SE初級・前半(2)〜SEとロルフィング・トレーニングの違い、どのような環境で学んでいるのか?

はじめに

今年(2021年)より、新しい取り組みとして、ソマティック・エクスピリエンス(SE)の学び(3年間)が始まり、昨日(2021年3月1日(月))、無事トレーニング初級の4日間が終わった。

「心理的なトラウマを抱えた人たちに対して、そのストーリーや言葉を聞かずに、身体感覚を使ってどのように治療効果をあげていくのか?」

SEは、ロルファーでもあるPeter Levineによって体系化された。ボディワークから心へのアプローチにすごく面白みを感じ、今年から学ぶようになった(以前ブログ記事「興味を持った理由」に書いた)。

3年間のカリキュラム

SEのトレーニングは3年に及ぶ。初級・中級・上級と進み、各年12日間、合計36日間で全課程が終わる。

1年目の初級では、トラウマのメカニズムについての基本的な理解を築き、実際にクライアントとかかわる際の基本的なスキルを身につける。2年目の中級では、さまざまなトラウマをカテゴリー別に分け、各分野のトラウマとその原因を研究し、それぞれの症例への対処法を具体的に学んでいく。3年目の上級では、眼球運動やマッサージ台の上でのボディワークなどを含む、より広範囲な応用に加えて、複合トラウマによる複雑な症候群への対処の方法、最先端の精神生理学研究の実際の療法への応用などを学ぶ。

国内外でトレーニングを受講することができる。ロルフィングのトレーニング期間中にも、イギリスやスペインで開催されていた。個人的には、イギリスで受けたいと思っていた。しかしながら、コロナ禍でしばらく海外に出られないので、東京都内から通える幕張会場で開催されるトレーニングを受講することになった。

国内のトレーニングについての告知は、ロルファーのメーリングリストで回ってくるので、そこで知った。

ちなみに、トレーニングの対象者は「心理、あるいは身体の分野で専門資格を有し、臨床経験が2年以上あることが望ましい」となっている。

締め切り間近に願書を提出したが、意外と時間がかからず、すんなりと作成することができた。主催している事務局へ提出し、2020年11月1日に合格通知を得た。アメリカでSEが誕生したことを象徴するかのように、A4の長い同意書が届き、特に読んでいて問題がなかったので、サインした。

教科書があるということ

そして、2021年2月に入り、テキストが届いた。

まず驚いたのは、教科書の充実度だ。

ロルフィングのトレーニングは、教科書が全くない。ロルフィングのインストラクターが、一人一人独自に作ったテキストが配られ、パワーポイントのスライドやポストイットを使って授業が進められていく。しかも、インストラクターによって得意・不得意があるので、インストラクターのバックグラウンドにあった形の教育を受ける。

面白かったのは、学校教育とまるで違い、インストラクターと生徒が平等だったことだ。同じ目線で、かつ、理解が深まるまで何度も質問してもOKの雰囲気があった。インストラクターが生徒の目線まで降りてきて、先生・生徒の関係を作らないところがいい。本当に、学びが深まった。

なお、ロルフィングのトレーニングの詳しい内容については「ヨーロッパのロルファーとしての認定までの歩みについて〜ヨーロッパ・ロルフィング協会・認定トレーニング」に書いた。

対照的に、SEは、教科書の文言まできっちりと書かれており、誰もが理解できるようにわかりやすくまとめられている。ロルフィングと似ているのは、インストラクターと生徒が平等で同じ目線、なんでもOKという雰囲気があることだった。

これは、本当に驚きだった。

上下関係を作らない場

日本の高校・大学の教育を受け、国内の企業や海外の企業に勤めたこともあるが、日本の組織や教育機関のほとんどが上下関係を作る傾向が強い。教育機関の例を挙げると、先生は上、生徒は下に見られ、質問しづらい印象を受けていたので、できるだけボディワークのトレーニングは海外で受けていた。

今回、コロナ禍でやむなく国内で受講することになったが、先生と生徒が上下関係をつくらず、同じ志を持って進めていくという考え方を持ったオーガナイザーだったので、海外で受けている感覚そのままで受けることができた。すごくびっくりした。

次に、SEのトレーニング参加者のバックグラウンドが、ロルフィングのトレーニング参加者と違うことだ。

ロルフィングは、理学療法士、スポーツトレーナー、マッサージ師、ヨガ・ピラティスのインストラクターなど、身体指導者が多いのに対し、SEは、心理系(臨床心理士、精神科医)の仕事に携わっている方が多い。

今年(2021年)は、違ったバックグラウンドの人たちと何か新しいことを学びたいと考えていた。この点で、今回受講するトレーニングは期待に応えてくれている。

共通点もある。ロルフィングもSEも心理的に安全な場が整っており、失敗が許される環境にあるところがよく、今まで自分が試していないことを試せていい。

初級前半が始まった

さて、先週の金曜日(2月26日)からSEトレーニングの初級前半が始まった。

SEのメインの先生は、米国在住のAriel Girretto先生。オーガナイザーは、国際メンタルフィットネス研究所の花丘ちぐささんだ。コロナ禍の影響のため、4日間のZOOMでの開催となった。

アシスタントを含め、90人近い人数をちぐささんがファシリテーションする力量に脱帽した。本当に、安心・安全にトレーニングを受けることができた。時々、ZOOMの機能の一つであるブレイクアウトを使って小部屋へ入り、学んだスキルを実践していったが、違和感なく練習ができた。

ロルフィングのトレーニングのときは、脱線脱線で色々と話が飛びがちな上に、身体のセッションも受けるので、トレーニングが終わった日はクタクタになる。SEのトレーニングのほうも、終日(午前9時〜午後5時半)、心理的なトラウマの内容を扱うので、同じようにクタクタになるが、一つの考え方をさまざまな角度から深めていけるので理解が深まる。

なんといっても、「自律神経系ってこんな見方があるのか?」と思った。科学的な言葉での説明は何度も受けていて知識としては知っていたが、身体の症状から説明していく視点は新しく、衝撃的だった。

Lael Keen先生の言葉

実は、2017年にSEのインストラクターであり、ロルフィングのインストラクターでもあるブラジル在住のLael Keen先生から、ロルフィング・ワークショップの中でSEの話を伺う機会に恵まれた。

東京でワークショップを受けたが、当時、Laelは、ロルフィングのセッションを提供する際、10人クライアントがいたら5人はSEのテクニックを使うと言っていた(「トラウマ Workshop – Lael Keen〜トラウマの考えをどのようにセッションに取り入れるのか?」参照)

今回のトレーニングで学んだことを、今のロルフィングのセッションに入れることで、より身体の整い具合が良くなる予感があり、楽しみだ。

まとめ

初級前半は残り2日間。今月末に再開する予定だ。果たして、どのような学びになり、学びをどう深められるのか。楽しみながらマイペースで学習を進めていければと考えている。

もしご興味がありましたら、SE Japanのトレーニングページをぜひチェックください!

2026年9月の注記

この記事で驚いているのは、教科書があることだった。SEには文言まで書き込まれたテキストがあり、ロルフィングにはそれがない。インストラクターが自分で作った資料が配られ、その人の得意な領域に沿って進んでいく。

いま読み返すと、ロルフィングの側にも書かれたものはあった、と付け加えたくなる。

2015年のPhase IIIで、Pedro Pradoによる「Psychobiological Goals」という資料が配られている。10回シリーズの各回について、心理と関係の側で何が起きうるかを記したものだ。

面白いのは、この資料が、施術の手順ではなく、施術者の準備について書かれている点である。

第2回の項は、セッションを始める前に、初回で築いた関係を振り返るところから始まる。このクライアントはどんな資源を持っているか。学び方の基本的な型は何か。何を言えば伝わり、何を言えば伝わらなかったか。そして初回の面談で、この人は自分のどの層について語っていたか、と問う。身体や構造の層か、機能や心理や感情の層か、文化の層か、実存や精神の層か。その人はそれを、身体の現実とどう橋渡ししているか。

セッション中の注意は二つだけ書かれている。足に触れているあいだ、クライアントと関わり続けること。そして、情報を与えすぎないこと。

第6回の項には、この回の範囲は広いので、全体のパターンと細部の両方を見る力が要る、とある。細かいところに入り込んで流れを見失いやすいので、時間を意識することが欠かせない、と。クライアントはこの回の大半をうつ伏せで過ごすから、適切なところで能動的に動いてもらうようにすること、とも書かれている。

読み返すまで、私はこれを資料として覚えていなかった。ただ、書かれていることは、いま自分がセッションでやっていることに近い。教わったというより、時間をかけて同じ場所にたどり着いた、という感覚がある。

教科書の有無は、教える側の設計の違いだ。SEは、誰が教えても同じものが届くように作られている。ロルフィングは、誰が教えるかによって届くものが変わることを前提にしている。

どちらが良いという話ではない。ただ、書かれたものがないと思っていた側にも、書かれたものはあった。受け取れる状態になるまで、それが見えていなかっただけである。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka