はじめに──「どう場を作っていくのか?」
2026年8月16日、三浦敏郎さん、通称「としさん」のワークショップ、『ヨガの実践、その先へ』──“2つのアプローチ”で深める「気づき」のプロセスに参加した。

前回のPart 1では、私が2008年にアシュタンガ・ヴィンヤーサ・ヨガ(以下、アシュタンガ)を始め、そこからさまざまなヨガの方法へ関心を広げ、2011年にとしさんが教えていた「フェニックス・ライジング・ヨガ・セラピー」に出会ったところまでを書いた。今回、15年ぶりにとしさんのワークショップに参加して、最初から印象に残ったのが、「どう場を作っていくのか?」という問いだった。
当日、iPadに書いたメモには、「参加してくれる人がプログラムをつくってくれる」、「私自身、進行していくが……」と残っている。つまり、あらかじめ完成されたプログラムを講師が順番に提供する、という考え方ではない。もちろん、としさん自身が全体を進行する。しかし、その日に何が起きるのかは、そこに集まった参加者によって変わる。
誰が参加しているのか。どんな身体の状態なのか。その場でどんな言葉が出てくるのか。どのような反応が起きるのか。そうしたものを見ながら、その日の場そのものが形づくられていく。この姿勢が、今回のワークショップ全体を貫いていたように思う。
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『『ヨガの実践、その先へ』──2つのアプローチで深める「気づき」のプロセス〜Part 1:クリパル・ヨガ・ティーチャー・三浦敏郎さんとの出会い』
「場を作る」とは、コントロールすることではない
一般に「場を作る」と言うと、ファシリテーターが事前に詳細なプログラムを設計し、参加者をそこへ導くイメージを持ちやすい。今回感じたのは、場を整えることと、場をコントロールすることは違うということだった。
何をするのか、どのくらいの時間を使うのか、安全に行うために何に注意するのか。そうした枠組みは、丁寧に示される。一方で、「こう感じなければならない」、「この体験から、このことに気づかなければならない」とは決めない。むしろ、「今、自分には何が起きているのか?」を参加者自身が探していく余白を残す。
そのために重要だと感じたのが、言葉の使い方だった。としさんのガイドは、とても丁寧で、何かを強く指示するというより、参加者自身が身体の中で起きていることに注意を向けられるように、言葉を置いていく。大切なのは、身体の形を完成させることよりも、身体の中で何が起きているのかを感じることである。
言葉によって身体を動かすというより、言葉によって、身体への注意を誘う。今回、としさんの誘導を受けながら、この違いが非常に印象に残った。
Rolf MovementのEmbodimentとの共通点
としさんのヨガのポーズの誘導を聞きながら、私は何度か、「これはRolf Movementで行うEmbodimentに近いな」と感じた。
Rolf Movementとは、ロルフィングの中でも、手技によって身体を変えるのではなく、動きや身体感覚を通じて、自分自身の身体の使い方に気づいていくアプローチである。正しい動きを外から教えるというより、実際に動きながら「自分の身体では何が起きているのか」を探索していくことを大切にする。
Embodimentという言葉は、日本語では「具現化」などと訳されることが多い。
私自身が2014年にミュンヘンでロルフィングのBasic Trainingを受けていたとき、この訳では実際のセッションの内容がどうしても理解できなかった。そこで当時のインストラクターだったGiovanni Felicioni先生に尋ねたところ、Embodimentは、sense(感覚)あるいはexperience(経験)として捉えるとわかりやすいと教えてもらった。
語源的にも、emはin(内へ)、bodyは身体、mentは名詞化する語尾である。Embodimentとは、「感覚や経験を身体の内側に取り入れること」と理解するとわかりやすい。
RolfingのBasic TrainingやRolf Movement Trainingでは、クラスの初めにEmbodiment Sessionを必ず行う。身体を実際に動かしながら、上半身と下半身、前後、左右、そして中心軸などを、頭で理解するのではなく、身体の中で感じていくための時間である。ときには動物の動きに似た動作も行い、進化の過程で身体の軸がどのように発達してきたのかを、知識としてではなく、身体の経験として学んでいく。
私自身、こうしたEmbodiment Sessionをどのように組み立て、提供するかについては、Rolf Movement Trainingで学んだ。
重要なのは、「正しい姿勢を覚えること」ではなく、「自分の中でその感覚を経験すること」である。ロルファーがクライアントの身体に触れるとき、自分自身の身体の中に似た感覚や経験がなければ、相手の身体内部で何が起きているのかを捉えることは難しい。その意味でEmbodimentは、単なるウォーミングアップではなく、手技の練習であるPracticumと並ぶ、ロルフィング・トレーニングの重要な柱の一つだった。
👉関連ブログ
『身体感覚〜Embodimentとは何か?』
『ヨーロッパのロルファーとしての認定までの歩みについて〜ヨーロッパ・ロルフィング協会・認定トレーニング』
『ヨーロッパのRolf Movement Practitionerまでの歩みについて〜認定までの道のり』
Rolf Movementとフェルデンクライス・メソッド
そして、Rolf Movementは、フェルデンクライス・メソッドから強い影響を受けてきた。そのため、Rolf Movementにおける「動きを通じて学ぶ」という考え方には、フェルデンクライスと重なる部分が多い。
フェルデンクライスでは、「正しく動きなさい」と外側から正解を与えるというより、「こう動かしてみると、自分の中では何が起きるだろう?」と、身体を使って探索する、と聞いたことがある。少し動かしてみる。違う方向にも動いてみる。左右を比べてみる。力を抜いたら何が変わるのかを感じてみる。そして、その違いを自分自身で発見していく。
つまり、教師が「正しい動き」を教えるというより、本人の感覚が、本人に教えていく。今回のとしさんの誘導にも、私はそれに近いものを感じた。
クリパル・ヨガ、Rolf Movement、フェルデンクライス・メソッドは、それぞれ歴史も目的も異なる。今回私が体験したレベルでは、外から身体を正しい形に修正するのではなく、自分の感覚を通じて変化の可能性を発見していくという姿勢に共通性を感じた。
午前──パートナーと一緒に身体を動かす
こうした流れの中で、午前中はパートナーワークへと進んだ。二人一組になり、ペアでできるヨガのポーズやストレッチを行う。しかも、一人の相手とずっと組むのではなく、途中でパートナーを変え、合計3人の人と組んだ。
これが想像以上に面白かった。一人でヨガをするときには、自分の呼吸、自分の身体、自分の感覚に注意を向ければいい。ところが二人になると、それだけでは足りない。相手がどのくらい動きたいのか、どのくらいの力なら心地よいのか、どこまで近づいていいのか。同時に、自分自身が無理をしていないかにも気づいている必要がある。
しかも、相手が変わると、そのすべてが変わる。身体の大きさ、柔軟性、距離感、動きの速さ、コミュニケーションの取り方も違う。そこで、私の中に浮かんできたのが、「どのようにして、相手との信頼関係を築いていくのか?」という問いだった。
自分をケアしながら、相手を尊重する
パートナーワークをしていて感じたのは、「相手を尊重すること」と「自分をケアすること」のバランスだった。
相手のために何かをしようとしすぎると、自分が無理をしてしまう。逆に、自分の身体感覚だけに集中していると、目の前にいる相手が見えなくなる。自分を失わない。しかし、相手にも注意を向ける。その両方が必要になる。
たとえば、相手の身体を支えているとき、自分の身体に余分な力が入っていれば、その緊張は相手にも伝わる。反対に、相手の反応ばかりを気にして、自分の身体を感じなくなっても、自然な関係にはならない。そこで必要なのは、自分に注意を向けながら、同時に相手を含めて意識を広げることなのだと思う。
ヨガというと、自分の内面へ注意を向ける練習というイメージが強い。しかし今回のパートナーワークでは、自分の内側を感じながら、目の前の相手や周囲の空間まで注意を広げていく、もう一つの方向を体験した。
Edge──「多すぎず、少なすぎず」の境界
午前中には、クリパル・ヨガの特徴の一つである**Edge(エッジ)**についても深く探求した。Richard Fauldsの『Kripalu Yoga: A Guide to Practice On and Off the Mat』では、Edgeを次のように表現している。
“a place of neither too much nor too little stretch.”
