
はじめに
前回は、15年で540本の記事がたまったこと、そしてなぜそうなったのかについてまとめた。今回は、540本をどう減らしているのか?について書きたい。やってみて分かったのは、これが書くこととは別の能力が必要だったことだった。
編集とは、減らすことだった
実は、やっているのは、書くことではなく、編集だった。そして、編集というのは、足すことではなく、減らすことだった。これが、思っていたより難しい。
減らすには、何を残すかの基準が要る。基準がないと、どの記事も「自分が書いたもの」であって、そこには全部それなりの理由がある。読み返せば、書いたときのことも思い出す。そうすると一本も減らせない。
基準は、作業を始めてから少しずつ立ってきた。いまのところ三つある。
- 一つ目は、読む人にとってリスクになりうるもの。健康やお金に関わることを、根拠の水準に見合わない書き方をしているもの。
- 二つ目は、他の記事の要約とリンクだけでできているもの。まとめ役として置いたものが、後から作ったページに役目を取られている。
- 三つ目は、本質を語っていないもの。近況の報告、料金の告知、その時々のお知らせ。書いた時点では意味があったが、いま読んで残るものがない。
基準が立つと、初めて減らせるようになった。ある意味、基準を探すのが大変だった。そして、基準が見つかることで、作業が早まったと言っていい。
作業の記録を、ファイルに残している
540本を一本ずつ読むというのは、一日では終わらない。何日もかけて、少しずつ進む。そうすると、前に何をどう判断したかを覚えていられなくなる。
そこで、今回は、生成AI(Claude)を使って、選別。記録をファイル(マークダウン形式、以下MDファイル)に残しながら進めている。しかも、この作業は、トークンと呼ばれる作業メモリが大幅に消費するので、Claude Maxを使うことになる。
現在、MDファイルは、5種類ある。確定したことを書く『参照ファイル』。なぜそう判断したかを書く『作業記録』。日本語と英語のタイトルとURLを並べた『索引』。削除した記事の全文を残す『バックアップ』。そして、これから書く記事の企画をためておく『企画ファイル』。これだけで、合わせて80万字を超えた。記事そのものより、記録のほうが多くなってしまった。
『参照ファイル』と『作業記録』を分けているのには理由がある。確定したことだけを読みたいときと、なぜそう決めたかを遡りたいときとでは、探すものが違う。人名の綴りや日付は前者、削除するかどうかで迷った経緯は後者にある。
削除した記事は、全文をバックアップに残している。これは大きい。消してしまうと戻せない、と思うと判断が重くなる。全文が残っていると分かっていれば、消す側に倒せる。実際、消した記事から材料だけを拾って、別の記事や企画のファイルへ移したものが何本もある。
前述したようにこの作業は、Claude と一緒に進めている。毎回、MDファイルを全部読み込ませてから始める。前回の続きから入れるし、こちらが忘れていることを指摘されることもある。記事が重なっているかどうか、この記述は他の記事が引き受けていないか、といった照合は、540本を相手にすると人の記憶では追えない。
Claudeに、WordPress の操作についても聞けるのが大きい。記事を削除したあとのリダイレクトの張り方、インデックスの状態の調べ方、全文検索で参照元を洗い出す手順。こういうことは調べれば分かるが、調べている時間のほうが作業より長くなる。その場で聞いて、その場で進められる。
これは個人で発信している人には、そのまま使える形だと思う。記録を残しながら進めるというだけのことだが、15年分を相手にするなら、記憶ではなく記録で動かないと、同じ判断を何度もやり直すことになる。
セッションでやっていることと、同じだった
途中で、これはセッションと同じことをしているのではないかと思うようになった。
ロルフィングのセッションで、何かを足すことはない。姿勢を良くするために筋肉を付けるとか、正しい形を教え込むということはしない。やっているのは、余計にかかっている力が抜ける条件を整えることのほうである。抜けると、支えているものが残る。残ったものが働き始めると、身体は自分で整っていく。こちらが整えるのではない。
そのときも、判断の基準が要る。何をもって整ったとするか。痛みが消えたかどうか、本人が楽に感じるかどうかを基準にすると、その日の調子で変わってしまう。だから重力との関係を見る。立っているときに、身体がどう重力を受けているか。基準を一本にすると、何を外すかが決まる。
記事の編集も同じだった。基準が三つに定まってから、減らせるようになった。
もうひとつ、似ていることがある。
セッションでは、硬くなっている場所を「悪いところ」として扱わない。理由なく硬くなる筋肉はない。そこが硬いことで、何かが支えられている。何が支えられているのかを見ずに緩めると、別のところが代わりに硬くなる。
記事も同じで、重なっている記事を見つけたときに、片方を消せば済むとは限らない。重なっているのは一部で、残りの半分はその記事にしかない、ということがよくある。全部消すか全部残すかの二択にならない。
だから、何本かを編集し直して一本にまとめる、という三つ目の分け方が要る。減らすといっても、消すことだけではない。
まとめ
今回は、減らす作業について書かせていただいた。基準がないと減らせないこと、記録を残しながら進めていること、そしてそれがセッションでやっていることと同じ形をしていたこと。
次回は、読み直していて驚いたことを書きたいと思う。自分が書いたはずのものを、自分が覚え違えていた。
