「身体が答えを知っている」〜セッションを通じて伝えていること

はじめに

テレビ取材・放映が終わり、お問い合わせもひと段落したところだ(詳細は「「金曜プレミアム」への出演を通じた気づき〜楽な姿勢は自分で見つけることができる」参照)。

収録は15〜20分ほどだったのだが、編集後2分半に凝縮された。自分自身がセッションを通じて伝えたいことが伝わっているのかどうか、放映されるまで気になっていた。

改めて映像を見返すと、テレビ局のスタッフは伝えたいことを理解しており、内容をうまくまとめていただいたと思っている。本当にフジテレビの番組スタッフには感謝したい。

「身体は、本来ある場所を分かっている」

出川哲朗さんに対して施術を行っているときに、南原清隆さんから「何をしているのですか?」と聞かれた。

その時私は、「筋膜に触れていること」とともに、「身体は、本来ある場所を分かっている」「それをあくまでも私は誘導しているにすぎない」といったことを答えた。

知識に目がいくと、人を見失う

どんなに知識が豊富であっても、人間の身体について分かっていないことの方が多い。

しかしながら、解剖学を含め知識を身につけてしまうと、知識に依存し、人間ではなく知識へと視線は移ってしまう。その結果として、その人や身体にとって必要なことは何か、感覚よりも知識の方に目がいくため、人・身体を見失ってしまう。

大事なのは、感覚・人間が先で、起きたことをあとで知識と照らし合わせて言語化すること。後付けで知識を使うところにポイントがあると思っている。

クライアントとの共同作業

そこで「クライアントとの共同作業」が大切になってくる。

クライアントとコミュニケーションをとりつつ、いかに気づきをもたらすか。私が、コーチングの延長にロルフィングがあると考えるのは、コーチングも「クライアントが答えを知っている」という姿勢で接するからだ(コーチングについては「「コーチング」のベースとなった本〜「インナーゲーム」」参照)。

その結果として、「クライアントが、自ずと、本人にとって適切だと思う姿勢を選択していく」ことへつながる。

そのようなことから、安全な場であることが大事であることと同時に、オープンになること、興味を持つこと、好奇心を持つこと、ある特定の考え方に縛られないこと、楽しむこと、そして仕事を心底エンジョイすること。あるいは、施術する側がどのような身体の状態なのか。そうしたことが大切になってくる。

まとめ

「身体が答えを知っている」は今後とも大事にしていきたい考え方だ。

2026年9月の注記

この記事で書いていることのうち、いま読み返して一番残るのは、知識を身につけるほど人を見失う、という箇所である。

8年後、安田登さんと藤本靖さんの本を扱った記事で、同じことを別の言い方で書いた。名前が付くと、その名前に対する処置が始まり、目の前の身体が見えなくなる、と。安田さんが肉離れをしたとき、医者に行かず、名前を付けないまま自分の身体を観察していたという話からきている。2018年のこの記事では、それを解剖学の知識の話として書いていた。同じことを指している。

そして2025年のアドバンスト・トレーニングで、Kind Indifference という言葉を受け取った。相手に関心を持ちながら、結果に執着しない。あわせて Jim Jealous の言葉も渡された。プロセスはあなたの管轄ではない、観察はしても、物語の一部になるな。判断を止めるという構えである。

思い返すと、2015年のPhase IIIでも、教わったことの多くは禁止の形だった。判断しない、指摘しない、驚かない。当時は、なぜそこまで止めるのかが分からなかった。

本文にはもうひとつ、感覚・人間が先で、あとで知識と照らし合わせて言語化する、後付けで知識を使う、と書いている。この作業そのものが、いまその形になっている。11年分の記録を読み返し、当時は名前がなかったものに、後から名前を付けていく。2018年の時点で、その順序については既に書けていた。

コーチングの延長にロルフィングがある、という書き方についても補っておきたい。CTIで学んだコーチングは、人はもともと創造力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である、という前提から始まる。「クライアントが答えを知っている」はそこからきている。

2025年のトレーニングでは、身体は自己調整できると信じる、という言い方で同じことが出てきた。ロルフィング協会の実践基準には、各人が最適な組織化のための内在的なパターンを持ち、そのパターンは本質的に自己組織的である、と書かれている。コーチングの側とロルフィングの側で、別々の言葉で、同じ前提が置かれていることになる。

2018年に「コーチングの延長に」と書いたときは、自分の経歴の順序をそう呼んだつもりだった。いま読むと、順序というより、同じ前提を共有している、と書いたほうが近い。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka