はじめに
渋谷を拠点にロルフィング®のセッションを行っている大塚英文です。
日々、さまざまな身体に触れながら、「考えること」「感じること」「身体感覚(肚・丹田)」が、自然にひとつの判断としてまとまっていく状態を、セッションを通して支えています。
どういうわけだが、頭ではリラックスしていると思っていても、身体は緊張を保ち続けていることがある。なぜなんだろうか?
「力の抜きかたが分からないんです」
「なぜ、こんなに力が入っているのか分からなくて」

多くの場合、本人は意識的に力を入れているわけではない。むしろ「できれば抜きたい」と思っているのに、なかなかできない現状について、前回のブログで触れた。
更に、別のブログでは、身体が「NO」と言っているのに、それを無視してしまうとき、症状は最後に残されたメッセージになるかもしれない、ということについても書いた。
今回は、そのさらに奥にある体験について書きたい。セッション中に、言葉が消える瞬間についてである。
ある筋膜に触れ、ただ待つ
ロルフィングのセッションでは、ある筋膜の部位に手技でアプローチする。
しかし、そこで「変えよう」とはしない。ただ触れ、その部位が「動きたい」という意思を持つまで待つ。
やがて、身体が動き出したい方向へと、ゆっくり動き始める。まるで、沈黙していた部位が、暖かみを持って目を覚ますかのような感覚である。
その瞬間、クライアントの言葉が消える。全く、説明も、分析も、いらなくなるのだ。
「リリース」という言葉への違和感
筋膜リリースという言葉がよく使われる。
しかし「リリース」という言葉には、どこか施術者優位の響きがある。
施術者が緩める。
施術者が治す。
施術者が変える。
しかし実際に起きていることは、違う。
必要な動きも、
必要な位置も、
必要な答えも、
クライアントの身体が、自ら見つけている。
施術者はニュートラルになる。方向を決めない。急がせない。
ある意味では、リソース(治療に必要な力)はクライアントの側にある。身体はホリスティックに整う力を持っている。
ホリスティックな力とは、身体は単なる部品の集まりではなく、「関係性の網の目」として捉えられる。介入の目的は、部分ではなく全体の秩序と調和を取り戻すことになる(詳しくは「ホリスティックの治療とは何か?〜「パラダイム」から問い直す──Relaxation(癒し)/Corrective(矯正)/Holistic(全体)」参照)。
安心・安全な場が整ったとき
施術者が整えるのは、「変えてやる」ことではない。
安心して変化してもよい環境である。安心と安全が感じられたとき、筋膜は勝手に動き出す、と言っていい。
動き出した結果として、身体に空間(間・スペース)が生まれる。
スペースが生まれると、余計な緊張がほどけていく。鎧が、少しずつ外れていき、身体が徐々に自由になっていくのだ。
鎧が外れると、何が起きるのか
徐々に鎧が外れてくると、マインド(頭)で自己防衛する必要がなくなる。
すると、心(感情)や身体感覚が、前に出てくる。
言葉が減る。沈黙が生まれる。しかしその沈黙は、何も起きていない時間ではない。
むしろ、もっとも深い調整が起きている時間である。
1〜3回、4〜7回のプロセス
ロルフィングでは、1回から3回にかけて、身体をガチガチに守っている外側の筋肉(鎧)へアプローチし、スペースが生まれるようにセッションを行っていく。
4回から7回にかけては、中心軸を整えるため、深層の筋肉へと探究を進めていく。この過程の中で、身体の鎧と同時に、マインドの鎧も外れていく。
すると、物事を頭だけでなく、感情や身体感覚で捉えられるようになる。その間に訪れる沈黙を、私は何度も見守ってきた。
あの時間が、予想できない身体の変化が、とても神秘的であり、面白い。
言葉が消えるとき
頭で整理された言葉と、体験の言葉は同じではない。身体がNOと言っているのに無視しているとき、言葉は多い。
しかし、身体が動き出す瞬間、言葉は消える。
説明がいらなくなる。
そのとき、判断は頭で作るものではなく、内側から浮かび上がるものになる。
おわりに
セッション中に言葉が消える瞬間は、施術者が何かをした瞬間ではない。
クライアントの身体が、自分で動くことを選んだ瞬間である。
私は、その沈黙を見守る立場にいる。
身体は、安心とスペースがあれば、自ら整う。その事実に、何度立ち会っても驚かされる。
