これが内受容感覚と呼ばれるものだ。
呼吸は、この内受容感覚のうち、意識的に触れられる数少ないものの一つになる。心拍や消化は意志では動かせないが、呼吸は意識を向けた瞬間に感じ取れて、しかも変えられる。だから入口になる。
内受容感覚が判断にどう関わるのかについて、興味深い研究がある。元トレーダーで神経科学者のジョン・コーツらは、ロンドンの金融トレーダーを対象に、自分の心拍を数える課題(心拍検出課題)を行った。トレーダーは非トレーダーの対照群より成績がよく、さらにその成績が、個々の収益や、その世界で生き残った年数と対応していた(Scientific Reports, 2016)。
「腹に落ちる感じ」を頼りにする判断は、根拠のない直感ではなく、身体からの信号を読み取る力に支えられている——そう読める結果だ。アニー・マーフィー・ポール『脳の外で考える』でも、身体を使って考えることの一例としてこの研究が紹介されている。

セッションを重ねた方から、直感が働きやすくなった、仕事や進路の決断がしやすくなった、という話を聞くことが多い。因果を確かめられる話ではないが、そう報告される頻度は高い。
2種類の呼吸と、疲れる呼吸のからくり
呼吸には、無意識的な呼吸(正常安静呼吸)と、意識的な呼吸(努力呼吸)の2種類がある。
無意識的な呼吸は自律神経が担い、吸うときに筋肉が働き、吐くときには筋肉が緩む。意識的な呼吸は脳が担い、発声や呼吸法のように、吸うときも吐くときも筋肉を使う。「深呼吸をしてください」と「自然に呼吸をしてください」とでは、身体の使い方が変わる。
無意識的な呼吸のほうで、切り替えが起きにくくなることがある。吸うから吐くへ移る場面で筋肉が緩みきらないと、本来休むはずの局面でも働き続けることになる。1日におよそ2万回繰り返される呼吸が、そのまま筋トレになる。肩こり・首こりの背景には、しばしばこれがある。
ここにTonic Functionの理論が関わってくる。重力の下では、疲労する筋肉(Phasic Muscle)と、疲労しない筋肉(Tonic Muscle)の2種類が働く。前者は筋トレで動かす筋肉で、使えば筋肉痛が残る。後者は姿勢を支える筋肉で、使い続けても疲れない。
疲労しない筋肉には、独特の性質がある。働き出すまでにおよそ5秒、緩むのにもおよそ5秒かかる。いったん入れば疲れを知らない。ただし事故や怪我、強い衝撃を受けた経験によって、そのスイッチが切れたままになることがある。姿勢が保てなくなるのは、筋力が落ちたからとは限らない。
- なぜ「姿勢の良さ」は筋力ではないのか──Tonic Functionと重力の関係
- なぜ「立つ」は疲れないのか──重力と抗重力筋の仕組み
- 重力に関わるTonic Muscleが、どのように身体のバランスを保つのか
セッションの冒頭で観ているもの
セッションは「観察→介入→再観察」という流れで進む。冒頭で、クライアントの立ち方・歩き方・呼吸のパターンを観察する。ロルフィングではこれをBody Readingと呼ぶ。どこが過度に緊張しているか、重力の軸からどうずれているか、身体を読むところからセッションが始まる。
1回目に観るのは、たとえば次のような点だ。
- 吸うのと吐くのとで、どちらがやりにくいか
- 呼吸で動いているのは、胸の前か、背中か、脇か
- 胸郭のどのあたりが動いていないか
- 息を吸うときに、首や肩が一緒に持ち上がっていないか
そのうえで「今、どこの筋肉で呼吸をしているか」を問いかける。多くの方が、思っていたよりずっと多くの筋肉を呼吸に動員していたことに気づく。この気づきそのものが、1回目の成果の半分を占める。
この回で、身体が受け取る情報
1回目にしていることを手技の名前で説明すると、実際に起きていることから離れる。何をしたかよりも、身体が何を受け取ったかで捉えるほうが正確だ。
1回目に受け取っているのは、疲れずに呼吸できるという情報だと考えている。胸郭のここは動いてよい。首や肩は呼吸を担わなくてよい。支えは疲れない筋肉の側にある。この情報が届くと、身体は自分でその配分に組み替えはじめる。
呼吸は、二人のあいだでも働く
呼吸には、もう一つの側面がある。
セッション中、ロルファーの側も呼吸を合わせている。相手の胸郭に手を置いたまま、自分の呼吸をその速さに寄せていく。しばらくすると、どちらが合わせたのか分からなくなる。息を合わせるという言い方があるが、実際に起きているのはその通りのことだ。
これも中動態に属する出来事になる。合わせに行くのでも、合わせられるのでもない。同じ場にいるうちに、そうなってしまう。
クライアントが自分の呼吸を感じ取れるようになることが、その前提になる。感じ取れていない呼吸は、合わせようがない。1回目が内受容感覚の入口だというのは、自分の内側に対してだけの話ではない。
そしてこれが、後半のセッションの土台になる。4回目から深層に入ると、蓄積された感情が浮かび上がることがある。そこへ進めるかどうかは、信頼が成り立っているかで決まる。その信頼は、言葉で作られるより先に、呼吸のところで成り立っていることが多い。1回目が呼吸から始まるのは、身体の順序としてだけではなく、10回を進めていくための順序としても理にかなっている。
変化は、起こすものではなく起きる
ここが1回目でいちばん伝えにくいところだ。
ロルファーが呼吸を深くするのではない。クライアントが努力して深くするのでもない。触れられているうちに、呼吸が深くなってしまう。する側にも、される側にも属さない出来事が起きている。
古代ギリシャ語には、この種の出来事を表す態があった。中動態と呼ばれる。自分が行為するのでも、外から行為されるのでもなく、何かに関わりながら生じてしまう。セッションで起きていることは、ほぼこの態に属している。
だからロルファーがすることは、変化を起こすことではなく、変化が起こりうる場を保つことになる。何かを探しに行くのではなく、あるがままが現れるのを待つ。
何をもって、整ったとするか
呼吸が深くなったかどうかを、それ自体では成果としない。
セッションの終わりに見ているのは、重力との関係のほうだ。胸郭が重力の中で支えられているか。重力が負担ではなく、支えの資源として働いているか。呼吸が深くなるのは、その関係が変わった結果として現れる。
順序を逆にすると、呼吸法と区別がつかなくなる。ロルフィングは技法によってではなく、この目的によって定義されている。
セッション後に起きること
- 胸まわりが広がり、仰向けで背中が床に触れる面積が増える
- 横隔膜が動くようになり、腹部の重さや詰まりが軽くなる
- 肩の力の抜きどころがわかる
- 呼吸に意識を向けたときに、感じ取れる情報が増える
横隔膜が動くと、内臓も動ける。内臓が動きはじめると、身体感覚を使う準備が整った、という感覚をつかむ方が多い。
呼吸の生理をもっと詳しく
ここでは施術者の側から呼吸を扱った。呼吸の生理そのものについては、2015年、ロルフィングの基礎トレーニングを受けている最中に、4回にわたって書いている。認定ロルファーになる1ヶ月前、ミュンヘンで学んでいた時期のものだ。
無意識的な呼吸では、なぜ息を吐くのに筋肉が要らないのか。横隔膜が、結合組織を通じて頭蓋骨までつながっているということ。姿勢が崩れると呼吸がどう変わるのか。そして、重力から呼吸をどう読むのか。今回書いた「疲労する筋肉と疲労しない筋肉」の背景にある理論も、そちらで詳しく扱っている。
- 第1回:息を吐くのに力はいらない──呼吸と意識・無意識
- 第2回:横隔膜は頭蓋骨とつながっている──呼吸と内臓の配置
- 第3回:姿勢が崩れると呼吸が変わる──伸筋・屈筋と斜角筋
- 第4回:吸気型の身体、呼気型の身体──重力から呼吸を見る
そして2023年、セッションを8年提供してきた時点で、同じ主題を科学的な知見の側からもう一度扱っている。二酸化炭素と呼吸の量、横隔膜と心拍、口呼吸と顎の形、そして迷走神経と内受容感覚。
呼吸をもう一度──科学から見る(全4回)
- 第1回:吸いすぎている身体──二酸化炭素が足りなくなるということ
- 第2回:横隔膜は心臓とつながっている──呼吸と心拍、脳幹の二つの核
- 第3回:顎は、呼吸で作られる──口呼吸と歯並び
- 第4回:身体の内側にも、センサーがある──迷走神経と内受容感覚
次の回へ
上半身(呼吸)が整うと、下半身(足裏)を整える土台ができる。2回目では、足全体と、その中心にある足裏を扱う。
トレーニングでこの回をどう学んだかは、こちらに書いている。
大塚英文(Ph.D.)|認定アドバンスト・ロルファー™/ロルフ・ムーブメント・プラクティショナー 東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(医学博士)。外資系製薬会社でメディカル・マーケティング業務に従事した後、2015年より渋谷でロルフィング®セッションを提供。「科学と実践の統合」をテーマに活動。
