カテゴリ:「身体の科学|筋膜研究・エビデンス」

はじめに
「ロルフィングは疑似科学だ」というラベルに触れたとき、多くの人が抱く問いはシンプルだ。「では、まともな研究者は、この分野を扱っていないのか?」
この問いに対する一つの具体的な答えが、ドイツのミュンヘン工科大学(TUM)にある。ここでは、認定ロルファーでもある研究者が、筋膜とロルフィング(構造的統合)の臨床研究を、博士研究のレベルで進めてきた。その中心人物が Katja Bartsch氏だ。
本記事では、彼女の経歴と研究内容を紹介しながら、「アカデミックな研究機関で、ロルフィング関連の研究がどのように行われているのか」を具体的に整理する。同時に、その研究が抱える方法論上の限界にも、率直に触れておきたい。
Katja Bartsch とは何者か
Katja Bartsch氏の経歴は、身体・科学・実践が交差する点に立っている。
彼女はミュンヘン工科大学(TUM)でスポーツ科学の学士号(BSc)を取得し、さらにフリードリヒ・アレクサンダー大学エアランゲン・ニュルンベルク(FAU)で経営学修士(MBA)を修めている(このMBAは2011年の最優秀学生賞を受けている)。加えて、10年以上のヨガ指導歴を持つ E-RYT 500 認定ヨガ講師であり、ヨーロッパ各地の指導者養成でアナトミー(解剖学)と筋膜生理学を教えてきた。そして、認定ロルファー(構造的統合の実践者)でもある。
科学・経営・身体実践という複数の背景を併せ持つこの立ち位置が、彼女の研究に独特の視点を与えている。
ウルム大学の筋膜研究グループから、TUM の博士研究へ
Bartsch 氏は2019年1月以降、Robert Schleip 博士と Werner Klingler 教授が率いるウルム大学の Fascia Research Group(筋膜研究グループ)の一員として活動してきた。ここはヨーロッパの筋膜研究の重要な拠点の一つだ。
その後、彼女はミュンヘン工科大学(TUM)で、Robert Schleip 教授の指導のもと、博士研究に取り組んだ。所属は保存・リハビリテーション整形外科(Conservative and Rehabilitative Orthopaedics)領域で、研究テーマは「Myofascial Diagnostics and Interventions(筋膜の診断と介入)」である。
具体的には、次のようなテーマに取り組んできた。
- 軟部組織の硬さ(stiffness)の測定手法 ── 筋膜や軟部組織の硬さは、筋骨格系の障害・痛み・さらにはがん生物学とも関連づけられており、その客観的な測定法への需要が高まっている。Bartsch 氏は、複数の硬さ測定ツール(SMT:Stiffness Measurement Tools)が、どのような組織にどれだけ適しているかを、多層構造の模型(ファントム)を用いて比較検証している。ここでいうファントムとは、生体組織の力学的性質(硬さや粘弾性)を人工的に再現した模型のことだ。生きた身体は個人差や測定のばらつきが大きいため、あらかじめ数値のわかった人工モデルを「基準(グラウンドトゥルース)」として用いることで、各ツールの精度を安定した条件のもとで比較できる。彼女の研究では、胸腰部の四層(表皮・皮下結合組織・深筋膜・脊柱起立筋)を模したポリウレタン製のファントムが用いられた。
- 超音波による筋膜の可動性の評価 ── 胸腰筋膜(腰痛と関連が深い部位)における筋膜の滑走性や変形量を、超音波画像のスペックル・トラッキング解析によって定量化する試み。これらは、筋骨格系障害のバイオマーカー候補として注目されている。
いずれも、「筋膜に手技で働きかける」という営みを、客観的に測定・評価できる形にするための基盤研究になりうる。
博士研究の中核をなす論文
Bartsch 氏の研究を語るうえで欠かせないのが、2022年に Journal of Clinical Medicine に発表された論文だ。
「Influence of Rolfing Structural Integration on Active Range of Motion: A Retrospective Cohort Study(ロルフィング構造的統合が自動関節可動域に及ぼす影響:レトロスペクティブ・コホート研究)」(J Clin Med. 2022; 11(19): 5878)。著者は Andreas Brandl、Katja Bartsch、Helen James、Marilyn E. Miller、Robert Schleip。
これは、ロルフィングを受けたクライアントの記録を後ろ向きに分析し、自動関節可動域の変化を検討した研究だ。そしてこの研究は、その後2025年に同誌へ発表された、23年分・563名のデータを扱う大規模レトロスペクティブ・コホート研究(Schleip et al., 2025)へとつながっていく。2025年の研究にも Bartsch 氏は関与しており、彼女の博士研究の流れが、より大きな研究へと発展したことがうかがえる。
→ 筋膜研究の第一人者が光を当てた、23年分の記録 ──ロルフィング10シリーズの新しい研究から
その研究は、何を明らかにしてきたのか
では、こうした地道な測定の積み重ねから、実際に何が見えてきたのか。
その一つの到達点が、先に触れた2025年の大規模研究だ。10回のロルフィング・シリーズを完了した563名の記録を分析したこの研究では、施術の前後で、股関節・膝関節の可動性、体幹の左右対称性、そして呼吸時の胸郭の広がりが測定された。結果として、これらすべての指標に統計的に有意な改善が観察された。可動性・バランス・呼吸機能のいずれにも、変化が確認されたのだ。
だが、この記事で立ち止まりたいのは、数値そのものよりも、その先にある問いだ。興味深いのは、研究者たち自身が「なぜ、こうした変化が起きるのか」という問いを、一つの答えに閉じず、複数のメカニズムとして開いている点である。論文では、筋膜の滑走性(gliding)の改善、筋緊張(muscle tone)の変化、そして身体感覚(body awareness)の変化といった、複数の可能性が並べて検討されている。
この「複数のメカニズム」というリストにこそ、ボディワークの奥深さが隠れている。滑走性は組織・力学の問題、筋緊張は神経の問題、身体感覚は知覚の問題だ。つまり、たった一つの単純な原因では説明できない ── 手が身体に触れたとき、力学・神経・知覚という複数の層が、同時に動いている可能性がある。
なぜ、これほど面白いのか ── ボディワークの奥深さ
ここで、筋膜研究がボディワークにもたらした、最も面白い転換を紹介したい。それは、TUM・ウルムの研究グループを率いる Robert Schleip 自身が、20年以上前に投げかけた一つの素朴な問いから始まる。
手は、筋膜を「引き伸ばして」いるのか?
長いあいだ、手技療法は「硬くなった組織を、手で引き伸ばしている」と説明されてきた。ところが、Schleip が2003年の論文(Fascial plasticity)で指摘したのは、単純だが厄介な事実だった ── 筋膜を力学的に永久変形させるには、施術者の手が加えるよりも、はるかに強い力か、はるかに長い時間が必要になる、というのだ。
だとすれば、施術者が手のもとで感じる、あの数十秒から数分での「ゆるみ」は、いったい何なのか。組織を物理的に引き伸ばしているのでないとすれば、そこで何が起きているのか。
答えは、「筋膜は感じている」
Schleip がたどり着いた説明は、ボディワークの見方を大きく変えるものだった。筋膜は、単なる受け身の材料ではない。そこには、押す・引く・圧すといった機械的な刺激に反応する感覚受容器(メカノレセプター)が、密に埋め込まれている。
手が筋膜に触れると、これらの受容器が刺激される。すると、交感神経の緊張が下がり、局所の組織の状態(粘性や水分の動き)が変化する。つまり、施術者が感じる「ゆるみ」は、粘土をこねるような力学的な変形ではなく、神経系が触れられたことに応えて起こす反応 ── 生きた組織との「対話」の結果だと考えられるようになった。
この転換は大きい。ボディワークとは、動かない材料を成形する作業ではなく、感じ、応え、自己を調整する神経系と交わす営みなのだ、という見方への転換だからである。
「どう触れるか」が、意味を持つ理由
さらに面白いのは、筋膜の受容器が一種類ではないことだ。ゴルジ(Golgi)・パチニ(Pacini)・ルフィニ(Ruffini)、そして自由神経終末()という、性質の異なる複数の受容器が存在する。そして、それぞれが異なる触れ方に応える。たとえば、ゆっくりとした深い圧は、主にルフィニ終末を介して自律神経(迷走神経)に働きかけ、緊張をゆるめる方向に作用すると考えられている。
これは、「どう触れるか」── 速さ・深さ・持続の質 ── が、身体の異なる部分に語りかけることを意味する。ボディワークが、単なる圧の強弱ではなく、繊細な技術であり続ける理由が、ここにある。Schleip は、施術者の手のもとで組織が応答していくさまを「魚の群れ」にたとえた。一つの反応に手が支持的に応えると、隣もまた応え、やがて群れ全体が動きはじめる、というイメージだ。
身体と、こころの境目で
そしてこの感覚受容の話は、身体だけにとどまらない。筋膜は、自分の内側の状態を感じ取る「内受容感覚(interoception)」の重要な担い手でもあり、それは身体像や情動と深く結びついていると考えられている。深い圧が自律神経に働きかけ、筋の緊張がゆるみ、心が静まっていく ── ロルフィングのセッションが、ときに感情的な解放や深い落ち着きを伴うことがあるのは、この筋膜・自律神経・情動のつながりから理解できるのかもしれない。
ただし、ここで立ち止まっておきたい。これらは、有力で示唆に富むモデルではあるが、なお検証の途上にある仮説でもある。だからこそ ── 話は冒頭に戻る ── Katja Bartsch は、超音波で筋膜の滑走を測り、硬さの測定手法を整えているのだ。「筋膜は感じている」という魅力的な物語を、感傷ではなく、数値で確かめられるものへと変えていく。その地道な作業こそが、TUM の研究の核心にある。
ERA での役割 ── Research Advisor
Bartsch 氏は、欧州ロルファー協会(ERA)の Research Advisor(研究顧問)も務めている。この立場で、「Myofascial Diagnostics and Interventions」という自身の研究領域における最新の研究成果を協会に共有し、ERA の研究開発(R&D)委員会を推進する原動力となっている。
つまり彼女は、「大学の研究室で筋膜を測定・研究する研究者」であると同時に、「その知見を実践家のコミュニティへ橋渡しする役割」も担っている。研究と実践のあいだをつなぐ、この二重の立ち位置に彼女の特徴がある。
博士研究から、ポスドク研究へ
Bartsch 氏は博士研究を経て、現在はミュンヘン工科大学(TUM)のポスドク研究者(post-doctoral researcher)として研究を続けている。
そのポスドク研究では、構造的統合(Structural Integration)が姿勢・痛み・関節可動域・軟部組織の硬さに与える影響を測定することを目指しており、前述の2022年の自動関節可動域研究を土台としている。この研究は、Ida P. Rolf Research Foundation(アイダ・P・ロルフ研究財団)による助成を受けている。彼女自身の言葉によれば、この研究は構造的統合に関する科学的知見に寄与し、医療機関・登録機関・一般社会からの認知の向上につながることを目指している。
率直な限界 ── 何が「まだ」言えないのか
ここまでの事実は、「ロルフィングがアカデミックな場で研究されている」ことを確かに示している。一方で、その研究が現時点で何を証明し、何を証明していないのかは、明確に区別しておく必要がある。
Bartsch 氏の中核的な研究の多くは、レトロスペクティブ・コホート研究、すなわち過去の記録を後ろ向きに分析する観察研究である。これは仮説を立て、傾向を捉えるうえで価値ある手法だが、対照群との比較を含むランダム化比較試験(RCT)ではない。したがって、観察された可動域や硬さの変化が、ロルフィング自体に起因するのか、それとも自然変動・プラセボ効果・その他の要因によるものかを、これらの研究だけで確定することはできない。
また、硬さの測定手法や超音波解析の研究の多くは、臨床効果そのものを証明するというより、「効果を客観的に測定するための道具を整える」段階にある。測定手法が確立して初めて、より厳密な効果検証が可能になる。言い換えれば、これは分野が成熟へ向かう途中の、基盤づくりの作業だ。
こうした限界は、研究者自身によっても論文中で明示されている。この誠実さこそが、疑似科学と科学的探究を分ける重要な境界線でもある。
おわりに
Katja Bartsch 氏の存在は、「ロルフィング」という言葉が、決して閉じた実践者コミュニティの内側だけで語られているのではないことを示している。大学の研究室で、超音波や測定ツールを用いて、筋膜という組織が地道に定量化されつつある。
それは華々しい効果証明ではなく、「効果を測るための物差しを、まずつくる」という静かな作業だ。しかしこの地道さこそが、批判と研究と実践が並走する現在進行形のフィールドを、少しずつ前へ運んでいる。
「疑似科学か、科学か」という二択で裁く前に、こうした地道な研究が実際に進行しているという事実を、判断材料の一つに加えてみてほしい。
参考リンク
- European Rolfing Association: Fascia Expertise & Scientific Research
- Ida P. Rolf Research Foundation: Current Funded Research
- Brandl A, Bartsch K, James H, Miller ME, Schleip R. Influence of Rolfing Structural Integration on Active Range of Motion: A Retrospective Cohort Study. J Clin Med. 2022;11(19):5878.
- Schleip R, James H, Bartsch K, et al. Influence of Rolfing Structural Integration on Lower Limb Mobility, Respiratory Thorax Mobility, and Trunk Symmetry: A Retrospective Cohort Study. J Clin Med. 2025;14(17):6123.
- Bartsch K, Brandl A, Weber P, Wilke J, Bensamoun SF, Bauermeister W, Klingler W, Schleip R. Assessing reliability and validity of different stiffness measurement tools on a multi-layered phantom tissue model. Sci Rep. 2023;13:815. doi:10.1038/s41598-023-27742-w
- Van Amstel R, Brandl A, Weide G, Bartsch K, Jaspers RT, Pool-Goudzwaard A, Schleip R. Validation of speckle tracking analysis for assessing fascia sliding mobility. J Biomech. 2025. doi:10.1016/j.jbiomech.2025.112580
- Schleip R. Fascial plasticity — a new neurobiological explanation. J Bodyw Mov Ther. 2003;7(1–2).
- Anatomy Trains: Certified Teachers(Katja Bartsch)
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大塚英文(Ph.D.)|認定アドバンスト・ロルファー™/ロルフ・ムーブメント・プラクティショナー 東京大学大学院医学研究科博士課程修了。外資系製薬会社でメディカル・マーケティング業務に従事した後、2015年より渋谷でロルフィング®セッションを提供。「科学と実践の統合」をテーマに活動。
