ミュンヘンでのTrainingについて(2)〜英語が母語でない仲間と一緒に学ぶことで気づくこと

ロルフィングのトレーニングを終えてから、1か月が過ぎようとしている。本コラムで触れたように、私は本場のコロラド州のボルダーで資格を取得したのではなく、ドイツのミュンヘンでトレーニングを修めた(「なぜミュンヘンで学ぶことにしたのか:資格取得までの手続きと費用」参照)。トレーニングに至るまでの経緯については同じ記事に書いたので割愛するが、ドイツで受講するという選択は間違いなかったと思う。

2015-01-31 13.33.45

私は幼少の頃(小学校1年生から中学校2年生)にロサンゼルスに滞在し、現地校に通うという幸運に恵まれた。また帰国し、社会人になってからも英語を使う機会が多かったため、私自身、英語は母語に近く、語学に関しては問題がなかったといえる。

2014-10-31 13.16.58

ドイツでのトレーニングの場合には、アメリカと違って様々な国の人たちと一緒になる。例えば、参加した人のバックグラウンドを覗くと、母語が英語だったのは2か国(アメリカ、シンガポール)で、それ以外は9か国(ベルギー、フランス、スイス、ドイツ、ウクライナ、メキシコ、日本、スウェーデン、デンマーク)だった。

DSC_0783 のコピー

また、先生も、母語が英語だったのは1か国(英国。イタリア出身)で、それ以外は3か国(イタリア、スペイン、ドイツ)である。

そのため、トレーニングに参加している大半にとって英語は第二言語となっている。私はアメリカに住んだことがあるのでわかるが、アメリカはEgocentric(自己中心的)と呼ばれることもある。世界のすべての人が英語ができるという前提で物事を進めるところがあるからだ。そのため英語を話すスピードが非常に速く、アメリカ人は発言することが大事という教育を受けるので、外国人からすると発言する間が与えられないと感じるのだ。

それに対して、ドイツでのトレーニングで良かったことは、英語が第二言語であるというバックグラウンドが現れているように、英語で話すスピードがゆっくりで丁寧なことだ。

ドイツに住んで初めてわかったことだが、歴史の長いヨーロッパは、言語や民族の違いからか、各国の文化を尊重し、その多様性を理解する努力をしようとする。それは例えば、ドイツ国内の教育にも表れている。そのメンタリティについては「世界一周から学ぶ(1)〜ドイツの教育と移民」にまとめた。

具体的にいうと、英語がゆっくりなだけではなく、クラスに必ずスペースを設けて、文化の違う人が話せるような環境づくりも考慮する。

Phase IIIのJörg Ahrend-Löns先生は、

日本人の生徒さんを教えるのは、あまり経験がないので、もし何かあったら必ず言って欲しい

という配慮をしてくれ、最後までしっかりとフォローしてくれたと思う。

トレーニングでは個性を伸ばす教育を重視しているが、その更に詳しい内容については「個性と教育」をご覧いただきたい。

DSC_0803 のコピー

また、話せる環境があったことも幸いだった。一つ例を挙げると、学ぶのに苦慮していたスイス人の同僚は、何度もJörg先生に、これは納得できない、何とかして欲しい、という質問を投げかけた。Jörg先生はそれに真摯に向き合い、問題を一つ一つ解決していった。そして、それが授業の理解の一助になったというのは言うまでもない。

印象的だったのは、Phase Iはコロラド、Phase IIからドイツのトレーニングに参加したスイス人の同僚が言った言葉だ。コロラドで参加したトレーニングでは話す英語のスピードが非常に速く、質問する間も与えられなかったという。スイス人は、日本人には想像できないかもしれないが、ほとんどすべての人が英語を使いこなすことができる。それにもかかわらずこういったことを聞くということは、言語の問題ではないように感じる。

iStock_000006361755Small

トレーニングについての模様は本コラムで書いたので割愛するが(例えば「最終面談とロルファーとしての認定」参照)、英語がゆっくりとはいっても、100パーセント理解するとなると相当大変だった。トレーニングは非常に面白かったのだが、学ぶ内容の密度が濃かったため、1日が終わった後、私のみならず生徒のほとんどがぐったりという感じだった。もしも英語のスピードが速く、聞きたいことが聞けない状況だったら、理解も半減していただろう。

本場のコロラドでロルフィングを学ぶという選択も大事だが、あまり知られていないドイツ・ミュンヘンで受けるという選択もぜひ知っていただきたい。

2026年8月の注記

この記事で最も重いのは、スイス人の同僚の言葉である。Phase I をコロラドで受け、Phase II からミュンヘンに移った人が、コロラドでは英語が速く、質問する間も与えられなかったと言った。スイスの人であれば、ほとんどが英語を不自由なく使う。その人が間がなかったと言う。だから言語の問題ではない、とこの記事は結んでいる。

十一年たって、この結論のほうが正しかったと思う。同じ手法を教えている場でありながら、間の取り方が違っていた。そして違っていたのは、言葉の速さそのものではなく、誰が話す時間を持つかの設計だった。

人の往来がなかったわけではない。Phase IV で教わった Pierpaola Volpones が80年代にミュンヘンで受けた課程の指導者は、米国人のロルファーだった。ヨーロッパの教室に米国から人が来て教えていた時期がある。逆向きの往来もあり、Rolf Movement を教える France Hatt-Arnold はボルダーでロルフィングに出会い、ジュネーブで開業している。人は行き来していた。それでも、間の取り方のほうは渡らなかったことになる。

理論が渡らなかった例は、このシリーズでいくつも見てきた。ここで渡らなかったのは理論ではない。教室で誰にどれだけの時間を渡すか、という、書き留められることのない部分だった。書かれていないものは、人が動いても一緒には動かない。

そして、この記事が書いている配慮の中身は、後に自分が使うものになった。文化の違う人が話せるようにスペースを設けること。Jörg 先生が、日本人の生徒を教えるのは経験が少ないので何かあれば言ってほしいと最初に伝えたこと。相手がどこから来て、どの言葉で考えているかを踏まえて場を作るという操作は、そのままクライアントに向けてすることと同じである。学ぶ側で受け取ったものが、渡す側で使うものになった。

英語が母語に近い側にいながら、母語でない人たちの環境のほうが良かったと書いている。困らない側にいた人間がそう書いているところに、この記事の値打ちがあると思う。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka