
はじめに
前回、「筋膜は、生きている」という話を書いた。固定された標本の上では消えてしまう、生きて流れる連続体としての筋膜。免疫のことばを話し、全身をひとつながりにつないでいる組織。あれは、筋膜を外側から──組織や細胞として──捉え直す記事だった。
今回は、その同じ組織を、身体の内側から見つめてみたい。生きて連続している筋膜は、ただ支え、つないでいるだけではない。それは、感じてもいるのだ。
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五感の外にある、もうひとつの感覚
見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる。五感はいずれも、外の世界へ向かっている。けれど、それとは別に、内側へ向かう感覚がある。心臓の鼓動、呼吸の深さ、空腹や渇き、体の奥のほてりやこわばり──身体の内側の状態を、たえず感じ取っている感覚だ。内受容感覚(interoception)と呼ばれる。
よく似たことばに、固有感覚(proprioception)がある。こちらは、手足がいまどこにあるか、身体が空間のなかでどんな姿勢をとっているかを知らせる感覚だ。内受容感覚は、それとは少し違う。身体が「どこにあるか」ではなく、「どんな状態にあるか」──調子はどうか、満ちているか、強ばっているか──を、静かに伝えてくる。多くは意識にのぼらないまま、生命の恒常性(ホメオスタシス)を支えている。
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筋膜は、感覚器官でもある
ここで、前回の筋膜が戻ってくる。
筋膜は、支えるだけの組織ではない。そこには、おびただしい数の感覚神経の終末が分布している。筋膜を「身体でもっとも豊かな感覚器官」と呼んだのは、ロルファーであり、いまや筋膜研究の中心にいる一人、ロバート・シュライプ(Robert Schleip)だ。
ロルフィングやフェルデンクライスの施術者として三十年あまり活動したのち、より確かな科学の裏づけを求めて50歳で大学に戻り、筋膜の研究で博士号を取った人である。別の記事で紹介した、23年分の臨床記録に光を当てた研究の、中心人物でもある。施術室で手が感じてきたことを、研究室で確かめていった——そういう歩みの人だと言っていい。
Schleipの見積もりによれば、筋膜にはおよそ二億五千万もの感覚神経の終末があるという。皮膚よりも、目よりも豊かな、文字どおり身体でいちばん大きな感覚の場だ。そこには四種類の受容器──ゴルジ、パチニ、ルフィニ、そして自由神経終末──が備わっている。この豊かな網は、身体がいまどこにあるかを知らせる固有感覚──いわゆる「第六感」──を支えると同時に、身体がどんな状態にあるかを伝える内受容感覚をも担っている。
なかでも、内受容感覚を担うのは、自由神経終末と呼ばれる、もっとも素朴なかたちの受容器だ。そしてそれらは、内臓をつつむ結合組織や、筋肉のあいだを満たす筋膜のなかに、豊かに分布している。前回、コラーゲンやヒアルロン酸を編んでいた線維芽細胞、全身を流れる間質──あの連続した組織は、同時に、身体が自分自身を内側から感じ取るための、繊細な感覚の網でもあったのだ。
つまり、ロルフィングの手が触れているのは、構造であると同時に、感覚の場でもある。
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感じることは、脳の島皮質で情動とつながる
内受容感覚には、もうひとつ興味深い性質がある。
固有感覚の信号が、おもに脳の体性感覚野へ送られるのに対して、内受容感覚の信号は、島皮質(insula)と呼ばれる領域で統合されると考えられている。この島皮質は、情動や、自分が自分であるという感覚と、深く結びついている。だから内受容感覚は、単なる身体の情報ではなく、しばしば気分や感情の色合いを帯びてやってくる。
身体の内側をどう感じているか。それは、いまの自分の心の状態と、思いのほか地続きなのだ。胸がつまる、肩が重い、お腹がざわつく──情動を語ることばが、しばしば身体の感覚を借りているのは、偶然ではないのかもしれない。
筋膜という感覚の網がほどけ、内側の感じ方が変わるとき、そこで動いているのは、身体の地図だけではない。自分をどう感じるか、という、もっと深いところでもある。
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ヨガ・瞑想・ロルフィングが触れていた層
そう考えると、いくつかの実践が、ひとつの線でつながってくる。
ヨガで呼吸を追いかけるとき。瞑想で、ただ身体の感覚に注意を置くとき。ロルフィングの手のあとで、自分の身体がいつもと少し違って感じられるとき──そのどれもが、この内受容感覚という層に触れている。外から見える姿勢や動きが変わるより前に、あるいはそれと同時に、内側からの感じ方が、静かに更新されていく。
身体を、部分の寄せ集めとしてではなく、感じ、応答する、ひとつの生きた系として捉える。前回、外から眺めたBody as an Operating Systemを、今回は内側からなぞっていることになる。感じ方が変わるとは、いわば、感覚のOSがゆっくりと書き換わっていくことなのだと思う。
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断定できないこと、を正直に
ここでも、はっきりさせておきたいことがある。
筋膜が豊かに神経支配されていることも、内受容感覚が島皮質で情動と結びつくことも、研究にもとづく知見だ。けれど、それは「ロルフィングが不安を治す」とか「感情の問題を解決する」といったことを意味しない。内受容と情動の関係は、いまなお探究の途上にある研究分野だ。
前回と同じく、これは効能の主張ではない。語れるのはあくまで、手が触れている組織が「感覚」という側面を持っている、という見方が育ってきた、ということだけだ。わかっていることと、まだわからないことの境を、ていねいに引いておきたい。
おわりに
前回は、筋膜が生きて、つながっていることを書いた。今回は、その同じ組織が、感じていることを書いた。外から見れば連続体であり、内から感じれば、自分自身を映す繊細な感覚の網。ひとつの組織の、ふたつの顔である。
手のひらの下にあるのは、ただの支えでも、ただの詰め物でもない。生きて、つながり、そして感じている——そういう組織なのだと思うと、触れることの意味も、少し変わってくる。
少しでもこの記事が、ご自身の身体を内側から感じ直す、小さなきっかけになればうれしいです。