つまり、ストレッチが強すぎもせず、弱すぎもしない場所である。Fauldsは、Edgeから離れすぎれば退屈や停滞につながり、逆に行きすぎれば怪我につながると説明している。そして、Edgeを見つけなければ、成長も、学びも、変化も生まれないという。
この説明を踏まえると、Edgeとは単純に、「どこまで身体を伸ばせるか?」という限界点ではない。むしろ、「安全でありながら、何かが起こり始める境界」と考えた方がわかりやすい。
少し伸びている。少し強い。でも、まだそこにいることができる。呼吸もできる。その場所にとどまりながら、「今、身体の中で何が起きているのか?」を感じていく。
すぐに次のポーズへ移るのではなく、そのEdgeに一定時間とどまる。すると、最初に感じていた筋肉の伸びだけではなく、呼吸の変化、緊張、落ち着かなさなど、いろいろなものが見えてくる。Edgeは、身体的な限界を探す場所というより、自分自身を観察する場所でもあるのだと思う。
MINDが働きすぎる
ところが、私の場合、ここで一つ問題が起きた。Edgeまで行ったとしても、MIND、つまり頭がすぐに働き始めるのである。
「今、どの筋肉を使っているのだろう?」「このポーズは身体的にどんな意味があるのか?」「これはロルフィングで考えるとどうなるのだろう?」と考えているうちに、身体への集中が途切れてしまう。身体の感覚に注意を向けているつもりでも、いつの間にかそれを「分析」している。
感じることと、考えることは違う。午前中は、その違いをまざまざと感じることになった。
ワーク後のシェアでは、「一人で練習するより、みんなと一緒に練習した方が集中が深まる」という意見も出た。なるほど、と思った。ただ、私の場合はそれどころではなかった(笑)。MINDが動き回り、Edgeにとどまり続けることそのものが大変だった。
午後──MINDが静かになる
昼食後、さらにポーズを使ったEdgeの探求へ進んだ。今度は午前よりも強度の高いポーズだった。ところが、不思議なことが起きた。
午前中とは比較にならないほど、MINDが静かになった。午前中は次から次へと考えが浮かんできたのに、午後になると頭の中が驚くほど静かになった。むしろ静かになりすぎて、今度は眠くなってきた。
としさんのガイドする声が非常に心地よかったこともあり、何度も睡魔が襲ってきた。しかし、そのタイミングで、呼吸をもう一度感じる。Edgeを少し探し直してみる。身体の感覚へ注意を戻す。そうしたガイドが入ることで、眠気の中へ落ちていくのではなく、再び身体へ戻ることができた。
アシュタンガよりも「強度」が高く感じた
ここでもう一つ意外な発見があった。私は普段、アシュタンガを練習している。アシュタンガには、身体的にはかなり難しいポーズもある。
それにもかかわらず、今回のクリパル・ヨガの練習は、普段のアシュタンガ以上に「強度」が高いように感じられた。もちろん、ポーズそのものの難易度が高いという意味ではない。
違いは、その姿勢の中にとどまり、そこで起きていることを感じ続けることだった。アシュタンガでは、呼吸と動きをつなげながら一定のシークエンスを進んでいく。一方、今回の練習では、一つのEdgeにとどまり、「今、何が起きているか?」を感じ続ける。
そうすると、ポーズの外形とは別の意味で、強い体験になる。身体的な強度というよりも、身体の内側に注意を向け続けることの強度と言った方が近い。
そこで、「ああ、こういうふうにヨガを練習すると、より自分の意識の内側に入っていけるんだ」という発見があった。
「できる・できない」から、「何を感じるか」へ
長い間アシュタンガを練習していると、どうしてもポーズには「できる・できない」という要素が入ってくる。昨日より深く入れた。今日はこのポーズができた。次のポーズへ進んだ。
もちろん、それ自体が悪いわけではない。同じシークエンスを継続するからこそ、自分の身体の変化も確認できる。しかし、今回のEdgeの練習では、問いが少し違った。
「どこまでできたか?」ではなく、「そこで何を感じているのか?」である。
これは、先ほどのEmbodiment Sessionの話ともつながる。ポーズを完成させることよりも、その姿勢にいる自分を感じ続ける。そして、身体から意識が離れたら、また戻ってくる。
2011年にとしさんのヨガセラピーを体験したときには、身体から内面へアクセスしていくことそのものが新鮮だった。15年後の今回は、それがRolf Movementやフェルデンクライスを学んできた自分自身の経験ともつながって見えるようになっていた。同じ体験でも、自分の側にある経験が増えると、見えるものも変わってくる。それも今回の面白さの一つだった。
午前は「外へ」、午後は「内へ」
一日を振り返ると、午前と午後には面白い対照があった。
午前のパートナーワークでは、自分から相手へ、さらに周囲へと意識を広げていく。午後のEdgeの探求では、動き続けるMINDを静め、自分の身体の内側へと注意を深めていく。
一見すると、正反対の方向である。しかし、自分の身体を感じられなければ、相手との距離感もわからない。一方、自分の内側だけに閉じてしまえば、目の前にいる相手を感じることができない。
内側へ深まることと、外側へ広がること。その両方を行き来することが、今回の「気づき」のプロセスだったように思う。
懇親会──15年という時間を振り返る
ワークショップ終了後には懇親会もあり、さまざまな参加者と意見交換することができた。そこで、クリパル・ヨガのトレーニングがどのように行われてきたのか、その歴史についても話を聞くことができた。
本を読んで歴史を知ることも大切だが、その文化を実際に学び、実践してきた人たちから話を聞くことには、また違った面白さがある。
2011年に初めてとしさんのヨガセラピーを受けてから15年。その間、私はアシュタンガを続け、ロルフィング、Rolf Movement、コーチング、瞑想など、さまざまな方法を学んできた。だからこそ今回、15年前には見えていなかったものが見えたように思う。
まとめ──気づきが生まれる「条件」をつくる
15年前、としさんのフェニックス・ライジング・ヨガ・セラピーを体験したとき、私が興味を持ったのは、「身体から気づく」という方法だった。今回、そこにもう一つの視点が加わった。
それは、「気づきが生まれるための場を、どのように整えるのか?」という問いである。
ファシリテーターが答えを与えるのではなく、一人ひとりが自分の身体から発見できるようにする。そのために言葉を丁寧に選び、必要な枠組みを整えながらも、起きることをコントロールしすぎない。
今回、クリパル・ヨガを体験しながらRolf MovementのEmbodiment Sessionやフェルデンクライス・メソッドを思い出したのも、おそらくこの点だった。方法は違っても、こちらが相手を「変える」のではなく、その人自身が自分の感覚を通じて何かを発見できる条件をつくる。
これは、ヨガだけではなく、ロルフィングやRolf Movement、コーチングなど、人と関わる仕事にもつながっているように思う。
そう考えると、「場を作る」という言葉も少し違って聞こえてくる。場とは、完成品として誰かが提供するものではない。ファシリテーターが必要な条件を整える。その中で参加者が自分を感じ、相手を感じる。そして、その相互作用によって、その日、その場所にしかない「場」が立ち上がってくる。
15年前の問いは、「身体から何に気づくのか?」だった。そして今回、新たに加わった問いは、
「人が自分自身に気づくために、どのような場を整えることができるのか?」
だった。
ヨガの実践、その先にあるもの。それは、ポーズをさらに深めることだけではなく、自分の身体から始まり、相手へ、そしてその間に生まれる「場」へと意識を広げていくことなのかもしれない。
