
はじめに
ロルフィングを知る上で、その起源を知ることには意味がある。手技を体系化した人物、アイダ・ロルフ(Ida Rolf、1896–1979)は、身体手技を開発する前に、第一線の研究機関に籍を置く生化学者だった。
今回の投稿では、一人の科学者が、なぜ実験室を離れ、身体という対象を選んだのか──についてまとめたい。
生化学者としてのアイダ・ロルフ
アイダ・ポーリン・ロルフ(Ida Pauline Rolf)は1896年、ニューヨークに生まれた。1916年にバーナード大学を卒業し、翌年からロックフェラー研究所(現ロックフェラー大学)で生化学の研究に携わる。女性の研究者がまれだった時代に、研究職を得たことになる。
1920年、コロンビア大学の College of Physicians and Surgeons で生物化学(生化学)の博士号を取得。指導教官は Phoebus A. T. Levene で、博士論文はリン脂質(不飽和フォスファチド)の化学を扱った。核酸研究で知られる Levene のもとで、当時の生化学の最前線に身を置いていたことになる。
学位取得後もロックフェラーに残り、1922年には associate に昇格する。これは当時、終身職(Tenure)ではない研究者が就ける最高位だった。約12年にわたり化学療法部門、のちに有機化学部門で研究を続け、レシチンやセファリンといった化合物をめぐる論文を十数本発表している。
ここで確認しておきたいのは、ロルフィングは、正規の科学的訓練を受けた研究者の手から生まれた、という事実である。
科学から、身体へ
1920年代の後半、ロルフは研究所を離れ、ヨーロッパへ渡る。チューリッヒで数学と原子物理を、パリで生化学を学び、各地で当時のさまざまな健康観に触れた。やがて家庭の事情もあって学究の場を退き、自身と家族の健康問題に向き合うなかで、既存の医療では届かない領域へと関心を移していく。
この時期にロルフが何から着想を得て、それをどうロルフィングの原則へと結晶させたか──その源流の探究は、別稿で詳しく辿っている。ここではその先、彼女が身体をどう見たのかに焦点を絞る。
「身体はネットワークである」という直観
ロルフの見方の核心は、一つの直観に集約される。身体は、独立した部品の寄せ集めではない。筋・骨・神経・臓器のすべてを包み、支え、貫く結合組織によって、連続した一つのネットワークとして存在している──。
これは、要素を分解して理解する生化学者の訓練を受けた人物が、あえて逆の方向──全体の構造──へと目を向けたということである。局所の症状ではなく、全身のつながりのなかで身体を捉える。一枚の張られた布の端にできたシワが、布全体の張力を変えるように、身体のある部分の緊張は全体の均衡に影響する。だから、症状そのものを追うのではなく、全体のバランスを調えていく。ロルフィングの発想の土台が、ここにある。
重力という見えない構造
ロルフのもう一つの洞察は、重力をめぐるものだった。健康とは、身体が重力と最も自然な形で調和して存在できる状態である──彼女はそう考えた。
重力は、常に働き続けているのに、ふだん意識にのぼらない構造である。身体がこの見えない力と争うのではなく、支えられる関係を結べたとき、最小の努力で立ち、動ける状態が現れる。姿勢の善し悪しを筋力でつくるのではなく、重力との関係を編み直すという発想は、整体やマッサージがふれない次元をロルフィングが扱うことを示している。
→ なぜ「姿勢の良さ」は筋力ではないのか──Tonic Functionと重力の関係
生化学者の直観と、現代の筋膜研究
ロルフが結合組織を連続したネットワークとして捉えたのは、まだ筋膜が科学の主題になるはるか前のことだった。長いあいだ、この見方は経験則の域を出ないものと見なされてきた。
だが近年、筋膜そのものを対象とする研究が国際的に積み重なっている。ドイツ・ウルム大学を拠点とする筋膜の研究は、筋膜が単なる包みではなく、感覚と力の伝達に関わる能動的な組織であることを明らかにしてきた。筋膜内に複数種の機械受容器が分布することが同定され、可塑化された人体標本(FR:EIA)は、筋膜が全身を貫いて連続しているさまを、目に見える形で示している。
つまり、生化学者ロルフの直観は、いま科学の側から輪郭を与えられつつある。この事実は、一つの問いに直結する。ロルフィングが「疑似科学」と評されるとき、その評価は何を根拠にしているのか。そして、この実践を生んだ人物が第一線の生化学者であったこと、その直観が現代の研究に裏づけられつつあることは、その評価にどう関わるのか。
この問いを正面から扱ったのが、下記の記事だ。
→ ロルフィングは疑似科学か?── 身体の【科学】から読み解くロルフィング
系譜として──PhDから身体へ
一人の生化学者が、実験室を離れ、身体に手を伸ばした。
私自身、東京大学大学院医学研究科で医学博士(免疫学、)を取得した。学位の専門は免疫学だが、その研究の実体は、生化学と分子遺伝学が結びついた分子生物学に根ざしていた。奇しくも、ロルフが最初に立っていた場所──生化学──と、同じ土台の上にいたことになる。
博士課程ののち、製薬業界でメディカル・マーケティング業務に携わり、やがて身体実践の道へと転じた。論理を鍛える場所から、感覚を扱う場所へ。ロルフが辿った道と似ている。
しかもこの歩みは、ロルフと私という二点だけを結ぶ線ではない。同じ時代に、モーシェ・フェルデンクライス(Moche Feldenkrais)という人物がいた。
ソルボンヌで物理学の博士号を取り、ジョリオ=キュリーの研究室で核物理の研究に携わった科学者でありながら、自らの膝の故障をきっかけに、動きと意識の関係を生涯かけて探究し、独自のボディワークを築いた。その最初の著作の副題には「重力」の語が刻まれている。ロルフは重力を、フェルデンクライスは動きを入口としながら、二人の科学者はほぼ同じ問い──生きて動く身体をどう捉えるか──に、それぞれの側から手を伸ばしていた。
そして、この二つの流れは、私自身のなかで交わっている。私がロルフ・ムーブメント(Rolf Movement)を学んだのは、フェルデンクライス・メソッド・プラクティショナーの資格を併せ持つロルフ・ムーブメント・インストラクター(Rita Gerolia)からだった。ロルフの構造へのまなざしと、フェルデンクライスの動きへのまなざしは、遠く離れた別々の系譜ではなく、一人の師のなかで、そして私自身の手技に大きな影響を与えている。
これは偶然の一致というより、おそらく必然に近い。要素へと分解していく科学の訓練を突き詰めた先で、分解しきれない「全体」──生きて動く身体──に向き合いたくなる。ロルフは一世紀近く前に、その場所に立っていた。同じ問いのなかに、私もいる。
ロルフィングの現在地
ロルフが1940年代に形づくり、1950年代から教え始めた実践は、いまも世界に受け継がれている。認定ロルファーは世界に約1,950人、うち日本には約130人ほど。一人の科学者の直観から始まった営みが、半世紀を越えて続いている。
