第1回では、一歩のあいだに足が潰れて締まることを見た。26個の骨、蝶番と螺旋の交代、3つのアーチ。ただ、最後に触れたとおり、アーチを引き上げている筋肉は足の中にはない。歩いているとき、足を動かしているのは足ではない。
足の中の筋肉は、足を動かしていない
足の裏には筋肉がある。3層に重なっていて、短い距離を渡りながらアーチを下から支えている。内在筋(ないざいきん)という。足の内側に在る筋肉、という意味だ。
手のひらにも同じものがある。親指の付け根のふくらみ、小指側のふくらみ、指と指のあいだの細かい筋肉。手の中だけで完結していて、指先を細かく動かすときに働く。足の内在筋は、それと同じ位置づけになる。
ただし、この筋肉たちがしているのは、形を保つことだ。歩くたびに足を曲げ、伸ばし、床を押しているのは、別の筋肉になる。
その筋肉は、すべて下腿(かたい)にある。膝から足首までの区間、脛とふくらはぎのことだ。
ここに2本の骨がある。脛骨(けいこつ)と腓骨(ひこつ)だ。脛骨は前側から手で触れる太い骨で、体重を受けている。腓骨はその外側にある細い骨で、体重はほとんど受けていない。その2本を土台にして、足を動かす筋肉が並んでいる。
前脛骨筋(ぜんけいこつきん)は脛骨のすぐ外側から始まる。長腓骨筋(ちょうひこつきん)は腓骨の頭から。後脛骨筋(こうけいこつきん)は下腿のいちばん深いところ、骨間膜(こっかんまく)の裏から。骨間膜は、脛骨と腓骨のあいだに張られた膜で、2本の骨を1枚の幕でつないでいる。腓腹筋(ひふくきん)とヒラメ筋は膝の裏あたりから。ふくらはぎのふくらみを作っている2本になる。
どれも足首をまたいで、長い腱(けん)になって足へ降りてくる。腱は、筋肉の端が細く丈夫な紐に変わったものだ。鶏の手羽先を食べたときに残る、白くて硬い筋がそれになる。筋肉のふくらんだ部分は下腿にあり、足に届いているのは腱だけだ。
理由は単純で、足が軽くなければ歩けないからだ。歩行では、一歩ごとに足を前へ振り出す。もし足の中に大きな筋肉が詰まっていたら、その重さを毎回運ぶことになる。だからエンジンは下腿に置き、足へはワイヤーだけを伸ばしている。
一歩ごとに振り出しているのは、実際には骨と腱と皮膚の集まりになる。動かしている筋肉のほうは、振り出される側に乗っていない。
アイダ・ロルフの言葉が、この構造をそのまま言い当てている。
Don’t change the foot on the foot. Get the muscles of the leg so organized that they can change the foot.
足の上で足を変えようとするな。脚の筋肉を、足を変えられる状態に組織せよ。
扁平な脛
第1回で引いた言葉を、もう一度置く。
Flat feet are not flat feet. They are flat shins. If you really know the anatomy of the shin and the retinaculum, you should have no problem with the flat feet.
扁平足は扁平足ではない。扁平な脛だ。脛と支帯の解剖を本当に知っていれば、扁平足に手を焼くことはない。
支帯(したい)という言葉が出てくる。これは、足首を横切るところで腱を押さえているベルトのようなものだ。
腱は、下腿から足へ降りてくるときに、足首で方向を変える。そのまま自由にしておくと、力が入ったときに腱が浮き上がってしまう。それを押さえて、骨に沿わせているのが支帯になる。
手首にも同じものがある。手首の内側を横切っているベルトで、指を曲げる腱をまとめて押さえている。手を強く握っても腱が手首から浮かないのは、これがあるからだ。足首でも、していることは変わらない。
ここから、足首の動きを表す言葉が出てくる。歩行を読むうえで欠かせないので、先に整理しておきたい。
足首には、大きく2組の動きがある。
1つは、つま先を上げ下げする動きだ。つま先を脛のほうへ引き上げるのが背屈(はいくつ)。踵で立つときの形になる。逆に、つま先を下へ伸ばすのが底屈(ていくつ)。つま先立ちや、車のアクセルを踏む形だ。
歩行では、この2つが一歩のうちに入れ替わる。踵が床に触れる直前、つま先は上を向いている。背屈だ。体重が前へ渡り、蹴り出す局面では、つま先が下を向く。底屈になる。
もう1つは、足裏の向きを変える動きだ。足裏を内側へ向けるのが内返し(うちがえし)、外側へ向けるのが外返し(そとがえし)。
内返しは、足首を捻挫したときに起きる動きでもある。段差を踏み外して足首の外側を痛めるのは、内返しが行き過ぎたときになる。
歩行では、この2つも一歩のうちに入れ替わる。踵が触れてから体重が乗っていくあいだ、足はやや外返しの方向へ動く。第1回で見た、アーチが潰れる局面がこれにあたる。そこから蹴り出しに向けて、足は内返しの方向へ戻っていく。アーチが締まる局面だ。
そして、この4つの動きを決めているのが支帯になる。
支帯があることで、同じ筋肉でも、腱がどこを通るかによって働きが決まる。足首の前を通れば足首を曲げ、後ろを通れば伸ばす。内側を通れば内返し、外側を通れば外返し。
Myersは足首の腱の配置図を示して、こう整理している。足首を上から見て、内返しと外返しを分ける線の左にあるものはすべて内返しに関わり、右にあるものは外返しに関わる。背屈と底屈を分ける線の前にあるものは背屈、後ろにあるものは底屈。
足首を上から見て、縦と横に線を引く。腱がその線のどちら側を通っているかで、その筋肉が何をするかが決まる。筋肉そのものの性質ではなく、通り道の位置で決まっていることになる。
この整理から、面白いことが分かる。前脛骨筋と後脛骨筋は、足首を曲げるか伸ばすかでは正反対に働く。ところが内返しでは、2本とも同じ側にある。つまり一緒に働く。
反対の働きをする筋肉どうしを拮抗筋(きっこうきん)、同じ方向へ働く筋肉どうしを協力筋(きょうりょくきん)という。綱引きで向かい合っているのが拮抗筋、同じ側で並んで引いているのが協力筋になる。
同じ2本の筋肉が、見る軸によって拮抗筋にも協力筋にもなる。歩いている最中、この2本は局面ごとに関係を変えながら働いていることになる。向かい合ったり、隣に並んだりを、一歩のうちに繰り返している。
そして、アーチが落ちるという現象を支帯から見ると、腱がどこを通るかが変わってしまった状態、と捉えられる。骨の形の問題ではなく、通り道の問題になる。
扁平足を足の形の問題として見ているかぎり、探す場所は足の中にとどまる。通り道の問題として見れば、探す場所は脛へ移る。
足の下の鐙
下腿から降りてくる腱のうち、2本が特別な形をしている。
前脛骨筋は、脛骨の外側から下りて、足首の前を通り、足の内側へ回り込む。内側の楔状骨(けつじょうこつ)と第1中足骨(ちゅうそくこつ)のあいだに付く。楔状骨は土踏まずの上のあたりにある3個の骨で、くさびの形をしている。中足骨は、足の甲を作っている5本の細長い骨だ。
長腓骨筋は、腓骨の頭から下りて、外くるぶしの後ろを回り、足の裏へ潜り込む。立方骨(りっぽうこつ)の下には、この腱が通るための溝が骨に彫られている。立方骨は足の外側、小指側の中ほどにある、さいころのような形の骨だ。そこを通って足を横切り、前脛骨筋とほぼ同じ場所に付く。
外から来た腱が内側に付き、内から来た腱が外へ回る。2本の腱が足の下で交差して、ひとつながりの帯になっている。
Myersはこれを鐙(あぶみ)と呼んでいる。馬に乗るときに足を掛ける、あの形だ。両端が下腿に固定され、真ん中が足底を横切っている。
歩くとき、この鐙が働く。長腓骨筋が立方骨を下から持ち上げ、外側のアーチを支える。前脛骨筋が内側を引き上げる。2本の張り合いによって、アーチが保たれたまま体重が転がっていく。
体重が踵から外側を通って母趾球へ渡っていくあいだ、足は潰れながら、同時に下から吊られている。潰れきってしまわないのは、この帯が下腿から引いているからだ。
もう1本、後脛骨筋がある。骨間膜の裏という、下腿のいちばん深いところから始まって、内くるぶしの後ろを回り、足の裏で掴めるものをほとんど全部掴む。舟状骨(しゅうじょうこつ)、楔状骨、中足骨。舟状骨は土踏まずのいちばん高いところにある骨で、内くるぶしの少し前を触ると出っ張りとして分かる。手を足の裏に差し込んで、まとめて持ち上げるような付き方をしている。
Myersは、後脛骨筋と長腓骨筋がアーチに対して行っていることを、2人がかりで人を運ぶ担ぎ方にたとえている。内から来た手と外から来た手が組み合って、下から支える。
螺旋は、膝まで続く
第1回で、距骨下関節(きょこつかかんせつ)が螺旋を描くと書いた。踵の骨と、その上に載っている距骨(きょこつ)とのあいだの関節だ。着地のとき、この螺旋が衝撃を回旋に変えて逃がす。
回旋(かいせん)とは、骨がその長い軸のまわりに捻れることをいう。傘の柄を握ったまま手首を返すと、柄が軸のまわりに回る。あの動きになる。
その回旋は、足首で終わらない。
距骨下関節が内返し外返しをすると、その上の下腿が回旋する。脛骨と腓骨は骨間膜で結ばれているので、2本の関係も変わる。1枚の幕でつながれた2本の骨は、片方が動けばもう片方も付いていく。そして回旋は膝へ、股関節へと上がっていく。
歩行のたびに、脚全体が捻れては戻っている。着地で内側に捻れ、蹴り出しで外側へ戻る。膝を伸ばしたまま歩くように見えて、実際には脚全体が螺旋を描いている。
外から見えているのは、脚が前後に振れていることだけだ。中で起きているのは、捻れと戻りになる。
ここで、面白いことが起きる。
膝という関節の見え方が、視点によって変わるのだ。
足と下腿から見ると、膝は蝶番だ。曲がるか伸びるかしかしない。ロルフィングの2回目でも、膝は蝶番として扱われる。脚と足の蝶番がしなやかに連動しているかを、膝を軽く曲げてもらいながら確かめる。
ところが4回目になると、膝は横隔膜として扱われる。身体を横切る面として見る。関節包(かんせつほう)の自由さ、鵞足(がそく)の秩序。関節包は関節を包んでいる袋で、中に潤滑の液体を抱えている。鵞足は膝の内側で、太腿から来た3本の腱が並んで骨に付く場所だ。並んだ形が鵞鳥(がちょう)の水かきに似ていることから、この名前が付いている。
蝶番かどうかではなく、そこで身体が上下に区切られているかどうかを見ている。同じ関節が、視点の高さによって別のものとして現れる。足首から膝へ、膝から骨盤へと視点が上がるにつれて、関節の性格そのものが変わっていく。
骨盤という水平面
では、この連鎖はどこへ向かうのか。
アイダ・ロルフの言葉がある。
All work below the pelvis is to make a horizontal base for the pelvis. All work above the pelvis is to lift and lighten the load on the pelvis.
骨盤より下の作業はすべて、骨盤のための水平な土台を作ることだ。骨盤より上の作業はすべて、骨盤にかかる負荷を持ち上げ、軽くすることだ。
足を扱うのも、下腿を扱うのも、骨盤のためということになる。
骨盤が水平であるとは、歩行の文脈ではこういうことだ。一歩ごとに、片脚だけで体重を支える瞬間が来る。そのとき骨盤が支えのない側へ落ちてしまうと、上半身がそれを補うために傾く。逆に骨盤が水平を保てれば、上半身は何もしなくていい。
天秤の棒を片側だけで吊るようなものだ。吊っている点の真下に重さが集まっていれば、棒は傾かない。ずれていれば、反対側に何かを載せて釣り合いを取ることになる。歩いているとき、その何かを載せる役を引き受けているのが上半身になる。
下から支えが届いているかどうかが、上半身の仕事量を決めている。そしてもう一つ、2回目のセッションについての言葉がある。
In the first hour you are balancing the back. In hour two you are taking those long back muscles and putting them in position so they can extend.
1回目では背中のバランスを取る。2回目では、その長い背中の筋肉を、伸びられる位置に置く。
足を扱っているのに、背中の話になる。足を目覚めさせて背中を養う、というのが2回目の主題だとGiovanniの教材には書かれている。
歩行に引きつけると、こうなる。足が床から力を受け取れないと、背中がそれを肩代わりする。背中で身体を持ち上げながら歩くことになる。足が働きはじめると、背中は持ち上げる仕事から解放されて、伸びられるようになる。
着地する足と、蹴り出す足
ここまでの構造が、歩行の中でどう現れるか。
歩いているとき、2本の足は違う仕事をしている。
片方は着地する足だ。踵が前へ届き、床に触れる。そこから体重を受け取り、アーチが潰れながら衝撃を逃がす。背屈から始まって、外返しの方向へ動いていく局面になる。
もう片方は蹴り出す足だ。趾(あしゆび)が蝶番になり、床を押す。アーチが締まり、力が一方向にまとまる。内返しの方向へ戻りながら、底屈で終わる局面になる。
一歩ごとに、この役割が入れ替わる。
観察するときは、両方を分けて見る。
- 着地する足では、踵がどこまで前へ届いているか。そして踵が床に触れる瞬間、どう触れているか。
- 蹴り出す足では、趾の関節が働いているか。母趾(ぼし)まで体重が届いているか。母趾は足の親指のことだ。ここまで体重が渡らないと、最後の押しが抜ける。
- そして距腿関節(きょたいかんせつ)が、滑りと転がりの両方をしているか。距腿関節は、脛骨と腓骨が距骨を上から挟んでいる関節で、一般に足首と呼ばれている場所になる。
滑りと転がりは、関節の面の動き方を指している。転がりは、車輪が路面を進むときのような動きだ。ただし転がりだけでは、上の骨が前へ出すぎて、関節から外れる方向へ向かってしまう。そこで面どうしが同時に少し滑って、位置を戻している。
歩行では、体重が足の上を通過するあいだ、脛骨が距骨の上を前へ進んでいく。このとき転がりと滑りの両方が起きている。どちらかが足りないと、足首が途中で詰まる。詰まれば、体重は前へ渡れずに止まり、その先の蹴り出しが浅くなる。
歩幅。踵が床にとどまる時間があるか、それとも跳ね上がるか。趾が押す時間があるか。転がる時間があるか。
それぞれの局面に、必要なだけの時間があるかどうか。時間が足りない局面があると、そこでの仕事が飛ばされる。
地面に触れるとは、どういうことか
ここまで構造の話をしてきた。最後に、それが歩く本人にとって何を意味するかに触れておきたい。
ロルフィングの教育では、2回目のセッションの後に何を追うかが決められている。地面との接触が、どういう意味を持つようになったか。
- 着地。信頼。手放すこと。押し出すこと。上昇。届くこと。
観察の言葉として、これらが並んでいる。地面に体重を預けられるか。押し出せるか。上へ伸びられるか。どこかへ向かって届いていく感じがあるか。接地感が戻るというのは、これらの総称になる。足が地面に触れられるようになるとは、地面を信頼できるようになることでもある。
歩くという動作は、片脚立ちの連続だ。一歩ごとに、片方の足に全体重を預けている。預けられなければ、歩幅は縮む。急いで次の足を出して、地面に体重が乗る時間を短くする。
歩き方が変わるというのは、この預け方が変わるということでもある。
施術者の側にも注意がある。足を扱いながら、クライアントとのやりとりを保ち続けること。そして、情報を与えすぎないこと。足は敏感な場所だ。触れられ慣れていない人も多い。何が起きているかを一緒に確かめながら進める必要がある一方で、説明が多すぎると、感じることのほうが後ろに退く。
次回へ
第2回では、足から下腿、そして骨盤へと視点を上げた。足を動かしているのは足ではなく下腿だった。では、下腿と骨盤を動かしているのは何か。歩くとき、多くの人は脚が股関節から始まっていると思っている。ズボンのベルトから下が脚だ、という感覚だ。
ところが、身体の中を見ていくと、脚を前へ運んでいる筋肉は、もっと上から来ている。
第3回では、そこを扱う。
シリーズの記事
- 第1回:一歩のあいだに、足は形を変える──アーチはどうやって作られるのか
- 第2回:足の問題は、足にはない──下腿から骨盤への連鎖 (本記事)
- 第3回:脚は、肋骨の下から始まっている──腸腰筋と対角の連動
- 第4回:重力から歩行を読む──Tonic FunctionとPalintonicity
参考文献
- Thomas Myers, “The Foot: Understanding the Arches,” Massage Magazine, September/October 1997.
