
はじめに
このシリーズでは、筋膜の四つの顔を追ってきた。生きている。感じている。弾んでいる。そして、変わっていく。
けれど、最後の顔には、まだ答えていない問いが残っている。なぜ、変わるのか。 手で触れること、身体を動かすこと ── それらはどれも、突きつめれば「力を加える」という物理的な出来事にすぎない。押す、引く、伸ばす、ずらす。その力学的な出来事が、どうして生きた組織の構造を、細胞の振る舞いを、遺伝子の働きまでも変えうるのか。力は、どこで、どうやって、細胞が読める情報になるのか。
この問いに答えるのが、メカノトランスダクション(mechanotransduction、力学的信号伝達)という仕組みだ。細胞生物学(Cell Biology)の中核をなす概念であり、そして ── 施術を提供している私から見て ── 手のひらの下で起きていることを、分子の言葉で捉え直すための、もっとも確かな足場でもある。
今回のブログでは、力が細胞の内側へと届き、核にまで達し、やがて構造が作り変えられるまでの作用機構(メカニズム)を扱う。あわせて、これらの分子レベルの知見と、実際の手技とのあいだに、どれだけのギャップがあるのかにも、まとめたい。
力は、化学の言葉に翻訳される
メカノトランスダクションとは、物理的な(力学的)な力や変形を、化学的(生化学的)な信号へと変換する過程をいう。細胞にとって、力は、ただ押しのけてくるものではない。読み取るべき情報でもある、ということだ。
細胞は、押されたこと、引かれたこと、まわりが硬いか柔らかいかという情報を「読む」ことができる。そして、その読み取りに応じて、形を変え、遺伝子の発現(スイッチ)をON/OFFにし、時には自らの運命 ── どんな細胞になるのか ── さえ変化させていく。このプロセスは、ふつう三つの段階に分けて理解される。
- 力を感知すること(mechanosensing
- 信号として伝えること(mechanotransmission)
- 応答すること(mechanoresponse)
の3つだ。
まずは、力は、細胞の「どこで受け取られるのか」について取り上げたい。
なぜ、接着が要るのか ── 細胞が社会をつくるということ
まずは、そもそも、なぜ細胞は、集まって多細胞の身体をつくるのだろうか。からスタートしたい。
理由は、分業である。
ひとつの細胞が、栄養をとることも、動くことも、身を守ることも、すべて自前でやらなくてよくなる。縮むことに専念する細胞、信号を伝えることに専念する細胞、栄養を吸収することに専念する細胞。役割を分ければ、それぞれは深く、遠くまで、その仕事を極められる。私たちの身体は、そうやってできた細胞たちが一つの社会を作っている。
その分業が、もっとも見えるかたちをとったものが、臓器だ。食べたものを受けとめ、消化にかかる胃腸。栄養を代謝し、毒を分解する肝臓。血液を濾し、水の量や、塩の濃度を一定に保つ腎臓。それぞれが専門の仕事を引き受け、他の仕事は他に委ねている。肝臓は自分で食べない。胃腸は自分の血を作らない。互いに頼りあうことで、はじめて全体が回る。
だが、分業には、代償がともなう。
専念するということは、他を人任せにするということだ。だから、それぞれは自分の持ち場を離れられない。肝臓が腹のなかを漂い、腎臓が動きまわり、胃が腸とつながる位置を失えば ── 分業は、たちまち成り立たなくなる。細胞のレベルでも、同じことが起きている。筋の細胞は、自分では食べられない。栄養を運ぶ血管のそば、指令をくれる神経のそばという位置関係が崩れた瞬間、その細胞は仕事ができなくなる。
つまり、社会が成り立つには、それぞれが決まった場所に留まっていなければならない。ならば、留めるものが要る。
そして実際、臓器は放り込まれているのではない。膜に包まれ、吊るされ、隣どうしの位置を保たれている。心臓には心膜があり、肺には胸膜があり、腹の臓器は腹膜や腸間膜によって、支えられながら、なお滑って動けるようになっている。すべて、筋膜と同じ結合組織の仲間である。
ここで、もうひとつ大切なことがある。社会が成り立つには、繋ぐだけでは足りない。分けることも、同じだけ要るのだ。
胃の中身が腹のなかに漏れてはならない。血液が、いたるところに染み出してはならない。肝臓の細胞と、膵臓の細胞が、混ざりあってはならない。分業とは、それぞれが自分の領分を保つということであり、領分を保つには、境界(バウンダリー)が要る。隔てるものがなければ、専門は成り立たず、すべては溶けあって、ひとつの濁ったスープになってしまう。
そして、その境界を作っているのも、また結合組織である。上皮の細胞は、基底膜(basement membrane)と呼ばれる薄いマトリックスの膜の上に並び、そこに接着することで、内と外を隔てる壁になっている。先に挙げた臓器を包む膜も、筋を包む膜も、同じように、こちらとあちらを分けている。
つまり、この組織は、繋ぐと同時に隔てている。ひとつながりでありながら、区画されている。連続と区分は、矛盾ではない ── 隔てられているからこそ、それぞれが自分の仕事に専念でき、繋がっているからこそ、全体としてひとつに動ける。
細胞のレベルでも、事情は変わらない。細胞のまわりを埋めているのは、コラーゲンやエラスチンの線維と、ヒアルロン酸を含んだ水っぽいゲルの網だ。細胞生物学では、これを細胞外マトリックス(extracellular matrix、ECM)と呼ぶ。
そして、これが肝心なのだが、筋膜とは、この細胞外マトリックスそのものである。
顕微鏡を覗くと、一つの細胞のまわりに、コラーゲンの網が見える。その倍率を下げていくと、同じ網が、細胞の集まりを包み、筋を包み、臓器を包み、腱へと続き、やがて肉眼で見える膜になっていく ── それが筋膜だ。細胞生物学者が「細胞外マトリックス」と呼び、解剖学者が「筋膜」と呼ぶ。呼び名が違うのは、見ている倍率が違うからであって、別の物質を指しているわけではない。
筋膜とは、詰め物ではない。細胞から臓器まで、分業する者たちを、それぞれの持ち場に留め、それぞれの領分を隔てるもの ── 社会が成り立つための、条件そのものだったのである。
情報が絶えると、細胞は死ぬ ── インテグリンという「留め具」
社会に属するとは、どういうことか。
持ち場を離れた細胞は、多くの場合、そのまま生きてはいけない。マトリックスから引き剥がされると、細胞は自ら死ぬのである。アノイキス(anoikis、「宿無し」を意味するギリシャ語に由来する)と呼ばれる、接着の喪失によって引き起こされる細胞死だ。
はじめてこれを知ったとき、私は驚いた。細胞は、栄養が足りなくて死ぬのではない。物理的に壊されて死ぬのでもない。ただ、繋がりが絶たれただけで死ぬ。言い換えれば、細胞は接着を通じて「ここにいてよい」という情報を受け取り続けており、その情報が途絶えたときに、生きることをやめるのだ。
これは、細胞というものの見方を変えてしまう。細胞は、自足した小さな生きものではない。絶えず外から情報をもらい続けることによって、かろうじて生きている存在なのである。そして、その情報のやりとりそのものが、社会を成り立たせている。
(もっとも、この掟には抜け道がある。境界を破り、持ち場を離れてなお生き延び、増え続ける細胞があれば ── それは社会の秩序の崩壊であり、がんの浸潤と呼ばれる振る舞いにほかならない。)
さて、そうであるならば、細胞は「自分はいま、ちゃんと繋がっているか」を、絶えず確かめていなければならない。
その確認を担うのが、インテグリン(integrin)である。細胞膜を貫いて、外のマトリックスと、内の細胞骨格(アクチン線維)とを、物理的に結びつけるタンパク質だ。
外に手を伸ばしてコラーゲンを掴み、内では細胞の骨組みに繋がっている ── 壁と柱を留めるボルトのように、細胞と外界とを、力の通る形で連結する。インテグリンは単独ではなく、多数が集まって接着斑(focal adhesion)という構造を作る。ここが、外と内が機械的に繋がる、留め具の集合体になる。
そして、ここに必然が生じる。繋がっているかどうかを判定する装置は、そのまま、外の世界がどうなっているかを読む装置になるほかない。生存の情報が通う道は、外の性質を伝える道でもある。
実際、細胞は受け身に待っているのではない。自ら収縮力を出してマトリックスを引き、返ってくる手ごたえを測っている。硬いマトリックスは強く抵抗し、柔らかいマトリックスは抵抗しない。その違いが、接着斑の組み上がり方の違いとなり、信号の強さの違いとなる。細胞は、引っぱってみることで、まわりの硬さを知る。
つまり ── 力を読む能力は、社会に属するという条件から、いわば副産物として生まれた。繋がっていなければ生きられない。繋がっている以上、外の力は必ずそこを通る。ならば、その通り道は、そのままセンサーになる。
そして、ここで一つのことが見えてくる。接着は、もともと情報の通り道だった。生きてよいという知らせも、まわりの硬さという知らせも、同じ道を通る。ならば ── 手が組織に加える力もまた、その同じ道を通って、細胞へと届く一つの情報なのではないか。
大きさを変えても、同じことが起きている
ここで、少し引いて眺めてみたい。
細胞たちの社会が、マトリックスという網によって成り立っているように ── 臓器が膜に包まれ、吊るされ、位置を保たれているように ── 身体という、もっとも大きな社会もまた、筋膜という連続した網によってまとめられている。筋を包み、腱へ、骨膜へ、骨へと連なり、部分を全体へと束ねていく組織。それが筋膜だった。そして、それらは同じものの、別の呼び名だった。
そこには、同じ論理が働いている。まとめ、そして隔てる装置は、必然的に、力を伝える装置になる。力を伝える装置は、必然的に、力を読む装置になりうる。細胞のまわりでインテグリンとマトリックスが果たしていることを、身体全体の大きさでやっているのが、筋膜という連続体なのだ、とも言える。
そして、これは比喩ではない。文字どおり地続きの話である。手が筋膜に加えた力は、そのマトリックスを介して、そこに住む細胞のインテグリンにまで届く。身体をまとめる網が、細胞をまとめる留め具へと、力を手渡していく。大きさが違うだけで、そこで起きていることの原理は、変わらない。
Body as an Operating System ── 身体を、部品の寄せ集めではなく、全体として動く一つの系として捉える見方は、分子の階層にまで貫かれている。
力は、核にまで届く ── テンセグリティという見方
力が、接着を通って細胞の内側へ伝わる ── このことを、決定的なかたちで示した実験がある。
Wang、Butler、Ingber は、磁気で微小な粒子をねじる装置を使い、細胞表面の受容体に直接、力を加えた。すると、マトリックスの受容体であるインテグリンβ1に力を加えたときにだけ、接着斑が形成され、細胞骨格が力に応じて硬くなる応答が起きた。
接着に関わらない受容体では、それが起きない。しかもその応答には、微小管も中間径フィラメントも必要だった。インテグリンは、単なる接着装置ではなく、力を受け取る受容器(メカノレセプター)として働き、その信号を細胞骨格へと伝えていたのである。
さらに Maniotis らは、インテグリンから細胞骨格を経て、核の内部にまで、機械的な連結が伸びていることを示した。細胞表面を引くと、核の形が変わる。力は、膜で止まらない。細胞の奥へ、そして遺伝子が収まる場所にまで、届いている。
Ingber は、この振る舞いを説明する枠組みとして、細胞のテンセグリティ(tensegrity、張力による統合)という見方を提唱した。細胞は、圧縮に耐える要素(微小管)と、張力を担う要素(アクチン線維)とが釣り合った、張力で統合された構造体である ── だから、一点に加わった力が、全体に伝わり、構造全体が組み替わる。
ここで、一つ断っておきたい。この「細胞テンセグリティ」は、細胞という小さな世界で確かめられた知見である。同じ言葉を身体全体に広げた「バイオテンセグリティ」の議論は、別の話であり、確立の度合いも異なる。両者を安易に地続きにしないことが、この分野では大切になる。
力を遺伝子に伝える分子 ── YAP/TAZ と Piezo
では、細胞の内部に届いた力は、どうやって遺伝子の働きを変えるのか。近年、その仲立ちをする分子が、いくつも見つかってきた。
ひとつは、YAP/TAZ と呼ばれる転写共役因子だ。細胞が硬いマトリックスの上にいると、接着斑と応力線維がしっかりと組み上がり、YAP/TAZ が核の中へと移っていく。そこで遺伝子の発現を変え、細胞の増殖や分化の方向を決めていく。つまり細胞は、「まわりがどれくらい硬いか」を読み取り、それに応じて自らの振る舞いと運命を決めているのだ。硬さは、環境の物理的な性質であると同時に、細胞にとっては情報でもある。
もうひとつが、Piezo(ピエゾ)と呼ばれる、力で開くイオンチャネルだ。膜が張力を受けると、このチャネルが物理的に開き、イオンが流れ込んで、細胞内の信号が動きだす。Piezo2 は固有受容感覚(proprioception)の主要なチャネルであり、Piezo1 は伸張やずり応力に応え、線維化にも関わることが示されている。この発見は、2021年のノーベル生理学・医学賞の対象となった(Ardem Patapoutian)。
ここで、シリーズの二つの顔が近づいてくる。筋膜に分布する感覚受容器が、触れられたことを感じ取る ──「感じている」顔。そして、細胞が力を読み、構造を作り変える ──「変わっていく」顔。この二つは、どこかで一つにつながるのだろうか。
そして、数分でゆるむ ── Langevin の線維芽細胞
ここまでは、細胞生物学の一般論だった。ここからが、筋膜の話である。
手技のセッションの最中に、しばしば起こることがある。手を置き、待っていると、組織が数分のうちにゆるむ。この現象は、長らく説明が難しいとされてきた。コラーゲンの線維が、そんな短時間で、あの程度の力で物理的に伸びるとは考えにくいからだ。Robert Schleip も、機械的な変形だけでは数分のゆるみを説明できない、と指摘している。
Helene Langevin らの研究は、ここに一つの答えを与える。
疎性結合組織のなかの線維芽細胞は、組織が引き伸ばされると、数分以内に細胞骨格を組み替え、大きく広がり、新しい葉状仮足(lamellipodia)を伸ばす。これは、取り出した組織(ex vivo)でも、生きた動物(in vivo)でも観察された。細胞は、伸ばされたことを感知して、能動的に形を変えていたのである。
さらに重要なのは、その次だ。この細胞骨格の組み替えが、組織そのものの張力をゆるめることに、能動的に寄与していることが示された。結合組織の粘弾性は、これまでもっぱらマトリックスの材料としての性質に帰されてきた。だが、そうではなかった。組織の張力は、そこに住む細胞の、生きた振る舞いによっても決まっていた。組織が伸ばされると、線維芽細胞が広がり、その広がりが、組織を低い張力の状態へと導いていく。
そして、伸張は核の形すらも変える。力は、細胞のもっとも奥にまで届いている。
つまり ── 手の下で組織がゆるむとき、コラーゲンが物理的に引き延ばされているのではないのかもしれない。細胞が、加えられた力を読み、応答しているのかもしれない。ゆるみは、材料の変形ではなく、生きた応答なのだ、と。
そして、ここで先ほどの問いにも答えが出る。感じることと、変わること。この二つは、別の出来事ではなかった。手が触れる。受容器がそれを感じ取り、同じその力が、細胞に届いて読み取られる。感じている組織と、変わっていく組織は、同じ一つの組織であり、同じ一つの力に応えている。
触れること、動くこと ── その原理的な回路
こうして、シリーズが暗黙に前提としてきた問いに、一つの筋道が引ける。
手が加えているのは、力である。その力は、マトリックスを介して細胞に届き、インテグリンと接着斑で受け取られ、細胞骨格を伝って核にまで達する。細胞はそれを読み、数分のうちに形を変え、そして時間をかけて ── 数ヶ月から2年をかけて ── 線維の配列や、作り出す分子そのものを、作り変えていく。
「触れられること」と「動くこと」が、なぜ組織を変えうるのか。その原理的な回路は、たしかにここにある。ロルフィングが、手技だけでなく動きの再教育を大切にするのも、この地図の上では腑に落ちる。どちらも、細胞に届く力なのだから。
ただし ── ここからが肝心なのだが ──「原理的にありうる」ことと、「臨床的に確かめられた」こととは、まったく別である。
誠実な限界
線を、はっきりと引いておきたい。
第一に、メカノトランスダクションそのものは、確立した細胞生物学の知見である。だが、「手技によって加えられた力が、生体のなかで、どの細胞に、どれだけの大きさで届き、そこで何を起こしているのか」は、ほとんど定量されていない。細胞に力が届きうることと、施術者の手がその細胞に意図した変化をもたらすこととのあいだには、まだ大きな隔たりがある。
第二に、Langevin らの知見の中心は、齧歯類(マウス等)の疎性結合組織であり、その多くは取り出した組織(ex vivo)での観察である。ヒトの、深部の筋膜で、同じことが同じように起きるとは限らない。
第三に、YAP/TAZ や Piezo をめぐる知見の多くは、培養細胞や疾患モデルから得られたものだ。徒手療法や運動の文脈で、直接に検証されたわけではない。分子レベルの知見を、手技の効能の説明として流用することには、慎重でありたい。
第四に、細胞テンセグリティ(細胞という大きさでの話)と、バイオテンセグリティ(身体全体での話)は、確立の度合いが異なる。前者を根拠に後者を語ることは、飛躍になる。同じことは、本記事で述べた「まとめる仕組みが、力を読む仕組みになる」という、大きさを超えた相似についても言える。これは、二つの階層に共通する論理を指摘したものであって、細胞で確かめられた事実が、そのまま身体全体でも成り立つ、という意味ではない。似ていることと、同じであることは違う。
要するに、ここで描いたのは、「なぜ変わりうるのか」という可能性の回路であって、「だからロルフィングは効く」という証明ではない。回路が存在することと、その回路を意図して操作できることは、同じではないのだ。
おわりに
それでもなお、これらの知見は、手のひらの下にある組織の見方を変える。
そこにあるのは、押せば凹み、放せば戻るだけの受け身の素材ではない。力を受け取り、読み取り、応答し、自らの構造を作り変えていく組織である。そして細胞は、絶えず外から情報をもらい続けることで、かろうじて生きている。手技が加えているのは、変形そのものというより、その通り道を流れる一つの情報だ、と考えることもできる。
その構造は、入れ子になっている。身体をまとめる筋膜があり、臓器を包む膜があり、細胞をまとめるマトリックスとインテグリンがある。まとめるための仕組みが、そのまま、力を伝え、力を読むための仕組みになっている ── 大きさを変えても、同じ論理が繰り返されている。
細胞は、力を読んでいる。筋膜が「変わっていく」というのは、つまり、そういうことである。
参考文献
- Frisch SM, Francis H. Disruption of epithelial cell-matrix interactions induces apoptosis. J Cell Biol. 1994;124(4):619–626. doi:10.1083/jcb.124.4.619
- Wang N, Butler JP, Ingber DE. Mechanotransduction across the cell surface and through the cytoskeleton. Science. 1993;260(5111):1124–1127. doi:10.1126/science.7684161
- Maniotis AJ, Chen CS, Ingber DE. Demonstration of mechanical connections between integrins, cytoskeletal filaments, and nucleoplasm that stabilize nuclear structure. Proc Natl Acad Sci USA. 1997;94(3):849–854. doi:10.1073/pnas.94.3.849
- Ingber DE. Tensegrity: the architectural basis of cellular mechanotransduction. Annu Rev Physiol. 1997;59:575–599. doi:10.1146/annurev.physiol.59.1.575
- Dupont S, Morsut L, Aragona M, et al. Role of YAP/TAZ in mechanotransduction. Nature. 2011;474(7350):179–183. doi:10.1038/nature10137
- Langevin HM, Bouffard NA, Badger GJ, Iatridis JC, Howe AK. Dynamic fibroblast cytoskeletal response to subcutaneous tissue stretch ex vivo and in vivo. Am J Physiol Cell Physiol. 2005;288(3):C747–C756. doi:10.1152/ajpcell.00420.2004
- Langevin HM, Storch KN, Snapp RR, et al. Tissue stretch induces nuclear remodeling in connective tissue fibroblasts. Histochem Cell Biol. 2010;133(4):405–415. doi:10.1007/s00418-010-0680-3
- Langevin HM, Bouffard NA, Fox JR, et al. Fibroblast cytoskeletal remodeling contributes to connective tissue tension. J Cell Physiol. 2011;226(5):1166–1175. doi:10.1002/jcp.22442
- European Rolfing Association: Fascia Expertise & Scientific Research
- Fascia Research Society
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大塚英文(Ph.D.)|認定アドバンスト・ロルファー™/ロルフ・ムーブメント・プラクティショナー 東京大学大学院医学研究科博士課程修了。外資系製薬会社でメディカル・マーケティング業務に従事した後、2015年より渋谷でロルフィング®セッションを提供。「科学と実践の統合」をテーマに活動。
