ロルフィングの最初の3つのセッションは、表層(sleeve)の身体部分を調えることを主眼としているが、セッション4〜7は身体の深層面(core)に入っていく。coreの部分を扱うということは、クライアントの深い部分を扱うことでもある。
表層筋は、目で見ることができるので扱いやすい。しかし、深層筋は人体の深いところにあるため、どこに問題があるのか?見ることが難しいケースがある。また、身体の深い所に入る場合に、蓄積された感情が出てくることがあり、信頼関係ができていないと深く入っていけない。表層筋の後に深層筋のセッションが入るのはそれなりの理由がありそうだ。
もちろん、重心は前後どこにあるのか?呼吸の動きや前後左右の対称性について観察することも大事だが、身体に触れてみてわかることがある。つまり、目のみに頼るのではなく、五感全体を通じて感じることが大事になる。その点については、「【RolfingコラムVol.17】目で見ること、身体で感じること」で触れた。
フランクフルト滞在時(2014年10月25日)、幸運なことにフランクフルト滞在中の日本人のロルファーの鎌田孝美さんにお会いすることができ、いろいろと情報交換ができた。その中で興味深かったのは、ロルフィングのトレーニングにおけるヨーロッパとアメリカにおいて力点が違うということを伺ったことだった。
ミュンヘンでは、トレーニングにおいて解剖学や手技のみならず、五感で感じることも大事にすることは、本ブログで度々触れてきた。それに対して、Phase Iをアメリカで受講し、今回のミュンヘンのPhase IIトレーニングに参加している同僚によると、アメリカは、解剖学を叩き込みながら、Phase Iから基本的手技については外部のクライアントを呼んで練習を行い経験を積ませる。そして、Phase IとPhase IIの間に50時間の練習時間を求める(ミュンヘンではこのような宿題はない)。
それは、アメリカは移民の国で参加者は若い(アメリカは21歳でも参加OK。ヨーロッパのトレーニングの場合は25歳以上の年齢制限がある)からであり、分かりやすさが求められる。そして、学問としての解剖学やロルフィングの基本的手技は白黒の世界であり曖昧なところがなく、解りやすいというのもあるのではないかと、同僚は言っていた。
ミュンヘン(ヨーロッパ)の場合には、ある程度歴史や文化があり社会も成熟している。人間への深い理解があるため、物事を単純化するのではなく、あいまいなままなところはあいまいなままにしておくことに対して寛容な印象がある。そして、間を大事にする(「力を抜くこと(2)〜空間をを意識する大切さ」参照)。まるで日本の茶道のように。
解剖学というはあくまでも屍体をベースに記述的に作られた学問であり、生きた身体とは違うもの。身体は、触れてみて、動かしてみて初めてわかるものであるという視点からこういった発想が出ているのかもしれない。そして、人間自体、白黒つけるのは難しい(特に感情等が出てくるとなおさらである)。
もちろん、土台を大事にするアメリカや感覚にも焦点を合わせるヨーロッパのアプローチはそれぞれ一長一短あるし、無理して2つに分けるというのも極論を述べている印象もあるように思う。
私はこれらの優劣を論じているのでなく、お互いに違うところを学び合う姿勢がロルフィングの多様性を作っているのではないかと思い、この違いに興味を持った。感覚ベースも大事にするヨーロッパの教育で、感覚の磨き方をセッション4へどう応用していくのか?教育の内容を含め楽しみだ。