【R#110】直傳靈氣(2)〜歴史的な流れ

日本由来の靈氣(レイキ)を考える際、歴史を見るのが大事。講習会に参加した時も歴史の勉強から始まった。
正式名称は、心身改善臼井靈氣療法。1922年、臼井甕男(うすいみかお)氏によって開発された手当てによる癒しの技術であり、心身改善を目的とした手技として知られている。

配布された本によると、臼井氏は、1865年、岐阜県の谷合村に生まれ、青年時代には数回欧米や中国へ渡航。職業も公務員、会社員、実業家、新聞記者や政治家の秘書などの経験を積んでいた。
中でも興味深いのは、医師から出発し、台湾や満州の植民地経営において重要に任務を担い、関東大震災後の東京のグランドデザインに携わり復興に大きな貢献をした後藤新平氏の秘書をしていることだ。日本に在住したことのあるFrank Arjava Petter氏の「This is Reiki(日本語版:「This is 靈氣(レイキ)その謎と真実を解き明かす、聖なるレイキの旅」)」によると、後藤新平氏は政界で影響力があったためか、臼井氏は陸海軍の含め高層の人たちとの知遇を得ることや諸外国に渡ることができたらしい。
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歴史や伝記、医学、当時の新興宗教(天理教、大本教、創価学会等)、キリスト教、仏教、心理学、易学などの知見と人生経験を積んだ上で達した結論は、
「人生の究極の目的は安心立命(あんじんりゅうめい)を得ること」
だった。そこで、3年間にわたる禅の道に入り、修行を行ったが悟ることができず、禅師に相談したところ
「それなら死んでごらん」
と答えられた。そこで、京都の鞍馬山こもって断食を開始。3週目に脳の中心に落雷を受けたような激烈な衝撃を感じ、そのまま意識不明になった。夜が明け始めた頃で、心身爽快な気分に満ちて目覚めた臼井氏は、衝撃のときに感じたエネルギーが心身を貫き、体内との共鳴、一体感を達成し、求めていた悟りの境地を完成したことを知ることとなる。

悟りが得られたことに喜び、山を降りる途中、石につまづき足の指の爪がはがれた。手を当てたところ痛みが去り、血が止まり即座に治癒してしまったらしい。自分の家族に試したところ同様の効果があったため、広く世の中にこの力の恩恵を与えたいと思いが至る。
工夫研究し、宗教色を極力排してメソッドをシンプルに体系化。1ヶ月後に東京の青山(東郷神社のそば)にて臼井靈氣療法学会を設立。後藤新平氏との知遇を得ていた関係上、陸海軍を通じて支配層からの支持を受けることになる。そして、翌年(1923年)の関東大震災で一気に広がる。4年間後に臼井氏が亡くなる頃には2,000の施術者と日本全国に40箇所の支部があったそうだ。
臼井靈氣療法学会は、現在まで存続しているが転機を迎えたのが、第二次世界大戦後。【RolfingコラムVol.105】で触れたが、米国のロックフェラーや米国医学会が中心になって進めてきた対処療法政策がそのままGHQを通じて日本へ普及。一部の民間療法を除き、科学的でないものは全て禁止の方向へ向かう。参考に、Petter氏の「This is Reiki」によると、第二次世界大戦前には100万人の靈氣施術者がいたそうだ。結果として、1987年西洋レイキ(REIKI)(次回のコラムで触れる)という形で逆輸入される形まで事実上消滅する形となる。

REIKIと世界的に知られるようになったのが、ハワイ在住の日系米国人の高田はわよさんの貢献が大きいと言われている。第二次世界大戦前の1935年、心臓、胃、肺、胆のうを患い、余命が短いという宣告を受けたはわよさんは、日本へ病気療養へ。病院で大手術を受けることになるが、
「手術は必要ない」
という内なる声が聞こえたそうだ。
そこで、医師に相談し、「手術以外に助かる方法はないか?」と聞いたところ、「治るのに時間が掛かるかもしれないが、それでもよければ紹介する」ということで、林靈氣研究会を設立し、臼井氏の弟子の一人であり海軍大佐・医師でもあった林忠次郎先生を紹介といったエピソードがあり、8ヶ月に及ぶ靈氣治療により奇跡的に回復されたそうだ。
このようなことが配布された本に記載されていたが、師範の鎌田孝美さんによると、「内なる声」が聞こえたエピソードは、事実ではないらしい。
ハワイで、はわよさんに靈氣の手当てをして治癒に向かわせた日本語教師と宣教師の2人の影響で、すでに靈氣の効果を実感していたとのこと。最初に日本に向かったときに、すでに林先生のもとで靈氣施術者になろうと決意されての滞在だったそうだ。
参考に、林先生のクリニックの信濃町には8台ほどのベッドがあり、16人の靈氣治療かが治療にあたっていたという。
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はわよさんは靈氣の素晴らしさに心を打たれ、1933年にハワイへ林先生を招聘。靈氣の技術を修得。40年後の1978年から、靈氣を教え始め、22名の指導者を育成。配布された資料によると現在では300万人もの人々がREIKIを実践しているとのこと。現在、国際的なREIKIの団体として、高田はわよさんの孫娘のフィルス・フルモトさん代表を務める「レイキ・アライアンス協会」とバーバラ・レイさんが代表を務める「ラディアンス協会」がある。
簡単に、歴史的な流れについて書いた。次にコラムで、西洋レイキと日本の靈氣との違い及び、靈氣とは何か?について紹介したい。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka