はじめに
ロルフィングは、身体を整えるボディワークの一つ。筋膜へのアプローチや身体のゆっくりとした動きを使って、身体を整えていく。
4年前に、早朝のアシュタンガ・ヴィンヤーサ・ヨガの練習が劇的に変化した(「出会い〜ヨガのポーズを深めるため、様々な方法を試す中で発見した」参照)。肩こりもよくなった。インパクトが強かったため、会社を辞めて、ロルフィングの資格を取るためドイツで勉強することになった。そして、現在セッションを提供するまで至っている。
ただ、「ロルフィングって何?」と説明する段階になると、迷うことが多い。
最近は、「人間は環境に応じて、脳は自らの構造や機能を変えることが出来る」=「環境に応じて、脳は自ら変わることが出来る」というキーワードを使って説明するようにしている。

「脳は変化しない」と信じられていた
ノーマン・ドイジの『The Brain that changes itself(邦訳:脳は奇跡を起こす』によると、医学の世界では長年「脳は変化しないもの」と信じられていた。
理由として、
- 脳に障害を持つと回復がほとんどできない
- 生きた脳の状態を顕微鏡で観察することができない
- 脳を機械的に見るという思想
を挙げているが、大きいのは、脳を構成する神経細胞は一回障害を受けると再生されないという事実がある。
しかし、1960年代から1970年代にかけて、「環境に応じて、脳は自ら変わることが出来る」ことが注目され、「脳の可塑性(Neuroplasticity)」が語られるようになった。脳(神経)細胞(neuron)と可塑性(plasticity)(=変化できる、修飾できる)の造語である。
今では、外からの刺激によって、脳の働きや構造が絶えず変化することがわかってきている。

使い続けると、変わる
脳の可塑性を示した研究として有名なのが、ロンドンのタクシー運転手を調べたものだ。
ロンドンでタクシーの営業許可を得るには、「The Knowledge」と呼ばれる市内の道路網を数年かけて覚える必要がある。この試験を通った運転手の脳を画像で調べると、海馬の後部が大きくなっていた。海馬は、記憶や空間の把握に関わる部位だ。
つまり、使い続けた部分が物理的に大きくなる。大人になってからでも、脳は変わる。
感覚の経路は、固定されていない
ドイジの本には、もう一つ面白い例が出てくる。ポール・バキリタの感覚代行である。
最初に作られたのは、カメラが捉えた映像を、背中に当てた振動板のパターンとして送る装置だった。のちに、電極を並べた板を舌に当てる形になる。舌は触覚に対してとりわけ敏感で、脳の側でも広い領域が割り当てられているためだ。
どちらの場合も、しばらく使ううちに、その人は「背中で感じている」「舌で感じている」のではなく「見えている」と言うようになる。バキリタ自身の言い方を借りれば、私たちは目で見ているのではなく、脳で見ている。入口が変わっても、脳の側が受け取れれば、その感覚は成立する。
嗅覚にも、別の特徴がある。脳の神経細胞で数少ない再生されるものの一つが、嗅覚の神経細胞だ。塩田清二さんの『<香り>はなぜ脳に効くのか:アロマセラピーと先端医療』によると、再生能力があるという報告があるため、外部から匂いの刺激を与えると、脳の衰えた部分、あるいは周囲の部分に働きかけられる可能性が高いという。

痛みの回路も、書き換わる
「環境に応じて、脳は自ら変わることが出来る」が面白いのは、神経細胞が減っていく老化や、神経細胞が変性していく病気が起きたとしても、この性質を利用すると改善する可能性があるからだ。
ドイジの続編『The Brain’s Way of Healing(邦訳:脳はいかに治癒をもたらすか:神経可塑性研究の最前線)』では、脳卒中、自閉症、パーキンソン病、慢性の痛み、多発性硬化症、視覚障害といった神経に関わる病気に対し、「脳の可塑性」を使った治療で劇的に改善された症例が紹介されている。
身体の何らかの障害によって激しい痛みが一定期間続くと、痛みと関連する脳の神経細胞の結合が強化される。回路が再編成されることで、痛みの信号が過剰に検出されるようになり、慢性の痛みが起きることが知られている。
そこで、医師のマイケル・モスコヴィッツは、痛みが出るところに特定の視覚化の作業を行うこと(具体的には、自身が描いた脳マップを思い浮かべること)で、痛みの軽減を図る。視覚に関わる部位のなかで、後帯状皮質、後部頭頂葉は痛みの処理に関係すると言われているからだ。
つまり、視覚を使い、脳が変化するという性質を使うことで、痛みを弱める戦略でもある。実際に、これは功を奏しているというのが驚きだ。
他にも、視力の低下に筋肉の緊張が関わっていることから、筋肉を緩めるために脳が変化する性質に働きかけるベイツ法、歩くことでパーキンソン病の症状が改善するなどの事例も本書の紹介にあった。

ロルフィングとの接点
いずれも「環境に応じて、脳は自ら変わることが出来る」という特徴を使ったものだ。
実は、ロルフィングも「新しい身体の使い方を教えるために、脳へ働きかける」一つの方法といえる(過去に本コラムでボディイメージとボディスキーマについてまとめたことがある(「心理的、知覚的な変化〜身体地図」参照))。
筋膜を使って、脳にここに手・足があるんだよと伝えていくことで、セッションは進むのだが、新しい習慣に馴染むまでにある程度時間がかかる。そのため、一定の間隔をとってセッションを行うのだが、興味深いことに、肩こり、腰痛を含めた身体の不調が改善されていく。

まとめ
このようにロルフィングも「環境に応じて、脳は自ら変わることが出来る」ことを使うのだが、まだこの分野は研究途上だ。
「脳の可塑性」は、再生医療と並んで発達する可能性のある分野。今後とも注目していきたいと思っている。
2026年9月の注記
この記事で挙げたロンドンのタクシー運転手の研究について、いま補っておきたいことがある。
この研究を率いたのは、ロンドン大学の Eleanor Maguire 教授である。海馬を専門とし、記憶と空間の把握、そして想像がどう結びついているかを追い続けた研究者だった。2025年1月に亡くなっている。
そして彼女の指導を受けた博士課程の学生の一人が、Demis Hassabis である。2005年から2009年までUCLで認知神経科学の博士号を取得し、その後DeepMindを共同創業して、AlphaGo で囲碁の世界王者を破り、AlphaFold でタンパク質の構造予測の問題を解いた。2024年にノーベル化学賞を受賞している。
Hassabis が Maguire のもとで行った研究が、この記事の主題と地続きになっている。
二人が2007年に発表した論文は、海馬の両側に損傷を持つ健忘症の患者が、過去の記憶を失うだけでなく、未来や架空の場面を想像する能力も失っていることを示したものだった。それまで記憶と想像は別の機能だと考えられていたが、同じ装置が使われていた。
そこから出てきたのが、海馬は記憶を録画再生しているのではなく、過去の経験の断片を毎回その場で組み立て直して場面を作っている、という考え方である。未来を思い浮かべるときも、同じ組み立てをしている。
身体地図も、同じ形をしている。固定された図が脳のどこかに保管されているのではない。筋膜や足の裏や呼吸から絶えず入ってくる情報をもとに、その都度つくり直されている。だからロルフィングのセッションで入力が変われば、書き換わる。タクシー運転手の海馬が大きくなるのと、同じことが起きている。
この記事を書いた2018年の時点では、そこまで見えていなかった。ドイジの本で読んだ事例として、タクシー運転手や視覚の代行を並べていただけである。
Hassabis については、別のサイトのほうで詳しく書いた。神経科学から出発した人がAIの側へ移っていく道筋を「DeepMindはなぜ囲碁の世界を制したか」で、生命科学の歴史の中での位置づけを「プログラマーたち──CRISPR・AI・自己規律の系譜」で扱っている。
私自身も、もとは基礎医学の研究をしていた。2001年に博士号を取り、その後は製薬会社にいた。いまはロルフィングのセッションを提供している。脳が入力に応じて自分を作り変えていくという話を、いまは身体の側から見ている。
