弁証という手順──なぜ、いきなり内臓を見ないのか

この記事は、2019年4月から10月にかけて受けた「からだの学校【東洋医学】」の記録に、2026年9月の視点から加筆したものです。末尾に、2026年から見て何が見えるようになったかを注記として加えています。

最終回

2019年10月6日(日)、講座の6回目。最終回である。この日のテーマは弁証だった。

西洋医学は、言葉で成り立っている

弁証に入る前に、比較のために西洋医学の側を見ておきたい。

西洋医学は、三つの考えが核になっている。一般化できること、つまり普遍性。客観的であること。そして論理的であること。大学の医学部で体系的に学ぶことで、誰もが身につけられる教育プログラムが確立されている。

治療は、主訴、診察、診断、治療という順序で行われる。この過程は手順化されていて、プロトコルと呼ばれる。カルテに記載し、誰もが再現できるようにするところに力点がある。診断では血液検査、MRI、CT、レントゲンといった方法でデータを定量化し、病名を確定させる。

私はこの側で長く仕事をしてきた。

医学系の大学院で研究者として働き、その後は製薬会社で薬の開発と販売の戦略に携わった。品質の確保、つまり製造工程の一つ一つの手順がどうなっているか。薬の安全性と有効性の担保、つまり臨床試験がプロトコル通りに行われ、患者で有効性を示しているか。そして薬の販売と情報伝達、つまり承認された適応の通りに情報を医師へ伝えているか。この三つのステップを、法律と業界の自主規制の中で進めていく仕事だった。

そこで最も重視されるのは、言葉である。

副作用、有害事象、主訴。一つ一つの言葉に定義が決まっていて、製薬業界ではデータベース化されている。言葉の定義がしっかりしていないと、論理性を担保できないからだ。

共通の言葉で病気について語れることは、大きな強みだと思っている。

弁証とは、証を立てること

では、東洋医学はどう診るのか。

弁証の意味は、心と体、臓腑、経絡がどうなっているのかを判断することである。別名を、証を立てること、という。

東洋では、症状が同じでも原因が違う。だから一つの症状ではなく、全体で見ることが重視される。

証の立て方には三つある。八綱弁証、氣血津液弁証、臓腑弁証である。

ここでポイントになるのが、順序だ。

いきなり五行や五臓で考えない。最初から細部、つまり内臓の状態を見てしまうと、全体を見失ってしまうからである。

本治と標治

東洋医学には、本治と標治という二つの考え方がある。

標治は、いま表面に現れている症状への治療である。本治は、その原因に対する治療である。

対症療法が中心の西洋医学では、この言葉が治療の中に出てこない。

たとえば腰痛の場合。標治は、腰の治療、腰を管理している腎の治療、そして食事や生活の指導にあたる。本治は、腎が弱るような生活をしたくなる、その原因への働きかけになる。

基本的には、この二つを組み合わせて進めていく。

八綱弁証──八つの基準

東洋医学では、問診を使って今の状態を理解する。そこで役立つのが八綱弁証である。

八つの基準は、陰陽、虚実、寒熱、表裏。この四組で八つになる。

基本は陰陽だ。陰性と陽性のどちらが強いのか。相手からの聞き取りで探っていく。

次に虚実。抵抗力や体力の強弱、病の勢いの盛衰から判断する。氣が不足しているのが虚で、症状は弱く、長く続く。病邪が存在するのが実で、症状は強く、急に強くなり、間欠的に現れる。

寒熱は、寒や熱の影響を受けているかどうか。表裏は、外因の深さと病の勢いの軽重から判断する。

病因を三つに分ける

病邪、つまり病因の見方は、東洋医学に独特だと思った。

外因、内因、不内外因の三つに分ける。外因は気象条件、内因は精神・心理条件、不内外因は社会・生活条件である。

たとえば頭痛なら、風邪が外因、ストレスが内因、暴食が不内外因になる。

心理や社会や精神の状態を、季節の条件と同列に扱っていく。ここが面白い。

内因は、感情、つまり七情で判断していく。ここで五行の話が戻ってくる。心の五精は「神」で感情を持つ。腎の五精は「志」で感情をコントロールする。腎が弱まると感情的になる、という話は五行の水のところで学んだが、ここで改めて出てきて、なるほどと思った。

怒は肝、喜は心、思は脾、悲は肺と心、憂は肺、恐は腎、驚は腎。それぞれの内臓に感情が割り当てられていて、相剋・相生の関係で見ていくと、内因をより深く見られるようになる。

不内外因では、飲食が取り上げられた。過食、脂っこいものの過食、生冷の過食、偏食。それぞれがどういう影響をもたらすのかを見ることの大切さを学んだ。

問診で組み立てる

問診では、八綱弁証を使って二つのことを聞いていく。

いつからその状態になっているのか。そして、何が原因なのか。季節の変化、生活の変化、つまり仕事、食生活、睡眠、環境。

そして根本の原因を探るために、症状を時系列に並べ、一つのつながり、つまりストーリーを組み立てていく。

最終回の終わりには、問診表を使った二つのケーススタディが紹介された。東洋医学の考えの基本を網羅する内容だった。

東洋医学も、論理的な思考でストーリーを組み立てていく。そこは西洋医学と似ていると感じた。

6か月を終えて

この講座を受けて一番大きかったのは、医学には別の尺度がある、と学べたことだった。

東洋医学が一番だとも、西洋医学が一番だとも考えるのではない。それぞれに良さがあり、視点がある。そう思うようになった。

6か月にわたって情報をわかりやすく共有してくださった安部さん、そして学ぶ場を提供された小林ケイさんに、感謝を申し上げたい。

2026年9月の注記

この回で学んだ順序が、その後どこへつながったかを書いておきたい。

いきなり五臓から入らない。まず八綱で全体を見て、氣血水を見て、五行まで絞ってから、最後に五臓を見る。細部から入ると全体を見失う。

2019年の記事では、これを東洋医学の手順として書いている。西洋医学の手順化と対比させ、どちらも論理的にストーリーを組み立てる点で似ている、というところまでで終わっている。

2025年にアドバンスト・ロルフィングのトレーニングを受けた。そこで Jeffrey Maitland の三つの問いかけを学んだ。どこから始めるか。次に何をするか。終わったとどうやって分かるか。

この三つのうち、最初の問いが、ここと同じ場所を指している。

ロルフィングでは施術に入る前にボディリーディングをする。全体を見てから、どこへ手を伸ばすかを決める。IMACでは可動域を測ることから始める。東洋医学の弁証は、氣が巡っているかという全体から入る。

三つとも、全体から入って細部へ降りる。しかも三つとも、逆をやると全体を見失う、という同じ警告を伴っている。

もう一つ、書いておきたいことがある。

2019年の記事で、私は西洋医学の強みを言葉の定義に見ていた。副作用も有害事象も主訴も、意味が決まっていてデータベース化されている。定義が揃っているから論理性が担保される。共通の言葉で語れることが強みだ、と。

いま読み返すと、その隣で東洋医学が逆のことをしているのに、気づいていない。

陰陽は、何を基準にするかを自分で決めた上で比較する。基準が固定されていないことが、東洋医学の便利さだと初日に教わっている。定義を揃えることで成り立つ体系と、基準を自分で決められることで成り立つ体系。この二つを、6か月かけて同時に学んでいた。

どちらが正しいという話ではない。ただ、両方を持っていると、目の前の身体について言えることが増える。それが分かるまでに、7年かかった。

この講座について書いた記事

【総括】からだの学校【東洋医学】──6日間・6か月にわたる講座の総まとめ

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この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka