【R#60】Phase III(6)〜Seeingと知覚すること(1)

本コラムで度々取り上げてきたが、Rolfingの施術を行う際に大切のなるのがbody reading(身体観察)。つまり、Seeing(観察すること)である。Phase IIIのトレーニングにおいて、Jörg先生は、Body Readingする際に、Seeingすることも大事だが、Sensing(クライアントの身体にどのような変化があるのか?施術中に知覚すること)とのバランスを図ることを忘れないほうがいいともいっている(Sensingと施術を行うこととのバランスについては、【RolfingコラムVol.27】で取り上げた)。今回はSeeingと「知覚すること」との関係について述べていきたい。
Holding The Sky
Ida RolfがRolfingを教え始めた当初、カルキュラムを2つの段階にわけていたらしい。すなわち、それはAuditing(観察者(知覚する)の段階)とPractitioner(施術者(施術経験)の段階)(以下文末の文献1を参考しながらまとめている)。Auditingは、どのように観察するのか?を教える段階で、身体を観察するところに力点がおかれている。施術することを一切しないところが面白い。そして、実際に施術者を繰り返し観察し続ける。そして、「Rolfingについて何を観察するのが大事なのか?」を身につけるまでそれが続くのだ。
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このような手法をSaturation method(Saturation=情報が飽和する)と呼ぶらしいが、目が身体に対する見る目を養うまで情報を与え続けることで見る目を身につける。この方法は、現在のロルフィングのカルキュラムにも活きていて、他の施術者を観察することに多くの時間を割いているというロルフィングのトレーニングの特徴となっている(トレーニングについての詳細 は、【RolfingコラムVol.57】にまとめた)。
Finding new ways of boosting their success
興味深いのは、ある日突然body readingで身体をRolfingが必要とする目が身につくということ。実際に、私もトレーニング期間中にいつの間にか無意識のうちbody readingについて、修得していた。さて、必要な目はどのように身につくのか?1つ例を挙げてみたい。
Giraffe
上記の写真を見ると、単に様々な図形が並んだ絵にしか観察することができない。しかし、この中でキリンを見つけることができるか?といったらどうか。図形に線が加えられていないにもかかわらず、キリンがぱっと浮かび上がってくることに気づく。何が変わったのかというと自分の中に適切な概念・意味(キリン)を持っていたために、キリンと観察することができたのだ。ロルフィングにおいて、身体観察を知覚的にできるようになるというのは、このプロセスに似ている。
今まで紹介した「身体にどのような重さがどこにかかっているのか?」、中央軸の意識、骨盤の前傾や後傾等は、概念として考えると理解できると思う(これらの概念については【RolfingコラムVol.36】参照)。そして、その概念というのはEmbodimentを通じて自分の身体の中で知覚することも可能だ(Embodimentについては【RolfingコラムVol.22】に書いた)。
余談になるが、このように考えると実際に優れた施術者から施術を受けることの経験も知覚的な見方を身につけるのに役立つこともわかる。
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さて、見方というのは、目で分析的に捉えるというよりも、知覚的に捉えると言っていい。以前、本コラムで、西洋の絵画史は、絵を描く者がどのようにして世界を知覚してきたのか?の変遷の歴史であることを述べた(【RolfingコラムVol.14】参照)。
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私が、ロルフィングのトレーニングで新鮮味を感じるのは、分析的な目を大事にしつつ、どのようにして知覚的な目をどう養うのか?について学べることだ。考えてみれば、大学院に所属し、研究の世界に身を置いた経験からすると、信頼できるのは定量できるものであり、信頼できないのは、定量できない感覚的なもの(例えば、知覚的な目は定量できない)という、分析的な考えることが当たり前であったと思う。その目からみると身体は機械的に各パーツからなりそのパーツを観察すれば全体を把握できるという機械的な見方で十分のように見える。ロルフィングの場合には、さらにその見方に加えて、部分が全体になるのではなく、全て全体と捉えるという感覚的・知覚的な目とのバランスが大切になる。
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Phase IIIでJörg先生が、「脳によって捉えるとBody readingは、見失ってしまう」ということを何度かクラスで話してくれた。これは、分析的なマインドの方が知覚的なマインドよりも優勢になると、上記のキリンを浮かび上がるのを邪魔することにつながることを考えれば容易に理解できる。
知覚的な見方と分析的な見方。知覚的な見方というのは、ハイデッカー、ポンティやフッサールが唱えた現象学に近い。タイミングがあえば、本コラムで現象学との関係について取り上げたいと思っている。
*参考文献
1) Maitland J. ‘Seeing’ Structural Integration Dec 2014, p24(Phase IIIのトレーニング中に配布された資料の一つ)

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka