【R#415】筋膜は、生きている──生きているがゆえに、長く見えてこなかった

はじめに

ロルフィングは筋膜(fascia)に働きかける、としばしば言われる。では、その筋膜とはいったい何なのか。結合組織、と一言で片づけられがちなこの組織を、かつて研究室で、細胞のレベルから眺めていた時期がある。

今日は少し、その頃の記憶から書いてみたい。手のひらの下にある組織を、いま自分がどう捉えているのか。その見方が、どこから来たのか。

漂う細胞と、貼りつく細胞

免疫学の研究室にいた頃、自分が研究していたのは、IL-2(インターロイキン2)という、一つのサイトカインだった。手の中にあったのは、たいてい浮遊系の細胞──IL-2が働きかける、リンパ球の仲間たちである。培地のなかに漂い、互いに触れることもなく分裂していくその細胞たちが、自分にとっての日常だった。免疫とは、自由に流れる細胞たちの世界だ──そう体に染みついていた。

一方で、ときおり扱った線維芽細胞()は、まるで別の手触りを持っていた。初代のマウス胎児線維芽細胞(MEF:Mouse Embryonic Fibroblast)や、株化したNIH/3T3。これらは貼りつかなければ生きられない。皿の底に身を伸ばし、広がり、混み合えば増えるのをやめ、継代を重ねればやがて老いていく。同じ培養という営みのなかにいながら、漂う細胞とは生き方そのものが違っていた。

余談だが、線維芽細胞──fibroblast──の名の末尾にある「-blast(芽細胞)」は、何かをつくり出し、かたちづくる細胞であることを表している。骨をつくる骨芽細胞(osteoblast)も、同じ「-blast」の仲間だ。どちらも、身体を支える組織──一方は結合組織、もう一方は骨──を作る、いわば形の作り手である。名前からして、線維芽細胞は「構造をつくる細胞」だった。

当時の自分の中では、この二つ──漂う免疫の細胞と、貼りつく構造の細胞──は、はっきりと別々の世界に属していた。免疫はこちら、構造はあちら。

線維芽細胞は、簡単に取得でき、かつ培養しやすい。よく育ち、丈夫で、扱いに手がかからない。だからこそ、実験の材料として重宝された。あるタンパク質を細胞のなかで発現させ、その振る舞いを調べたい──そんなとき、まず手が伸びるのが線維芽細胞だった。研究の主役を乗せるための、いわば舞台。コラーゲンやマトリックスを黙々とこしらえる、どこか背景的な働き手。それが、当時の自分にとっての線維芽細胞の姿だった。

壁は、培養皿がつくっていた

ところが、その区分は、思っていたほど確かなものではなかった。

免疫細胞──白血球──は、その名のとおり白い。色を持たないために、見た目だけでは、どれがどの働きを担う細胞なのか見分けがつかない。だから免疫学は、細胞膜の表面にある蛋白質(抗原)──マーカー──を手がかりに、その種類と働きを区別してきた。そして、見分けられた細胞たちは、サイトカインという情報をやり取りする分子によって、活性化し、あるいは働き方を変えていく。

サイトカインこそが、免疫の交わす「ことば」なのだ。自分が追っていたIL-2も、その一語だった。

線維芽細胞は、その表面抗原で見れば「免疫細胞」には数えられない。免疫という分類の、外にいる。にもかかわらず、この細胞は、そのことばを話していた。

それを教えてくれたのは、自分の手ではなく、隣の仕事だった。自分がIL-2を追っていたその研究室は、インターフェロン(IFN)の研究もしていた。大学院生や博士研究員、助手や講師、准教授──彼らがIFNと向き合うのを、自分は傍らで見ていることが多かった。そしてそこで知ったのが、IFN-βが歴史的に「線維芽細胞インターフェロン(fibroblast interferon)」と呼ばれてきたという事実だ。

ウイルスの気配に応じて、それを放つのが線維芽細胞だったからだ。表面のマーカーで「免疫の外」に置かれていた細胞が、サイトカインという会話には、ごくふつうに加わっていた。皿の上で背景的な働き手として眺めていた細胞が、隣の実験台では、免疫のことばを話す細胞として扱われていたのだ。漂う細胞と貼りつく細胞は、別々の言語を持っていたのではない。同じことばで、互いに呼びかけ合っていた。

近年の研究は、この境界の曖昧さを、正面からはっきりと描き出している。

線維芽細胞はもはや受動的なマトリックス工場ではなく、「免疫系の協力者(confederates of the immune system)」とまで呼ばれるようになった。線維芽細胞が自ら編む細胞外マトリックス──ヒアルロン酸やフィブロネクチン──は、免疫細胞の動きそのものを調整する。損傷や修復の場面では、免疫細胞を呼び寄せ、その振る舞いを方向づける。

そして筋膜という組織には、マクロファージやマスト細胞といった免疫細胞が、もとから棲みついている。

つまり、かつてあの研究室で漠然と感じていた境界の曖昧さに、研究のほうがあとから像を与えていった、と言ってもいいのかもしれない。免疫と構造を分けていた壁は、生体のなかにあったのではない。培養皿のなかに、方法のなかに、あったのだ。

その細胞が編む網が、全身を流れている

そもそも結合組織とは、何のためにあるのか。ひとことで言えば、ばらばらの細胞を、ひとつの身体として共に働かせるためのものだ。細胞と細胞のあいだを満たし、つなぎ、支え、まとめあげる──その役割を担うのが結合組織である。

たとえば、グレープフルーツを思い浮かべてみる。中身のほとんどは果汁でありながら、それを包み、房に分け、まるい形に保っているのは、薄い膜だ。もし身体から結合組織だけを抜き取れたとしたら、形はたもてず、ただの肉の塊として崩れ落ちてしまうだろう。ばらばらにならず、一つの身体としてまとまっていられるのは、この組織が全体を編み、支えているからにほかならない。

そして、それを可能にしている物質こそ、線維芽細胞が日々こしらえていたもの──コラーゲン、フィブロネクチン、ヒアルロン酸──にほかならない。張力を受けとめる線維、細胞をつなぎとめる接着の分子、水を抱え込んで流れをつくる多糖。これらが編み合わさって、細胞たちが共に生きられる場ができあがる。筋膜や結合組織とは、その場の別名だ。

先ほど、線維芽細胞と骨芽細胞を「形の作り手」として並べた。この二つは、つくる物質こそ違え、もとは同じ間葉系の細胞から分かれた仲間である。線維芽細胞がコラーゲンやヒアルロン酸を編めば、やわらかい結合組織──筋膜──ができる。骨芽細胞が同じコラーゲンの土台にカルシウムを沈着させれば、硬い結合組織──骨──になる。

骨とは、いわば石灰化した結合組織だ。そして身体のなかで、両者はくっきりと分かれてはいない。筋膜は、より密に束ねられれば腱や靭帯となり、やがて骨をつつむ膜(骨膜)へ移り、骨へと連なっていく。やわらかい筋膜から硬い骨まで、支える組織は一つの連続した網としてつながっている。境目があるように見えるのは、物質の硬さがちがうだけのこと。織りなしているのは、同じ系譜の作り手たちなのだ。

そしてその場がつくる空間が、近年あらためて光を当てられている。

ロルフィングに親しんだ人なら、すでに見ているかもしれない映像がある。フランスの手の外科医ジャン=クロード・ギャンバトゥ(Jean-Claude Guimberteau)は、2000年代から、生体にビデオ内視鏡を差し入れ、生きた筋膜をそのまま撮りつづけてきた。皮膚の下に現れるのは、透明で濡れたように光る組織と、不規則に動く線維の混沌、そしてヒアルロン酸を含む水の流れだった。そこには境目がない。

皮膚も脂肪も筋膜も、すべてが連続してつながっている。彼はこの観察から、「マイクロバキュオール(microvacuole)」を基本単位とする、多線維的な身体構造という独自の見方を立てた。2007年、ボストンで開かれた最初の筋膜研究会議で映像が上映され、その仕事はボディワーカーのあいだに広く知られていった。固定された標本ではなく、生きて動く組織を見せた、最初の窓だったと言っていい。

それから十年あまりののち、まったく別の方角から——消化器の医療画像の現場から——同じ方向を指す報告が現れる。2018年、Benias らの研究チームは、生きた組織をそのまま観察できる新しい内視鏡技術(probe-based confocal laser endomicroscopy)を用いて、ひとつの発見を報告した。

これまで密な結合組織だと思われてきた層が、実は液体で満たされた、相互に連結した区画の網だったのだ。皮膚の下、消化管や肺の内壁、血管の周囲、そして筋肉のあいだの筋膜にまで、連続して全身に広がっている。間質(interstitium)と呼ばれるこの空間は、リンパの主要な源であり、体液が流れる「流れの高速道路」として、細胞どうしのやりとりや炎症にも関わりうるとされる。

出発点も手法も異なる二人が、生きた組織を覗いたとき、同じ像にたどり着いた。なぜ、これほど長いあいだ見えなかったのか。標本をスライドに固定すると、液体で満たされた空間がつぶれ、密につまった組織のように見えてしまう。組織を固定し、薄く切って染め、顕微鏡で覗く──その見方が標準になってから、ゆうに一世紀以上が過ぎていた。

そのあいだずっと、生きて流れる空間は、死んだ標本の上でつぶれたまま、誰の目にも触れずにいたことになる。皮肉なことに、筋膜が見えてこなかったのは、それが生きていたからだ。生きたまま観る術がようやく整って初めて、本来の姿が現れたのだった。

ここには、培養という営みにも通じる何かがある。生体から細胞を切り離し、皿の上に置くこと──それもまた、ひとつの固定であり、抽象だった。MEFはマウスに由来し、NIH/3T3は不死化した株であって、生きたヒトの筋膜そのものではない。皿の上で眺めていたのは、連続体から切り取られた断片だった。固定標本が間質を消してしまったように、培養もまた、見ようとしていたものの一部を、知らぬまに取りこぼしていたのだろう。

部分ではなく、連続体として

漂う細胞と貼りつく細胞の境界の曖昧さ。免疫的に活発な筋膜。リンパを生み、全身を流れる間質。これらはすべて、同じひとつの見方へと収束していく。身体は、別々の部品を寄せ集めたものではなく、連続して連絡し合う、ひとつの秩序なのだ、という見方へ。

Body as an Operating System──身体を、部分の集まりとしてではなく、全体として動く一つの系として捉える視点である。ロルフィングが働きかけているのは、個々の不調を追いかける対症的な手当てではなく、この連続性の細胞層そのものだ。表面の症状ではなく、その下で身体を支え、つなぎ、流れを通している土台のほうへ。

かつて二つの世界に見えていたものが、生きた身体のなかでは一つに息づいている。そのことに気づいたとき、結合組織は、もう「白い詰め物」ではなくなった。

断定できないこと、を正直に

ここまで書いてきて、はっきりさせておきたいことがある。

間質の研究も、線維芽細胞の免疫的な顔も、確かに実在する。だが、それは「ロルフィングが免疫を高める」とか「炎症を鎮める」といったことを示すものではない。間質を「新しい臓器」と呼ぶかどうかさえ、研究者のあいだでまだ定まってはいない。これらの知見が更新したのは、手技が触れている組織を“どう捉えるか”という見方であって、効能についての主張ではない。

先日紹介したロルフィングの大規模な臨床記録の研究が、論文タイトルに “Effect” ではなく “Influence” という慎重なことばを選んでいたのと、同じ姿勢でありたい。わかっていることと、まだわからないことの境を、正直に引いておく。語れるのはあくまで、組織の成り立ちについての見方が変わってきた、ということだけだ。

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おわりに

医学が長らく「切り捨てるべき白いもの」として扱ってきた組織がある。かつて自分も、それを皿の上で、漂う細胞と貼りつく細胞に分けて眺めていた。免疫と構造は、別々の世界だと信じて。

けれど生きた身体は、その分割を守らない。線維芽細胞は免疫のことばを話し、結合組織は免疫の現場であり、それらを編む網は全身を一つの流れとしてつないでいる。皿のなかできれいに分かれていたカテゴリーは、方法が課した区切りにすぎなかった。

そう見えてくると、手のひらの下にある組織の感触も、少し変わってくる。そこにあるのは、ばらばらの部品ではなく、連続して呼応し合う、ひとつの生きた秩序なのだから。

少しでもこの記事が、身体という連続体をあらためて感じ直すきっかけになればうれしいです。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka