この記事は2015年8月に書いたものに、2026年9月に加筆した。ロルフィングの4回目のセッションについて別に書いていた記事から、バーチャルな中心軸の説明を移し、当時書かなかったムーブメント・セッションの記録を足している。末尾に2026年の注記を置いた。
はじめに
ロルフィングのセッションをセッションルームを借り、提供するようになってから1か月。初めて体験する人たちにどのようにロルフィングについて説明するのか。スライドを交えてお伝えしているのだが、言葉で伝えることの難しさを日々実感している。
私がロルフィングという仕事を知ったのは、2冊の本と出会ってからだ。能楽師の安田登氏の『ゆるめてリセット ロルフィング教室』と、身体論者の藤本靖氏の『身体のホームポジション』の2冊。
その後2013年12月23日、イタリア在住の友人の結婚を祝うパーティに参加したときに、ロルフィングの施術を行うロルファーの一人、伊藤彰典さんと出会うことにつながっている(「出会い〜ヨガのポーズを深めるため、様々な方法を試す中で発見した」参照)。
両者の本は随時チェックしており、各々の最新刊である安田登氏の『日本人の身体』と藤本靖氏の『感じる力を取り戻しココロとカラダをシュッとさせる方法』を読む機会があった。
おおざっぱな身体
安田登氏の本では、日本人の身体観を歴史的な観点から述べている。
日本人にとっての「膝」とは、膝頭から腿の付け根、太ももの前側全体。「肩」とは、肩峰から首のあたりまでを全部ひっくるめて肩と呼ばれていた。解剖学的な膝頭や肩峰というのは、ポイントとしての身体を見るのに対して、おおざっぱさが日本人の身体言語の基本だといえる。
そして現代は、西洋医学が主流になった結果、病名や怪我の名前を含め細分化が進んでいるという。昔は、風邪とインフルエンザ、下痢と過敏性腸症候群との違いはなかった、という意味である。
例えば「肉離れ」。一つのネーミングによって引きずられてしまい、身体をどのように感じるかという観点が忘れられ、「肉離れ」の治療のみが始められる。結果として、今目の前にある「その人の足」という個別的状況が忘れられてしまう。
このように、自分の身体をどのように感じるかという観点を疎かにし、他人や客観的なものに任せてしまうというのは、日本の歴史からみると新しい感覚だという。
「からだ」と「み」
元々日本語の「からだ」というのは死体という意味だったそうだ。生きている身体は「み(身)」と呼ばれ、考えも心と魂が一体だったという。
やがて生きている身体が「からだ」と呼ばれるようになり、からだが自分自身から離れ対象化されるようになる。対象化されることで、専門家である他人の手に委ねるという考えに行き着くという。日本語を追うことで身体をどのように見ているのかが知れて興味深い。
それは、「からだ」の語源である「殻」のように、自分と周囲に強固な境界を設け、他人との壁を設けることでもある。他人との境界が曖昧であれば、人の苦しみが我が苦しみであり、人の喜びは我が喜びであると考えることもできる。「身(み)」と「からだ」の考えを含め、身体に対する日本史からの見方を知る上で、安田氏の本は勧めたい。
バーチャルな中心軸
安田氏の前著『ゆるめてリセット ロルフィング教室』には、ロルフィングの深層のセッションを理解する上で欠かせない表現がある。
上半身には、頭から首、背骨、仙骨を通って骨盤まで、骨の連なりとしての中心軸が通っている。ところが下半身になると、それが突然消える。骨盤から下は、左右の脚に分かれてしまう。
その代わりに身体が発達させたのが、内転筋と骨盤底だった。安田氏はこれを、バーチャルな中心軸と表現している。
本来なら骨があるところに、筋肉がある。骨が担うはずの支えを、筋肉が引き受けている。ロルフィングの4回目のセッションが内転筋と骨盤底に向かうのは、そのためだ。中心軸そのものではなく、中心軸が下半身で途切れる場所を扱っている。
日本語の身体観を歴史から書いた人と、この表現を作った人が同じであることは、偶然ではないように思う。骨として名指せるものと、名前のないまま支えているもの。おおざっぱに扱われてきた領域が、実際に身体の側でも骨のない領域だった。
神経の働きから
もう1冊は、藤本靖氏の本だ。発売されたばかりの本だが、『身体のホームポジション』から更に深化が進んでおり、とにかく無駄なものが省かれておりわかりやすい。自分自身、文章を書く難しさを日々実感しているので、心が動かされるようにすぐに読み終えてしまった。
その内容の一部を紹介したい。
安田氏が述べた「身体の感じる力」が弱まっているということを、人間がみんな共通に持っている「神経の働き」という具体的な能力として、科学的な観点から言及している。その神経の動きを、ほんのちょっとした工夫でどのように活性化することができるかについて書いている。
アレクサンダー・テクニックでは頭と脊椎を緩めることを重視するが、それを一番最初に述べるところがいい。
そして、それを手助けするアゴ・ワーク。割り箸を奥歯の間に挟むというシンプルなもの。それで全身の力が抜けていくというのは、驚くべきことだと思う。
筋膜と、スペース
そこからその理由を探求する過程で、神経の仕組みへと話が進む。アゴが緩むことによって、なぜ全身がゆるんでいくのか。その際に取り上げるのが、筋膜という一つの言葉である。その意義についての説明もわかりやすい。
筋膜には2つの働きがある。
スペースを作ること。筋肉や内臓の包み紙であり、臓器が安定して働くことができるための空間(スペース)をつくること。
つながりを作ること。臓器同士をつなぎとめるという働きをしていて、身体全体を一つに取りまとめるという働きをすること。
ドイツで受けたロルフィングのトレーニングでは、どちらかというと、つながりを作ることよりも、スペースを作ることの方が重視されていたと思う。
本コラムでも触れたように、ロルフィングはスペースをどう作るかが大事だとGiovanni先生は言っていたからだ。それは、ロルフィング・トレーニングで関節をjointではなく、Articulationという言葉をわざわざ使っているところに現れていると思う(「Articulationという言葉〜身体に空間を作るということ」参照)。
もともとarticulationという言葉は、「繋ぐ」よりも「空間」や「間」を意味し、文章に「間」をもたす、動詞のarticulate(明確にする)の派生語もある。そこから、Articulationは空間、スペースという意味にもなる。
スペースの大切さを伝えるために、身体内にスペース(空間、articulation)があることに意識を向ける(英語でevoke)ことで、余計な筋肉の力が抜けていく、ということをトレーニングでは強調していた。ロルフィングにおける2方向性の考え方も、このスペースという考えから派生している(詳しくは「2方向性(Palintonicity)」参照)。
呼吸と、言葉の選び方
そして、筋膜の力を最大限に引き出すために使う、呼吸。
藤本氏は、身体への意識を高めるためには身体に触れるのみならず、呼吸を感じることが大事だという。その際に、意識を向けたい場所に対して、
「自然な呼吸の波が○○に届くと思う」
というのが有用らしい。
藤本氏のご経験から、「呼吸を意識する」という言葉は頑張るにつながり、筋膜へのスイッチは強すぎる。「呼吸をイメージする」という言葉は脳内の反応だけになってしまうため、弱い。そこで最終的に「〜と思う」という言葉に辿りついたという。
呼吸はロルフィングでは1回目のセッションから、呼吸筋を中心に見ていったが、言葉を使うところまでの深堀りはしていない(呼吸とロルフィングとの考えについては「息を吐くのに力はいらない──意識と無意識」で、トレーニングで配布された論文に基づいてまとめた)。
他に書きたいと思うことはいろいろとあるが、提唱されているワークは実践向きで、私もセッションに取り入れたいと考えている。
上記の2冊は、私にとって今後どのようにロルフィングを説明したらいいのかを学ぶ上での、貴重なテキストにもなり得るもの。これからも、自分の手元に置いて何度か読んでいきたいと思う。
2026年9月の注記
この回は、2人の本を並べて読んだ記録である。安田登さんと藤本靖さん。どちらも日本のロルファーで、本を書いている人だ。
そして、この2冊がロルフィングを知った入口だった。伊藤彰典さんに出会うより前に、本のほうが先にあった。
当時この回に書かなかったことがある。藤本靖さんからは、既にセッションを受けていた。
2014年7月18日と25日の2回、Rolf Movementのセッションを受けている。ミュンヘンでPhase Iが始まる直前で、製薬会社を辞めた直後にあたる。中村かおりさんからも8月1日、7日、21日の3回受けた。この5回が、出願要件のムーブメント・セッション5回である。
中村さんの2回はPhase Iの期間中にあたる。ミュンヘン在住の方なので、教室の外で受けていた。
本を読んでロルフィングを知り、その著者からセッションを受け、それが出願の要件を満たし、翌月から教室にいた。この回はその1年後、開業して1か月の時点で、同じ2人の新刊を読み直した記録になる。今度は受け取る側ではなく、説明する側としてである。
冒頭に、言葉で伝えることの難しさを日々実感している、と書いている。11年後もこの主題は続いていて、ロルフィングをどう言葉にするかは、いまも解けていない。
そして、この回が引いている藤本さんの呼吸の話が、後に効いてくる。
「呼吸を意識する」は頑張るにつながる。「呼吸をイメージする」は脳内の反応だけになる。だから「〜と思う」に辿りついた。言葉の選び方で、身体の反応が変わる。
同じ場所に、別の経路から届くことになる。Rolf Movementの理論を作ったHubert Godardが探求に入った出発点は、ダンスを教えていたときの観察だった。同じ課題を出しても、どう話すかによって人の踊り方が変わる。なぜそうなるのかを理解しようとして、重力への応答を動きの中心に置く道へ進んでいる。
2017年から2019年にかけてRolf Movementの課程を受けたとき、講師のRita Geirolaさんが繰り返し問うていたのも、誰に向けて教えるのか、そのときどの言葉を選ぶのか、ということだった。
2015年に藤本さんの本で読んだ一節が、その系列の最初にある。
安田さんの本から受け取ったものも、いま読むと一つにつながる。
名前が付くと、その名前に対する処置が始まり、目の前の身体が見えなくなる。肉離れという名前が付けば、肉離れの治療が始まる。その人の足ではなく。
10回シリーズについて書いたとき、判定を重力に一本化する、症状や体感の改善を成果としない、という方針を立てた。症状の名前で判定しない、ということである。11年前にこの本から受け取っていたことが、そのまま書き方の方針になっている。
バーチャルな中心軸も、同じ向きにある。骨として名指せる中心軸は上半身で終わり、下半身は名前のない支えが担っている。名前のあるものだけを見ていると、そこが見えない。






