Source Point Therapy(ソースポイントセラピー、以下SPT)の Module 1 のトレーニングに参加してから2週間が過ぎた(トレーニングの模様は「「人間として形付けられるために必要な元となる情報」=「ブループリント」を知ること」「知識よりも感覚をどう使うのか?〜ブループリントへのアクセス」「最終日」参照)。大阪から東京に戻ってからは、ロルフィングのセッションでSPTの手技を取り入れるようになった。
驚いたのは、自分も何度か受けたことがあるので分かるのだが、より身体が統合されていることをクライアントを通じて実感できることだ。しかしながら同時に、解剖学を学ぶことがより一層重要だと気づかされる瞬間でもあった。
SPTインストラクターの佐藤博紀さん(以下ヒロさん)は、トレーニングのときに、SPTに必要なブループリントをダウンロードしたら、それに委ねることについて述べていた。ブループリントとは、身体に必要な健全な情報のことだ。SPTの成功の秘訣は、健全という言葉についての理解だという。なぜなら、健全について言葉としての理解が深まれば深まるほど、セッションがよくなるからだ。
SPTの手技は非常にシンプルで、誰でも実践できるのでやりやすい。ただし、予期せぬ形で変化が起きるため、自分を見失うこともある。要は、変化をどう理解し、言語化するかが、その後のセッションにおいて重要になる。そういう意味で、今後は解剖学の知識がより必要になることも分かってきた。
解剖学の知識には、観察力を向上させるという意味もある。
もちろん、解剖学および知識を持つことのリスクも当然ある。ミュンヘンのロルフィング・トレーニングの Phase II で学んだことでもあるが、知識が深まれば深まるほど、逆に介入したくなるという気持ちだ。
ヒロさんが言うように、知識を得つつプロセスに委ねる。そのバランス感覚にこそ、SPTとロルフィングのセッションの成功があるのだろう。
今後も解剖学の教科書を見返しながら、セッションの内容を深めていきたい。
もう一つの気づきとして、靈氣とSPTをどう使い分けるかについても少し書きたい。
SPTも靈氣も、身体に触れることなく身体へアプローチできるという特徴がある。ここでいう靈氣とは直傳靈氣のことだ(「経緯と欧米人」参照)。この二つの手法を同時にセッションに取り入れての印象としては、双方とも、使っているときに意識する必要があるということだ。
SPTでは、ブループリントの意識を持つことで、手の平を点として使うケースがほとんどになる。結果として、身体の全身がその意識に基づいて自然と動き始め、整っていく。整い方としては、身体全体のバランスを取り戻したいときに威力を発揮する。SPTを使う際は、エネルギーを使うという感覚ではなく、委ねるという感覚が強い。
靈氣では、頭頂から足にかけてエネルギーが流れているような意識を持つようになると、手から靈氣が自ずと出てきて、靈氣特有の手の温かさも現れていく。その際に使うのは手の平全体だ。全身へのアプローチというよりも、問題点が見つかった場合の局所対処に威力を発揮する。そして靈氣を使う際は、委ねるというよりも、エネルギーを使う感覚が強い。
最後に、SPTはイメージを使って自分の身体へ伝えることもできる。自分に応用することで、たとえば肩こりや首こりにも有用なだけでなく、瞑想の姿勢にも応用が可能だ。身体への意識を向けることなく整うところがすごい。ヨガのポーズをとる際にもSPTは応用でき、よりメリハリのついた身体の使い方ができるようになっている。
これからSPTを通じてどのような学びがあるのか。今後も発信を続けられればと思う。
2026年8月の注記
この記事の前半は、SPTを取り入れた結果として解剖学の必要を痛感した、という話になっている。身体にほとんど触れない手法を使い始めたら、身体の中身をもっと知る必要が出てきた。順序が逆に見える。
理由も書かれている。SPTでは予期せぬ形で変化が起きるため、その変化をどう理解し、どう言葉にするかが、次のセッションを左右する。つまり解剖学は、介入するために要るのではない。起きたことを読むために要る。
同じことを、後にヒロさんから聞いた。創始者の Bob Schrei も、解剖学の重要性について語っていたという。エネルギーワークの創始者が解剖学を重んじるというのは、意外に思われるかもしれない。ただ、彼は認定アドバンスト・ロルファーであり、バイオダイナミック・クレニオセイクラル・セラピストでもある。手で身体を扱ってきた人が作った体系である。
知識は何のために要るのか
この問いは、その後も形を変えて出てくる。
2017年の補講で、SPTは解剖学を知らなくても手技を学べばできるが、解剖学を知って行うとセッションへの理解や意識が深まる、ということを体感で学んだ。技術としては不要だが、理解としては要る、ということだ。
2025年のアドバンスト・トレーニングでは、観察の話として扱われた。Maitland は、観察力を鍛えるのに3段階を挙げている。自分中心の意図を手放して対象に開かれること。視覚だけでなく触覚も聴覚も内受容感覚も総動員して身体全体で感じ取ること。そして、身体が自然に見せる変化を待つこと。
Ray McCall は、Seeing with your own eyes という言い方は誤解を生む、身体全体で受け取ることが観察だ、と述べた(「Advanced Rolferの認定までの歩みについて【総括】〜認定までの道のり」参照)。
知識は、こちらから見にいくために要るのではない。入ってきたものを読むために要る。この記事に書いた、変化をどう理解し言語化するか、という一文が、既にその向きを指していた。
同じ日に、逆向きのことを書いている
この記事の後半は、SPTと直傳靈氣の使い分けについてだ。主題は、委ねる感覚とエネルギーを使う感覚の違いである。
前半は知識を増やす方向を向いている。後半は、施術者が何をするかを減らす方向を向いている。当時の私は、それを二つの気づきとして並べただけだった。
10年後、この二つが一つの枠組みに収まった。Intention と Intentionality である。明確な意図を持ちながら、結果に執着せず、プロセスに寄り添う。知ることと、委ねること。どちらかを選ぶ話ではなかった。
もっとも、この記事にもその答えは書いてある。知識を得つつプロセスに委ねる、そのバランス感覚にこそ成功がある、と。ヒロさんから聞いた言葉として書き留めてある。自分の言葉になるまでに、10年かかった。





