なぜトラウマは言葉で癒えないのか──筋膜・自律神経・身体記憶のしくみ

身体心理学シリーズ──思考・感情・身体の統合へ|第2回 初稿:2023年12月 更新:2026年4月

なぜトラウマは言葉で癒えないのか──筋膜・自律神経・身体記憶のしくみ

第1回では「頭でわかっても動けない」のは、身体と心の分断から来る構造的な問題だと述べた。言語による「理解」は、身体に染み付いたパターンには届きにくい。

では、身体に刻まれた記憶はどのように解放されるのか。その核心に「トラウマと筋膜の関係」がある。

→ 第1回:なぜ「頭でわかっても動けない」のか──身体心理学入門

ある会社員の体験──身体が変わると、世界の見え方が変わった

会社員の山田エレーヌ麗子様は、ロルフィング10回のセッションを終えてこう書いた。

身体の変化(首が後ろに楽に曲がる・股関節の詰まりがなくなる)だけでなく、マインドの変化として次のようなことが起きた。

「自分が嫌だった一面も、直したいと思わなくなった」 「今までは自分を責めていたような状況に置かれても、あ。ここ私のいる場所じゃなかったわと瞬時に思えるようになった」 「なんか肝が据わった」

これは認知療法で「考え方を変えましょう」と言われた結果ではない。筋膜の解放を通じて自律神経の状態が変わり、身体が「安全」を感じられるようになった結果だ。身体が変わることで、感情のパターン・自己認識・対人関係まで変わっていく——これがHolistic(全体)のアプローチが起こす変容だ。

→ 山田エレーヌ麗子様の10回体験記

トラウマは「大きな出来事」だけではない

「トラウマ」という言葉を聞くと、戦争・虐待・大事故といった極端な体験を想像しがちだ。しかし身体心理学では、トラウマを2種類に分けて考える。

大文字のトラウマ(Trauma)は、生命の危機に直結する体験——事故・災害・暴力・喪失——から生じる。

小文字のトラウマ(trauma)は、日常的な積み重ねから生じる。「感情を抑えなければいけない環境」「頼っても応えてもらえなかった体験」「自分の感覚を否定され続けた経験」——これらは一見「たいしたことない」ように見えても、繰り返されることで身体に刻まれていく。

セッションの現場で「自分にはトラウマなんてない」と言いながら、筋膜の解放とともに涙が出るクライアントは少なくない。それは、小文字のtraumaが身体に積み重なっていたサインだ。

トラウマは身体に記録される

ベッセル・ヴァン・デア・コーク(Bessel van der Kolk)は「身体はトラウマを記録する(The Body Keeps the Score)」と指摘した。過去の体験は言語記憶としてではなく、身体の緊張パターン・姿勢・呼吸・反応として記録される。

なぜ言葉で癒えないのか。答えは脳の構造にある。「言語野」と「身体の自律反応を司る系」は別の回路として動いている。カウンセリングで「なぜそうなったかわかった」という気づきがあっても、身体のパターンは変わらない——これは能力の問題ではなく、脳の構造的な問題だ。

ポリヴェーガル理論が示す「3つの神経状態」

スティーブン・ポージェス(Stephen Porges)のポリヴェーガル理論は、自律神経系を3段階で説明する。

腹側迷走神経系(安全・つながり)は、安心できる環境にいるとき活性化する。笑顔・声のトーン・アイコンタクトを通じて他者とつながり、学習・成長・変容が起きやすい状態だ。

交感神経系(闘争・逃走)は、危険を感じたときに活性化する。心拍数が上がり、筋肉が緊張し、戦うか逃げるかの準備をする。慢性的なストレスはこの状態が続いている。

背側迷走神経系(凍りつき・シャットダウン)は、極度の危険や「どうにもならない」状況に陥ったとき活性化する。感覚が鈍くなり、解離・無気力・身体の硬直が起きる。これが「凍りつき(Freeze)」の状態だ。

腹側迷走神経(安全)→ つながり・学習・変容
 ↓ 危険を感じると
交感神経(闘争・逃走)→ 戦う・逃げる
 ↓ 逃げられない状況では
背側迷走神経(凍りつき)→ シャットダウン・解離

トラウマが「固定」されるのは、この凍りつきのエネルギーが解放されないまま身体に残るからだ。

動物が教える「完結しなかった反応」

ピーター・リヴァイン(Peter Levine)は動物の観察から、トラウマの本質を解明した。

動物は危険が去った後、身体を震わせ、ショックによって生じたエネルギーを完全に放出する。このプロセスを経ることで、動物はトラウマを引きずらずに生きられる。

人間は脳があるため、このプロセスが中途半端になりがちだ。「震えるのは恥ずかしい」「泣いてはいけない」という思考が、エネルギーの解放を阻害する。結果として、凍りついたエネルギーが身体の中——筋膜——に残り続ける。

リヴァインはこの「完結しなかった反応」を解放することで、トラウマが癒えることを示した。これがソマティック・エクスペリエンシング(SE)の核心だ。

ロルフィングが行う「言葉を使わないカウンセリング」

ロルフィングのアプローチは言語の逆の経路をたどる。「何があったか」ではなく、「今、身体の中で何が起きているか」に意識を向ける。筋膜へのアプローチを通じて自律神経の状態を変化させ、凍りついた反応が自然に解放されるプロセスを支える。

セッションで長年固まっていた筋膜が解放されるとき、身体はしばしば震えたり、深い呼吸が自然に起きたりする。これはSEが「ディスチャージ(放電)」と呼ぶ、凍りついた神経系が解放されるサインだ。「なぜか涙が出た」「急に昔のことを思い出した」「胸のつかえが取れた」——これは偶然ではない。

冒頭の山田エレーヌ麗子様の「肝が据わった」「自分を責めなくなった」という変化は、ポリヴェーガル理論で言えば「背側迷走神経の凍りつき」から「腹側迷走神経の安全」へのシフトが起きたプロセスだった。

→ トラウマ Workshop – Lael Keen〜トラウマをセッションに取り入れるか

安全な場が変容を支える

変容が起きるためには、もう一つの条件がある。「安全な場」だ。

ポリヴェーガル理論が示すように、腹側迷走神経系(安全・つながり)が活性化した状態でしか、深い変容は起きない。身体が「ここは安全だ」と感じたとき、はじめて長年固まっていた緊張が解放されはじめる。

施術者が身体に触れながら、クライアントの反応をていねいに受け取る関係性——これは愛着理論が示す「安全な関係性」の再体験として機能する。身体は本来あるべき状態を知っている。施術者はその道筋を支えるだけだ。

→ 愛着は身体に刻まれる──愛着理論シリーズ第1回

身体心理学シリーズ──思考・感情・身体の統合へ(全4回)

第1回:なぜ「頭でわかっても動けない」のか──身体心理学入門 → 第1回を読む

第2回:なぜトラウマは言葉で癒えないのか(この記事)

第3回:なぜ身体を整えると判断力とパフォーマンスが上がるのか──ロルフィングと脳科学の視点から → 第3回を読む

第4回:心は「話す」と変わるのか、それとも「身体」から変わるのか──セラピストとロルファーの違い → 第4回を読む

認識のOSを「身体から」更新したい方へ

「なぜ自分はこう考えるのか」「なぜ判断がブレるのか」という問いを、哲学・脳科学・認知バイアスの視点から扱っているのが、Mind and Bodywork Labの「認識のOS」シリーズだ。身体からのアプローチと、思考からのアプローチ。両方を知ることで、変容はより深くなる。

→ Mind and Bodywork Lab:このサイトの歩き方

身体から変わりたい方へ

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大塚英文(Ph.D.)|認定アドバンスト・ロルファーTM/ロルフ・ムーブメント・プラクティショナー
東京大学大学院医学研究科博士課程修了。製薬業界を経て、2015年より渋谷でロルフィング®セッションを提供。「思考・感情・身体の統合」をテーマに活動。

 

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka