2015年3月18日(水)、Phase IIIの最後のOPENの日(クライアント・セッションがない日)を迎えた。先週は月曜日(3月9日)から金曜日(3月13日)まで、トレーニングを5日間過ごし、残りのトレーニングの日数は3日と迫った(正確には4日間だが、2日間はクライアント・セッションの最終回、最終日はFinal Interviewと表彰式)。
Munichも晴れる日々が続き、暖かくなってきている。そのせいか、生徒は練習を行うというよりも休みモードに入りつつあるように感じる。
クライアント・セッションも9回を終えてみると、生徒は、もっと経験を積みたいというモードになりつつある。私も、これからどのようにして学んだ手技を実践に移していくのか、非常に楽しみになってきた。
Phase IIのトレーニングの時には、最後まで暗中模索で、どのようにしてトレーニングの内容を消化していったらいいのか迷っていたのとは大違いだ。トレーニングの期間が妥当であり、十分に手技について学び、消化してきたということも実感がある。
最後のOPENの日は主に質疑応答に時間が費やされた。一番印象的だった質問は、ある生徒がJörg先生、Andrea先生に対して、
Growth as a rolfer, can you go back to the time when you were certified? What kind of lesson did you learn that helped you grow?
ロルファーとして認定された頃を振り返ってみて、自分自身が成長していくのにどのようなレッスンを学んだのか
を聞いた時だった。
Jörg先生とAndrea先生の両先生はいずれも、自分の身体内を理解して調えることが大切であると述べ、その理由として、
ロルファーが今までどのように自分自身の身体と向き合ってきたのかというものがクライアントに伝わるから
If you work with people and you are aware of your body this will be communicated to the client
と明確にしていた。
結局、ロルフィングができることは、クライアントに対して何か付加価値を与える(例、治療すること)ではなく、クライアントに対して気づきを与えることぐらいしかできない。そして自ずと、本人にとって適切だと思うことを選択していく(英語では、he will take what he needs and he has the freedom to choose what he takes)。
それは、Jörg先生がトレーニングで何度か使った
The body knows better than anything…
身体は他の何よりも理解している
という言葉によく表れていると思う。
これを意識するためにも、
be open, be interested, be curious, avoid dogmatic concepts, have fun, enjoy work!
オープンになること、興味を持つこと、好奇心を持つこと、ある特定の考え方に縛られないこと、楽しむこと、そして仕事を心底エンジョイすること
になることも話していた。
興味深かったのは、Andrea先生が、セッション4をしなければならないところ、セッション3を繰り返してやってしまったという経験や、Jörg先生がロルフィング・トレーニング中に、自分自身が完璧にセッションを行ったはずが、実はクライアントとコンタクトを失っていたということを先生に指摘されてしまったという経験など、失敗談もシェアしてくれたこと。
Giovanni先生、Jörg先生を含め、78日間のトレーニング期間中に10人の先生にお世話になった。Jörg先生は20年経った今でも、疑問に思ったことは恩師に質問するらしい。私もトレーニング期間中に学んだものがたくさんあったが、これからもたくさん学ぶことがあるし、疑問に思うことは出てくると思う。是非とも、これから先も先生との関係は大事にしていきたい。
2026年8月の注記
この日、両先生が話したことのうち、いま読み返して重いのは、失敗談のほうである。Andrea 先生はセッション4を行うところでセッション3を繰り返してしまい、Jörg 先生は完璧にやったはずのセッションで、実はクライアントとのコンタクトを失っていたと指摘された。そして Jörg 先生は、20年経った今でも、疑問に思ったことは恩師に質問するという。
基礎トレーニングには教科書がない。78日間、10人の教師から受け取ったものは、手順の説明ではなく、それぞれの人が身体をどう扱っているかの現れだった。この記事のタイトルにした一文、ロルファーが今までどのように自分自身の身体と向き合ってきたのかがクライアントに伝わる、は、教える側と学ぶ側の関係にもそのまま当てはまる。
なぜ教科書がないのか。制度が追いついていないから、という説明が最初は自然に思える。だが、このトレーニングを作ってきた人たちの中には、そもそも方法論を言語化すること自体を疑う立場がある。Sharon Wheeler は体験を重んじ、哲学が何を語れるのかという目を持ち続けていた。この立場に立てば、教科書の不在は未整備ではなく、必然になる。書けることだけを書いた本を渡せば、書けないものが落ちる。
失敗談の共有は、その落ちるもののほうを渡す手段だったことになる。完成した手順ではなく、間違えた過程を見せる。20年経っても質問し続けるという事実も同じで、終わりのある知識ではないことを、態度で示している。
もっとも、言語化されないままだったものが、後に言語化されないとは限らない。両先生がここで述べた、自分の身体内を理解して調えること、という心がけは、十年後のアドバンスト・トレーニングで Neutral という名前を与えられ、育て方の手順を伴って教えられることになる。Hara を含む三つの要件として。個人の在り方だったものが、教えられる対象になった。
言語化を疑う立場と、言語化を進める側と、両方がこの系譜の中に並んでいる。どちらかが正しいという話ではなく、渡せるものと渡せないものの境目が、時間とともに動いているということなのだと思う。




