
はじめに
これまで三度にわたって、筋膜という組織を、いろいろな角度から眺めてきた。生きて、つながっていること。感じていること。動き、そして動きによって保たれていること。
共通していたのは、筋膜が、単なる構造ではない、ということだった。生きて、感じて、動くもの。ということは、筋膜は変化しうる。この一点にこそ、ロルフィングとが筋膜へアプローチする意味があると考えている。
今回は、その点を強調してまとめてみたい。筋膜が変わりうること、そして、その変化が「重力のなかで」起きることだ。
ロルフィング(Rolfing)という施術を生み出したアイダ・ロルフ(Ida Rolf)は、二十世紀のなかば、この二つ──可塑性と重力──を、仕事の中心に据えた人だった。
身体は、可塑である(変化できる)
アイダ・ロルフが繰り返し語ったことのひとつに、身体は可塑的(Plastic)=変化できるものである、という考えがある。
私たちはたいてい、いまの身体のかたちを「そういうもの」として受け取っている。長年の習慣でつくられた姿勢や、動きの癖を、変えようのない構造だと思い込んでいる。けれど彼女は、そこに問いを差し込んだ。習慣を、構造と取り違えてはいないか、と。
肩の位置も、背中のこわばりも、脚の運びも、生まれつき決まった形ではない。多くは、長い時間をかけて身についた偏りだ。そして偏りであるなら、編み直せる余地がある。身体は、思うよりずっと、作り変えうる媒体(medium)なのだ──これが、ロルフィングという仕事の底に置かれた、静かな前提である。
なぜ、変わりうるのか
では、なぜ身体は変わりうるのか。その答えは、これまでの3回でまとめてきた。
生きているから、編み直せる。線維芽細胞は、コラーゲンを生み、古いものを壊し、少しずつ組織を構成するマトリックス(細胞外基質)を入れ替えている。組織は、完成した石ではなく、たえず更新されつづける営みと見ることができる。
水を含むから、しなやかに応じる。筋膜の大部分は抱え込まれた水であり、動きや働きかけに応じて、その潤いは移り変わる。乾いて硬くなることもあれば、ふたたびしなやかさを取り戻すこともある。
そして、連続しているから、一点の変化が全身へ伝わる。筋膜は全身にひとつながりの網として広がっている。一か所の緊張がほどければ、その変化は網をたどって、思わぬ遠くへ届いていく。
生きて、潤い、つながっている──だからこそ、身体は一箇所ずつではなく、全体として組み変わりうる。
重力という、かたちを与えるもの
ここで、これまで触れていなかった次元が入ってくる。重力(gravity)である。
アイダ・ロルフが見ていたのは、筋膜そのものというより、「身体が重力のなかでどう組織されているか」だった。彼女は、こんな比喩を好んで使った。積み木を思い浮かべてほしい、と。重心がばらばらに積まれた積み木より、一本の垂直線の上に重心が揃った積み木のほうが、安定し、長くもちこたえる。身体も同じで、各部が垂直軸のまわりに整えば、重力とたえず争わずにすむ。それどころか、重力を支えとして使えるようになる。
彼女がこの仕事を Structural Integration(構造的統合)と呼んだのは、そのためだ。ひとつひとつの不調を追いかけるのではなく、身体全体を、重力との関係のなかで組み直していく。ロルフィングが、痛むところを揉みほぐす対症的な手当てと質を異にするのは、この一点にある。整えようとしているのは、部分ではなく、身体と重力とのあいだの関係そのものなのだ。
気づきとしての変化
そして、変化は物理だけの話ではない。
筋膜は感じる組織でもある。だから、そこがほどけ、組み変わるとき、移ろうのは姿勢の力学だけではない。自分の身体を、内側からどう感じるか──その感じ方も、少しずつ変化していく。
アイダ・ロルフは、この過程を、いわば「無意識を押し戻す」ことだと捉えていた。人は、習慣でできた身体の像を、それが自分そのものだと信じている。ロルフィングは、まだ動けるはずの余地を、本人自身に気づかせる。「こんなふうに動けたのか」と、自分の組織で気づく瞬間をつくる場を提供する。
変化とは、身体の再編であると同時に、身体をどう感じ、どう住まうかの、更新でもある。Body as an Operating System──その系が、ゆっくりと編み直されていく。かつて動かしようがないと思っていたものが、動きうるものとして立ち現れてくる。
断定できないこと、を正直に
ここでも、線を引いておきたい。
筋膜や結合組織が、負荷や動きに応じて作り変えられていくこと──その可塑性そのものには、研究の裏づけがある。組織は、たしかに変わりうる。
けれど、「ロルフィングで姿勢が永久に整う」とか「重力を整えれば不調が消える」といった話には、慎重でありたい。恒久的な構造の変化がどこまで起きるのか、重力との関係がどこまで効くのかは、まだ確かめきれていない。アイダ・ロルフ自身、この一連の手順を、一種の「信条(credo)」──〈私はこう信じる〉──と呼んでいた。証明された法則としてではなく、実践を導く仮説として。
語れるのは、身体は思うよりも変わりうる、という見方が、科学の側からも少しずつ支えられはじめている、ということだ。効能の約束ではなく、そこまでにとどめておきたい。
おわりに
生きて、感じて、動いて、そして変わりうる。4度にわたって眺めてきた筋膜の、4つの顔である。
どれもが、ひとつの見方に収束していく。身体は、固定された部品の寄せ集めではなく、生きて、感じ、動き、そして重力のなかで編み直されていく、ひとつの連続体なのだ、という見方に。
手のひらの下にあるのは、変えようのない構造ではない。長い時間をかけて身についた偏りであり、だからこそ、時間をかけて、ゆっくりと組み直していけるものだ。そう思うと、自分の身体との付き合い方も、少し変わってくるのかもしれない。
少しでもこの記事が、ご自身の身体を、変わりうる連続体としてあらためて捉え直すきっかけになればうれしいです。
