直傳靈氣(4)〜ビフォー・アフター

靈氣について3回にわたり、西洋にどのようにしてREIKIが広まったか、そして日本における歴史について簡単に触れてきた(「経緯と欧米人」「歴史的な流れ」「直傳靈氣と言霊」参照)。

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直傳靈氣講習会は2015年7月18日から20日まで行われ、歴史的な経緯を最初に学ぶので、そこに時間をかけて取り上げてきた。講習会は合計で2日半、初日は午後からで、前期にあたる7月18日と19日の参加者は6名、後期の7月20日の参加者は8名だった。前期1〜3、後期1〜2のカリキュラムの内容をカバーする形になっている。

今回は、より具体的にどういった効果があったのかを取り上げたい。キーワードは、靈授と呪文の二つである。前回触れたとおり、靈氣には言霊という考えがあるので、サンスクリット語や言葉がたくさん出てくる。その一つが呪文という形に表れている。具体的な内容はここでは省く。

講習会の間、5回にわたって、靈氣が使えるようになるための靈授を師範から受けるという儀式がある。漢字が示すとおり、靈氣を使える身体になるために、師範から必要となるものを受け取るというものだ。人数にもよるが、6人が靈授を受けたとすると、20分程度の短いものである。2つのステップからなり、ステップ1では師範が呪文を唱えて頭に手をかざす。ステップ2では、同じく呪文を唱えて手に触れていく。

これだけで、すぐに靈氣が使えるようになる。すごい驚きだが、私の実感としては、ステップ1で頭の上に鉄でできた薄い円盤があったのが、ステップ2が終わる頃には完全にすっきりと取れて、頭から手に流れ、手が暖かくなるという感覚があった。この靈授という儀式を何度か繰り返すことによって、より身体の流れを感じやすくなるという。個人的には、3回目以降はそれほど差がないと感じた。

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ちなみに、靈氣を実感するために、参加者が輪になって右手を上、左手を下にして靈氣を感じるという靈氣回しを行っていたが、手が温かくなったという気づきがあった。

これだけで靈氣を使えるようになり、様々な技術を学ぶことになった。靈氣を使えるようになってからの変化について書いてみたい。

講習会の間、2015年7月中は、無償でタロットカードリーディングを行うキャンペーンを実施中だった。様々な人から見てほしいというリクエストをいただいている。そのため、最近は頻度を上げてタロットを見ている。

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以前に書いたことだが、タロットカードを見るときに、知識が豊富で相手にこれだけ知っているんだという視点で見ると、相手のことが見えなくなってしまう。逆にそういった知識を捨てて、全くこの人のことは分かっていないという意識で一人ひとりに対峙すると、見えてくるようになる。相手を知っているという前提になると、相手が人の話を聴いてくれないと感じて心を閉ざすからだ。

そのためには2つのことが大事になる。新鮮な眼をもつこと、つまり心をニュートラルにすること。そして、自分の中に心の余裕、心のスペースをもって、相手が身を委ねて大丈夫だという安心感を与えること。

相手の影響を受けつつ、心をニュートラルにすることと、相手にスペースを与えることには、それ相応のエネルギーを使う。そのため、タロットを読み終えると、疲労感に襲われることが多かった。

靈氣を使いこなせるようになると、エネルギーが勝手に頭から手に流れていく感覚がある。身体が一つの管になっているという感覚だ。それが壁となって、自分の心がニュートラルになる。ということは、自分の居場所が見つかりやすい。その居場所に瞬時に戻ってくることができるので、タロットカードで相手の懐の中に入ったとしても、悪影響を与えることなく、すぐに自分に戻ることができる。

つまり、あえて努力して心をニュートラルにしなくても、自然と、エネルギーを使わなくても大丈夫になるということだ。

これはロルフィングについても全く同じである。すでにロルフィングのセッションを行っていても、エネルギーを使う量がかなり少なくて済んでいることが実感できる。そのため、セッションが組み立てやすい。クライアントの邪気を受けることをどうやって防いだらいいのかという疑問があったのだが、この方法だとそのことを気にしなくてよいことも分かった。

他にも、靈氣のエネルギーは上から下へと流れることや、流れが滞っている病線と呼ばれる部位に触れなくても、身体のどこに手を当ててもその部位に向かって流れが変わっていくことを学んだ。やめたい習慣をやめるために開発された方法、身体のデトックスを簡単に行うことのできる血液交換法、遠隔なども取り上げていった。

びっくりするのは、そのお手軽さだ。スピリチュアルなものと思いきや、仏教や神道の影響を受けていて、宗教色を排した形でシンプルになっているので、思ったよりも理解しやすい。このシンプルさが、おそらく欧米に伝わったのではないかと思う。

手さえあれば何にでもできる靈氣。いろいろと試しながら、一歩ずつ前に進んでいきたい。

2026年8月の注記

この記事の中心にあるのは、努力しなくてよくなった、という変化である。

それまでは、タロットを読むときに心をニュートラルにすることと、相手にスペースを与えることに、それ相応のエネルギーを使っていた。読み終えると疲労感に襲われることが多かった、と書いている。靈氣を使えるようになってから、それが要らなくなった。あえて努力して心をニュートラルにしなくても、自然とそうなる、と。

10年後、同じ主題を別の場所で受け取ることになる。

支えられるか、自分で立つか

2025年のアドバンスト・トレーニングで、ニュートラルは中心の主題だった。ただし、そこで示された方法はこの記事と違う。

手を成形すること。クライアントの身体に自分の手を形作ってもらう。背後の空間を感じること。今ここに意識が偏りすぎると身体が縮こまるので、背中側の空間へ意識を広げる。そして肚につながること。いずれも、施術者自身の身体をどう置くかの話である。

この記事のニュートラルは、成り立ち方が違う。エネルギーが頭から手へ勝手に流れていく感覚があり、身体が一つの管になっている。それが壁となって、心がニュートラルになる、と書いている。

何かが働いているから守られる、という構造だ。外から来るものに支えられている。

10年後に受け取ったのは、自分の置き方で立つ方法だった。支えを外に置くか、自分の中に軸を作るか。どちらも努力を要さない状態を目指しているが、成立の仕方が違う。

同じ段落に並んでいた二つの語

もう一つ、この記事で目につくことがある。ニュートラルとスペースが、一組で出てくることだ。

新鮮な眼をもつこと、つまり心をニュートラルにすること。自分の中に心の余裕、心のスペースをもって、相手が身を委ねて大丈夫だという安心感を与えること。この二つが、タロットを読むときに大事なこととして並べられている。

10年後のアドバンストでも、この二つは一組だった。ニュートラルを養う三つのうちの一つが、背後の空間を感じることである。

そして、この記事を書く8か月前、Phase II の最終面談で Giovanni から受け取ったフィードバックにも、同じ語があった。自分やクライアントにスペースを与えることでセッションを行いやすくなる、というものだ。

2014年11月にドイツで言われ、2015年7月に東京でタロットの場面で書き、2025年に東京でロルフィングの主題として受け取る。同じ二語が、三度、別の文脈で現れている。

邪気を受けないという問いは、どうなったか

この記事には、クライアントの邪気を受けることをどう防ぐか、という問いも書かれている。靈氣を使うようになって、気にしなくてよくなったと。

10年後、同じ問いに別の答えが与えられた。Kind Indifference である。クライアントの体験に過剰に巻き込まれないこと、それでいて深い関心をもって見守ること。守るのではなく、距離を保つ。

防ぐという発想と、距離を取るという発想。前者は何かが入ってくることを前提にしていて、後者は入ってくるかどうかではなく、自分がどこにいるかを問題にしている。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka