Phase II(6)〜絵画史と身体(1)〜西洋絵画史からみる身体の見方

ロルフィングの最初の3つのセッションは、表層の身体部分を調えることを主眼としている(「表層筋のセッション」参照)。セッション1は上半身(「セッション1:呼吸を調える」参照)、セッション2は下半身(「セッション2:足を調える」参照)、セッション3は上半身、下半身の統合の順番で一つ一つ、表層にある赤色のピンをとって行き、身体を調えていく。

セッション1と2では、上半身と下半身という身体の上下に注目して施術を行っていったが、今回は身体の側面に注目して、上下(二次元)に加えて、空間の広がりを感じるようなアプローチをとる。それは、身体を三次元に捉え直すというところにつながる。

それを絵画の歴史に例えた説明が非常に興味深く、身体と空間の認識について考えさせられたので、今回のセッション3は、2回に分けてブログを書きたいと思う。

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セッション3の説明に当たってGiovanni先生は、三次元の身体の意識や身体がどのように外部空間をみているのか?を西洋の美術史を説明しながら明確にしていった。キリスト教が全盛であった中世の時代は、身体を二次元で捉える単純な身体表現及び空間表現をした絵画が多くみられた。セッション1と2は、この視点で身体を捉え、主に上下(上半身と下半身に注目している)に注目して施術を行う。

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時代が中世からルネサンスに移り、ジョット(Giotto)は、絵画に三次元的な空間表現や人物の自然な感情表現を取り入れるようになる。いよいよセッション3の見方が美術史で登場する。

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ラファエロ(Raphael)は、更にそれを推し進め、アテナイの学堂において数学の考え方を取り入れ、左右、前後の対称性に注目して作品に反映させている。この作品で、空間の意識がより深まった印象を与える。対称性は、ロルフィングのBody readingでは、セッション2で下半身の足の土台を築く際に左右の下肢の対称性をみるが、セッション3では、前後の対称性を見ていく。

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時代を経て、ゴッホやピサロは、空間認識に遠近法の消失点(Vanishing point)を取り入れて、絵画に奥行きを取り入れるのに成功している。

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消失点は、実際平行なのに、平行でなく描く際にその線が交わる点のことをいう。歩行を観察する際には、歩行者の視線の消失点をどこに意識がむかっているのか?具体的なもの(例、物体(机、椅子)、窓、建物)や視線の視野が狭まっているか?広まっているか?実は、消失点を小さくとると、歩きに力が入りすぎて、適切な歩行にならないが、消失点を大きくすると、歩きに力がぬけてくるのだ。ロルフィングのBody readingのセッション3ではこの点も注目していく。

そして、最後にモネとマティス。これらの作品を見ると空間表現は描く対象の前景(foreground)のみならず、背景(background)にも力点が置かれるようになっている。

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セッション3を通じて自分の身体の空間が前後で広がると、外部環境(絵画でいうところの背景)と身体との距離感が適切にとれるようになる。例えば、他人との距離、空間との距離をどの程度とるのか?と考えると分かりやすいかもしれない。そのことで身体の動きに深みが増し、身体の深部への働きかけ(セッション4以降)が可能となるというのがロルフィングの見方だ。

絵画には身体を通じて人間がどのように世の中を見ているのか?を知れて興味深い。これからも、身体を通じて絵画を見ていきたいと思う。

2026年8月の注記

この記事で扱った「背景」という考え方——描く対象の前景だけでなく、その背後にある空間にも力点が置かれる——は、その後、繰り返し形を変えて現れることになった。

まず、ロルフィングのトレーニングで関節を joint ではなく Articulation と呼ぶ理由が、ここにつながる。Articulation は「つなぐ」よりも「空間」や「間」を意味する語で、身体内にスペースがあることに意識を向けると、余計な筋肉の力が抜けていく。2方向性(Palintonicity)の考え方も、このスペースという発想から派生している(「力を抜くこと(2)〜空間を意識することの大切さ」参照)。

2017年から始まったRolf Movementのトレーニングでは、この考え方が4つのArticulationとして整理されていた。上下(Upper Body/Lower Body)、前後(Front/Back)、左右(Left/Right)、内外(Inside/Outside)。この4つの空間のバランスをどう整えるかが重視される(「Rolf Movement – Part 1(2)〜基本的な考え方についての紹介」参照)。

さらに2025年のアドバンスト・トレーニングでは、Ray McCallが毎回扱うという足裏のワークがあった。「Eye of the Foot(足の目)」——足裏に目があると仮定し、それを開閉することで身体や空間にどう変化が起きるかを観察する。目を閉じて立つと身体全体が収縮し、地面との接触感が変わる。開くと骨盤底や横隔膜に開放感が生まれ、重力との関係性が変化する。

このワークで自分が得たのは、前景(Foreground)と背景(Background)を交互にスイッチする感覚だった。この記事でモネとマティスについて書いた、前景だけでなく背景にも力点が置かれるという話が、そのまま身体の知覚として現れたことになる。

そこで深まったのは、空間とは「何もない」ものではなく、私たちと対象物との関係性が生じる場であり、質を持った存在であるという理解だった。ある参加者は空間を「みずみずしいもの」「密度を持ったもの」として感じたと語っていた。空間はただの背景ではなく、身体が応答し、関係を持つ相手として存在している(「空間は「ないもの」ではなく「あるもの」──足裏の”目”から始まる知覚の捉え方」参照)。

私たちは空間の中に存在しているのではない。空間との関係性において存在している。

2014年に絵画の「背景」として学んだことは、11年後には、身体と空間の応答関係として扱われていた。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka