なぜ「歩く」は人間の基本なのか──二足歩行・重心移動・重力の科学

姿勢・動き科学シリーズ──重力と身体の関係を科学する|第4回

はじめに

第1回では「座る」の人類学を探った。第2回では長時間座ることの代謝への影響を見た。第3回では「立つ」の科学とTonic Functionの関係を解き明かした。

第4回では「歩く」に入る。座る・立つときりがついたところで、なぜ人間は歩くのか。歩くとはどういう動作で、なぜ人間はこれほどまでに歩くことが得意なのか——進化・解剖学・ロルフィングの視点から考える。

第1回:しゃがむと座るは何が違うのか
第2回:なぜ長時間座ると身体に悪いのか
→ 第3回:なぜ「立つ」は疲れないのか

人間は「歩くために生まれた」生き物

チーターは100m先の獲物を瞬時に追い詰める。チンパンジーは木の上を素早く移動する。では人間の移動の特徴は何か。

答えは「長距離を効率よく歩けること」だ。

人間は短距離走では動物に遠く及ばない。しかし長距離を二足で歩く効率は、他の動物と比較にならないほど高い。ダニエル・リーバーマン(Daniel Lieberman)は著書「運動の神話」の中で、二足歩行は四足歩行より少ないエネルギーで身体を動かせることを示した。

この高効率な歩行が、人類の生存戦略の核心だった。アフリカのサバンナで獲物を追いかける「持久狩猟」——獲物が疲れて倒れるまで数時間・数十km歩き続ける——は、この二足歩行の効率性があってこそ成立した。そしてその歩く力が、人類をアフリカから世界中へと広げていった。

直立二足歩行〜エネルギー効率が良いが、転倒のリスクがある

「歩く」と「走る」は全く別の動作

歩くことと走ることは、使う筋肉も力学的な仕組みも根本的に異なる。

歩くときは、常に片方の足が地面に接地している。身体の重心は「逆さまの振り子」のように動く——支持脚を軸に、身体が弧を描いて前に進む。一歩踏み出すたびに身体は山なりの軌跡を描く。このとき重力のエネルギーを巧みに使い、次の一歩の推進力に変換している。

走るときは、両足が同時に地面を離れる「空中浮遊」の瞬間がある。足はホッピング(跳ねるバネのような棒)のように動き、アキレス腱が伸びてエネルギーを蓄え、反動で身体を前に押し出す。

歩く走る
モデル逆さまの振り子バネ・マスモデル
接地片足常に接地空中浮遊あり
エネルギー重力を前進力に変換アキレス腱がバネとして機能

つまり「歩く」は「遅い走り」ではない。全く異なる力学的メカニズムで動く、独立した運動様式だ。

なぜ人間は、長い時間「走る」ことができるのか?

歩行を支える身体の仕組み

人間が効率よく歩けるのは、身体の構造が歩行に最適化されているからだ。

脊椎のS字カーブが歩行中の衝撃を吸収する。足が地面に着くたびに生じる衝撃は、土踏まず・膝・股関節・脊椎の順に分散され、頭への伝達を最小化する。

骨盤の回旋が歩幅を生む。一歩踏み出すたびに骨盤が左右に約4〜5度回旋し、これが歩幅を広げ、エネルギー効率を高める。骨盤が固まっていると歩幅が小さくなり、全身への連動も失われる。

腕の振りが下半身のバランスを取る。右足が前に出るとき、左腕が前に出る——この対側の動きが体幹の回旋を起こし、エネルギーを次の一歩に引き継ぐ。

これらすべてが連動したとき、歩くことは「脳が命令する動作」ではなく「身体が自動的に生成する動作」になる——これが第5回で扱ったTonic Function(深層筋の自動応答)が歩行で発揮される場面だ。

現代人の歩き方の問題

ロルフィングのセッションで歩き方を観察すると、現代人に共通するパターンが見える。

歩幅が小さく、骨盤が動いていない。長時間の座位で腸腰筋が短縮し、股関節の可動域が狭まっている。骨盤が回旋できないため、推進力が失われ、膝や腰への負担が増す。

頭が前に出ている。スマートフォン・デスクワーク・前傾みの姿勢習慣が、頭を前方に引き出す。頭が前に5cm出るごとに、首への負担は約2倍になると言われる。頭の位置がずれると、歩行中の衝撃が脊椎全体に正しく分散されなくなる。

かかとから強く着地している。現代の厚底の靴がかかとへの過剰な依存を促す。かかとから強く踏み込むと、地面反力が膝・腰に集中する。裸足や薄底の靴で歩くと、自然と前足部や中足部での着地に変わり、足裏全体でエネルギーを分散させやすくなる。

歩くことが脳にもたらす効果

歩くことは身体だけでなく脳にも直接影響する。

ダニエル・リーバーマンの研究によると、歩くことは人間にとって最も自然な「脳の活性化」だ。歩行中、足裏からの固有受容感覚(プロプリオセプション)・前庭系・視覚の3つが統合され、脳は常に空間の中での身体位置を更新し続ける。この統合プロセスが認知機能・集中力・気分に良い影響を与える。

第5回で扱ったTonic Functionの視点から言えば、歩くことはCoordination(協調)・Perception(知覚)・Meaning(意味づけ)のすべてを動員する。歩くことが「思考を整理する」「気分を変える」と感じるのは、身体と脳の統合が深まっているからだ。

ロルフィングと「歩く」

ロルフィングの10回セッションは、最終的に「歩く」姿勢の統合を目指している。8〜10回目のセッションは「統合セッション」と呼ばれ、それまで整えてきた座る・立つの土台の上で、歩行という動的な動作の中で全身が協調するよう誘導する。

セッションが進むにつれ、クライアントの歩き方に変化が現れる。「歩くのが楽になった」「足が地面に吸い付く感じがする」「自然と歩幅が広がった」「肩が揺れるようになった」——これらはTonic Functionが歩行の中で自動的に働き始めたサインだ。

柿崎亜耶子様はロルフィングの10回を終えてこう書いた。

「気持ちのいい散歩(歩行)がしたい方」にロルフィングを勧めたいと思う

「気持ちのいい歩行」とは、意識して正しく歩こうとするのではなく、身体が自然に動く歩き方のことだ。それが、このシリーズ全体を貫くテーマ——「力を抜いても自然に動ける身体」——の到達点でもある。

柿崎亜耶子様の10回体験記


姿勢・動き科学シリーズ──重力と身体の関係を科学する(全6回)

第1回:しゃがむと座るは何が違うのか──椅子文化が身体に与えた影響
→ 第1回を読む

第2回:なぜ長時間座ると身体に悪いのか──内臓脂肪・慢性炎症・ストレスの科学
→ 第2回を読む

第3回:なぜ「立つ」は疲れないのか──重力と抗重力筋の仕組み
→ 第3回を読む

第4回:なぜ「歩く」は人間の基本なのか──二足歩行・重心移動・重力の科学(この記事)

第5回:なぜ「姿勢の良さ」は筋力ではないのか──Tonic Functionと重力の関係
→ 第5回を読む

第6回:なぜ「楽な姿勢」は存在するのか──重力・筋膜・ロルフィングの視点から
→ 第6回を読む


姿勢と動きを科学的に理解することは、「認識のOS」を更新する入口の一つだ。思考・感情・身体の統合というテーマをより深く扱っているのが、Mind and Bodywork Labの「認識のOS」シリーズだ。

Mind and Bodywork Lab:このサイトの歩き方


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大塚英文(Ph.D.)|認定アドバンスト・ロルファーTM/ロルフ・ムーブメント・プラクティショナー
東京大学大学院医学研究科博士課程修了。製薬業界を経て、2015年より渋谷でロルフィング®セッションを提供。「思考・感情・身体の統合」をテーマに活動。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka