靈氣について2回にわたり、西洋にどのようにしてREIKIが広まったか、そして日本における歴史について簡単に触れてきた(「経緯と欧米人」「歴史的な流れ」参照)。今回は直傳靈氣とその流れについて語っていきたい。
前回、西洋レイキは林忠次郎先生から教わったハワイ在住の日系米国人、高田はわよさんを通じて全世界に広がったこと、一方で日本の靈氣は第二次世界大戦後に事実上消滅するに等しい状態となったことを述べた。
日本で再び靈氣が見直されるのが1987年である。海外のREIKI協会の一つであるラディアンス協会によるセミナーが行われるようになり、逆輸入された形となった。
1993年には、当時日本に住んでいた Frank Arjava Petter(「This is Reiki(日本語版:「This is 靈氣(レイキ)その謎と真実を解き明かす、聖なるレイキの旅」)」)氏によって、日本人のREIKIティーチャー、つまり西洋レイキを教えることのできる人が誕生していった。現在では、西洋レイキの施術者は日本国内に2万人いるとも言われている。
西洋レイキは米国を経て世界各国に広まったが、原型から手が加えられたとも言われている。たとえば、邪気から人を守ることや、チャクラという考え方は、後で加えられたものだという。
日本での普及に伴い、ルーツを探る動きも出てきた。GHQによって潰されたと思われていた臼井靈氣療法学会が存続していたこと、そして林忠次郎先生から直接指導を受けた山口千代子さんの存在が知られるようになる。1938年に17歳で靈氣を学んで以来、65年にわたって実践されてきたことが明らかになったのだ。
1999年のこの発見を契機として、林先生の直接の教えを広める動きが出てきて、今回学んだ直傳靈氣研究会が設立されることとなった。直傳靈氣という名前には、林忠次郎先生直傳の靈氣という意味が込められており、そのままの教えを伝えることを目的としている。現在の研究会の会長は、山口千代子さんのご子息である山口忠夫氏が務めている。
直傳靈氣を学ぶと、日本の神道や仏教の影響を受けていることが分かるが、最も大事にするのが言霊だ。言霊を大辞林で調べると、古代日本で言葉に宿っていると信じられている不思議な力、発した言葉どおりの結果を現す力であるとされた、となっている。
私自身が言霊に興味を持ったのは、イハレアカラ・ヒューレンの『豊かに成功するホ・オポノポノ』という本からだ。
ハワイ発祥のホ・オポノポノでは、世の中で様々に起きる問題を、潜在意識のなかの情報、つまり過去の記憶の再生として捉える。悩みや病気を抱えたり、借金を背負ったりしているのは過去の記憶であり、自分の潜在意識にある情報を修正することによって解決できる、と考える。
その方法はごくシンプルで、
- I’m sorry(ごめんなさい)
- Please forgive me(許してください)
- Thank you(ありがとう)
- I love you(愛しています)
という4つの言葉をただ繰り返し唱えるだけで、過去の記憶がクリアになる。過去の記憶によって遮られていた神聖なる存在からの光が、記憶がクリアになることによって直接届くという。
ヒューレンは1983年から1987年までの5年間、ハワイ州立病院の特別病棟に勤務していた。殺人、暴行、窃盗などの罪に問われ、精神錯乱状態にあるとされた囚人患者が収容されている特別施設で、恐怖の職場としても知られていた。
ヒューレン氏本人がホ・オポノポノを実践し、言葉を唱えることで情報の浄化を毎日行っていた。その結果、毎日平均3、4回起きていた暴行事件が、勤務2、3か月後には減少する。成果を上げていき、数か月後、数年後には重症患者が退院していったのだそうだ。
なぜこれが可能かというと、問題はすべて自分の中で起きるのであって、自分の外で起きている問題はない、と考えるからだ。
ホ・オポノポノの言葉に相当するのが、直傳靈氣でいう五戒である。五戒とは、臼井氏が、一度靈氣で治療したはずの人がしばらくするとまたやってくるのを見るにつけ、人間は心を変えないと本当に元気にならないと考えて導入した方法だ。次の言葉を3回唱えるというものである。
- 今日だけは
- 怒るな
- 心配すな
- 感謝して
- 業をはげめ
- 人に親切に
ヒューレン氏のホ・オポノポノと似ていると思うのは、この言葉を唱和することで場が整い、邪気が入ってこなくなるという点だ。違いは、怒るな、心配すな、という否定形の言葉が入っているところにある。
西洋心理学の常識では、潜在意識は言葉の否定形を認識することができないと考える。たとえば、心配するなという言葉を脳が聞くと、否定形よりもその前の言葉、つまり心配のほうを優位に考えてしまうからだ。
なぜ直傳靈氣が否定語を使っているのか、その理由は不明である。ただ、うまくいくのは確かだ。いつかその謎については調べていきたい。
このように、靈氣は言霊から理解することで、いろいろと分かることが出てくる。次回は、言霊と靈氣との関係をもう少し述べながら、靈授や靈氣、そしてタロットとロルフィングへの影響について紹介したい。
2026年8月の注記
この記事は、一つの疑問を残したまま終わっている。
五戒には、怒るな、心配すな、という否定形が入っている。西洋心理学の常識では、潜在意識は否定形を認識できないとされる。心配するなと聞けば、否定形よりも心配のほうが優位になる。それなのに、直傳靈氣はあえて否定形を使う。理由は不明だが、うまくいくのは確かだ。いつか調べたい、と書いた。
11年経って、この問いの周りに材料が増えた。
戒はもともと否定形である
まず、五戒という言葉そのものが仏教の用語だ。仏教の戒は、不殺生、不偸盗、不妄語というように、ほとんどが否定形で示される。臼井氏は3年間、禅の道に入っていた。この形を借りているのは自然なことだろう。
ただ、借りているのは形だけではないかもしれない。
今年、中世仏教を読んでいて、最澄のところで気づいたことがある。最澄が求めたのは、大乗戒壇の独立だった。それまでの具足戒は、細かく数えられた規則の体系で、守れているかどうかを外から測ることができる。最澄が採ったのは大乗菩薩戒で、性格が違う。自ら誓いを引き受け、破ればそのつど戻る。受戒という言い方をするとおり、命令されるものではなく、引き受けるものである。
五戒の前に置かれた、今日だけは、という一句が効いてくるのはここだ。永久に怒るな、ではない。今日だけ。一日ごとに引き受け直す形になっている。
規則として読むか、誓いとして読むか
この区別が入ると、否定形の問いが少し解ける。
規則として読むなら、否定形は禁止事項の列挙になる。守れているかどうかが問題になり、破れば失敗になる。心理学が指摘する問題も、この読み方のときに起きる。心配するなという禁止は、心配を思い浮かべさせてしまう。
誓いとして読むなら、否定形は手放す対象を示していることになる。手放すには、まず何を手放すのかが分かっていなければならない。浮かばないものは手放せない。怒りを知らない人に、怒るなと言っても届かない。
在り方も、否定形で言われる
同じ構造が、10年後に別の場所で出てきた。
2025年のアドバンスト・トレーニングで受け取ったものを並べてみると、そのことに気づく。Ray McCall が施術者の距離の取り方を Kind Indifference と呼んだとき、説明はクライアントの体験に過剰に巻き込まれないこと、だった。オステオパスの Jim Jealous の言葉も、観察はしても物語の一部になってはいけない、である。Maitland が観察力を鍛える3段階の第一に置いたのは、自分中心の意図を手放すこと。
SPTでも同じだった。施術者が一方的にエネルギーを送るのではない。良くしようと力を加えるのではない。委ねる、という言葉自体、何かをしないことを指している。
そして、これらはいずれも達成して終わるものではない。ニュートラルも Kind Indifference も、身につけたら終わりではなく、セッションのたびにそのつど戻るものだ。誓いと同じ形をしている。
まだ答えではない
これは読んでいて感じたことであって、調べたことではない。五戒がなぜ否定形なのかは、依然として分からないままだ。
ただ、11年前に書いたときとは、問いの見え方が変わっている。当時は、否定形は効かないはずなのに効く、という矛盾として見ていた。いまは、規則として読むか誓いとして読むかで、否定形の働きが変わるのではないか、という見方が加わっている。
答えが出たわけではない。問いの置き場所が変わっただけである。







