顔の表情が安心を作る〜ポリヴェーガル理論と2つの迷走神経

本記事は「身体と心」シリーズ全6回の第4回である。本シリーズは、ロルフィングの基礎トレーニング(Basic Training)Phase IIとPhase IIIの期間にまたがって書かれた。本記事はPhase IIIの期間中に、Phase IIで学んだポリヴェーガル理論を振り返って書いた。

今回は、ロルフィングのトレーニングのPhase IIで出てきたPolyvagal Theory(ポリヴェーガル理論)について取り上げたい。身体と心を考える際に、Tonic Function(「疲れる筋肉と、疲れない筋肉〜姿勢を支えるTonic Function」「2方向性が身体を調える〜Tonic Functionと歩行・座位」参照)と並んで興味深い考え方を提供するためである。

本コラムで以前、Peter Levineの本を取り上げた。その本によると、動物は敵に遭遇したときに闘う(Fight)か逃げる(Flight)かの2つの手段を取るが、その2つを取ることができない場合には、凍りつく(Freeze)という第三の手段をとることが知られている(「トラウマは出来事ではなく身体に残る〜深層のセッションで何が起きるのか」参照)。そこでは、ライフル銃で撃たれたクマが、凍りつき反応の後にショックのエネルギーを解放する映像が公開されていることも紹介した。

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実は、自律神経の交感神経がFight/Flightに関わっている。

人の身体は、自分の意思で動かすことが可能である体性神経と、自分の意思ではコントロールが不可能である自律神経からなる。

そして自律神経には、2つの拮抗する神経系がある。運動している時に優位になる交感神経系と、その反対の働きをし、安静時に優位になる副交感神経系である。

第三の手段であるFreezeと関わるのが、迷走神経(Vagus)だ。

迷走神経は、脳から腹部まで到達する唯一の神経で、頭から出ており、胃腸管、気管支、心臓と内臓の働きに関わっている。凍りつきに関わっているのは、迷走神経の中でミエリン鞘のない神経(身体では背面(dorsal)に位置している:Dorsal Vagus Nerve)で、脊椎動物や爬虫類の時代から発達した古い迷走神経とも言われている。

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実は、人間を含む哺乳類は別の種類の迷走神経を発達させたと、イリノイ大学のStephen Porges教授はいう。哺乳類が持つのは、ミエリン鞘のある迷走神経(新しい迷走神経、身体では腹側(ventral)に位置している:Ventral Vagus Nerve)だ。これは顔面表情と発声をコントロールする頭蓋の神経につながるように発達していった。

Porges教授は、このように迷走神経(Vagus)が2つ、すなわち古い迷走神経と新しい迷走神経があるということから、ポリヴェーガル(Poly=多数、Vagal=迷走神経)理論という名前でその考えを呼んだ。

哺乳類は爬虫類とは違い、子供を産む際に乳を飲ませる必要がある。そこで新たにコミュニケーション手段を発達させる必要性が出てきた。例えば、顔面を表情で表現すること、泣くこと、発声、または口から吸うこと。特に顔面を表情で表現することが、人間関係の距離感を近づける一助となった。そしてそれは、社会との距離の取り方(社会性)にもつながっていく。

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その顔面の表現が、新しい迷走神経を発達させたという。その結果として、顔面に集中する新しい迷走神経の働きにより、心理的に距離を近づけていいという合図を発達させていく。このように人間は、他人に近づく際には、顔や発声、他人からの合図によって判断するようになった。

Porges教授によると、3つの神経系、すなわち新しい迷走神経(心理的距離や社会性に関与)、交感神経(Fight/Flightに関与)、古い迷走神経(Freezeに関与)は階層構造をとるとのこと。すなわち、新しい迷走神経が下位の2つ(交感神経、古い迷走神経)を抑制する。そして、交感神経は古い迷走神経を抑制する。上位に上がれば上がるほど安心感が増すので、人間は一番上位の新しい迷走神経を使おうとする。

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裏を返せば、出来事が起きて安全を感じた場合には新しい迷走神経が働くが、危機的な状況が訪れると次の交感神経が働き、Fight/Flightが作動する。そして生命において危機的な状況が訪れると、最終的に古い迷走神経が働き、Freezeという行動へと出る。

興味深いのは、ストレスを感じた時に人間は無意識的に顔面の筋肉を使い始めること。それは、飲食、音楽を聴く、人と話すことなどの行動として現れる。これは全て、顔面の筋肉への働きかけを通じて、新しい迷走神経を優位にするための行動と考えてもいい。Porges教授は、ヨガのPranayama(呼吸法)のように呼吸を深くすることが顔面の筋肉を使うことにつながり、それが同じように新しい迷走神経を優位にするための行動だという。

自閉症、トラウマ、うつ、統合失調症を有する患者は、いわば新しい迷走神経が働いていない状態になっていると考えると、いかにして社会性に関わるような神経系を優位にするかというのが課題になるとPorges教授はいう。次回は、この視点からポリヴェーガル理論について触れたい。

※ミエリン鞘の有無は、神経細胞の情報伝達に大きな影響を及ぼす。ミエリン鞘がある場合には跳躍伝導と呼ばれ、速やかに神経の情報伝達が行われるのに対して、ミエリン鞘がない場合には神経の情報伝達が遅い。

2026年8月の注記

この記事は、顔面の筋肉と神経系の関係を扱っている。表情が新しい迷走神経を発達させ、それが安心の合図になる。この理論を学んだのはPhase IIだが、同じPhase IIで、顔と頭に直接触れるセッションも受けていた。

セッション7で触れていたもの

10回シリーズのセッション7は、頭と顔を扱う。顔の表面の筋肉を緩め、口腔内の筋膜(顎関節、上顎の歯の奥にあるドーム、側頭筋)、鼻腔内、頭頂付近へと進む。ロルフィングが他のボディワークと異なるのは、口や鼻の中にも施術を行う点である(「セッション7:頭・顔」参照)。

その主要な目的の一つが、重力のバランスを調整する内耳感覚に働きかけることだった。内耳は側頭骨の中にある。

この記事が扱っている新しい迷走神経は、顔面表情と発声をコントロールする頭蓋の神経につながるように発達した。つまり、セッション7が触れている領域と、この記事が説明している神経系は、同じ場所にある。

当時、この2つを結びつけて考えてはいなかった。理論はPhase IIの座学で、セッション7は施術の実際として、別々に記録している。

セッション7を受けたときの記録には、口腔内の筋膜を緩めた後、胸の引っ張りが軽減したことが書かれている。おそらく口腔内の筋膜が内耳感覚やバランスへ影響を及ぼしたのではないか、と推測して終わっていた。

この記事の枠組みを重ねれば、別の説明も立つ。顎関節や側頭筋の緊張が緩むことは、顔面の筋肉の状態が変わることでもある。それが新しい迷走神経の働きに影響しないとは考えにくい。

呼吸法が首と喉に働きかける

この記事には、Porges教授の指摘として次の一節がある。ヨガのPranayamaのように呼吸を深くすることが顔面の筋肉を使うことにつながり、それが新しい迷走神経を優位にする行動になる、と。

その9か月後、2015年11月のプラーナーヤーマ連続講座で、呼吸法の側から同じ場所が扱われた。呼吸筋として挙げられたのは、横隔膜、肋間筋、頸部筋群、骨盤底筋群である。首の筋肉が呼吸筋に含まれている。

ウジャーイ呼吸の意義も2つ説明された。喉を引き締めることによって気道を狭くし、余計な力を使わずに長時間かけて呼気が可能になること。そして頸部の喉を引き締めることによって首が固定され、鎖骨や肋骨といった身体の他の部分が動員され、働くべき筋肉が働くようになること(「プラーナーヤーマ・連続講座(6)〜呼吸」参照)。

Porges教授がPranayamaを挙げた理由が、ここで具体的な形になる。呼吸法は、喉と首に直接働きかける技法だった。

同じ講座では、神経系の側からの説明もあった。ストレスや感情によって大脳辺縁系が刺激を受け、呼吸が変化する。プラーナーヤーマは呼吸を意識的に変化させ、大脳皮質を働かせることで、結果的に大脳辺縁系からの刺激を抑制する。二酸化炭素濃度が高い状態でも、副交感神経優位のリラックス状態へ持っていくよう訓練するところに意義がある、と。

ポリヴェーガル理論とは異なる経路をたどりながら、同じ場所に着地している。

そして2016年9月、パリでHubert Godardからメンタリングを受けた際には、なぜセッション1が呼吸なのかという説明があった。グラウンディングのために矢状面に注目する。身体の前後の動きが重要であり、呼吸を見る意味はそこにある、と(「ERA Mentoring Session(4)〜パリでの体験:基礎を大事にすること〜Hubert Godard」参照)。

10回シリーズは、呼吸から始まり、頭・顔で中心軸を完成させる。セッション1とセッション7が、構造の側では中心軸の下端と上端として対応している。この記事が示しているのは、その2つが神経系の側でもつながっているということになる。

安心が先にある

この記事は、階層構造を説明している。安全を感じれば新しい迷走神経が働き、危機が訪れれば交感神経、さらに生命の危機では古い迷走神経が働く。上位に上がるほど安心感が増すので、人間は一番上位を使おうとする。

2025年のアドバンスト・トレーニングでは、この順序が施術者の側の課題として扱われていた。Ray McCallは、セッションの起点となる知覚には、安心・安全を感じられる在り方(Being)が重要だと述べている。結果として、クライアントは必要なリソースと自然につながり、可能性を広げていく(「Advanced Rolferの認定までの歩みについて【総括】」参照)。

深いセッションに入る前に、信頼関係が要る、という言い方は当時からしていた。この記事の枠組みは、それに神経系の裏づけを与える。安心を感じていない状態では、そもそも上位の神経系が働かない。

施術者が場を整えるというのは、クライアントの神経系がどの階層で働くかを左右するということでもある。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka