ロルフィングの歴史を見ると、代替療法の隆盛と衰亡の歴史にかぶってくる。
Ida Rolfの書いた『Rolfing and Physical Reality』によると、Ida Rolf(1896年〜1979年)は、1896年、NYで生まれ、ブロンクスで育った。

1916年にBarnard Collegeを卒業。当時第一次世界大戦(1914年〜1918年)の頃で、若い男性が兵役に取られていたため、女性初のロックフェラー研究所(現ロックフェラー大学)の研究員として雇われる。

実際に、ロルフィングのトレーニングの最初に解剖学や生理学が入っているということは、西洋医学の考え方をリスペクトしているということを感じることができる(「Trainingへ向けての準備」参照)。
最終的に、College of Physicians and Surgeons of Columbia Univ. でPhD.を取得。専門は西洋医学の基礎となる生化学だった。私が博士号(PhD.)を取得した際の専門は免疫学で、手法としては分子生物学を使っていた。奇しくも生化学と地続きのところにいたことになる。ロックフェラー研究所で研究員として働き続け、脂質に関する論文を多数発表した。最終的にはAssociate(助手)のポジションを得ることになる。

研究員の時代に西洋医学に留まらず、様々な分野の知識を吸収。数学、物理学、ホメオパシー、オステオパシーなどを学ぶ機会があり、スイス、ドイツ、フランスを訪れたそうだ。
ホメオパシーは、
「病気とは症状そのものであり、健康な人間に対して同じ症状を引き起こす薬をできるだけ少量投与することによって病気を治療できる」
と考える。症状の要因が合併して起きると考え、最終的に過去の病歴を追っていくことで究極の症状の要因を探っていく。
当時の米国では、ホメオパシーが代替療法の一つとして広く行き渡っていた。その頃を生きたIda RolfはスイスのジュネーブでMateria Medicaというホメオパシーの学術誌を読み漁ったそうだ。

Ida Rolfは、オステオパシーから
「身体の構造が身体の働きを決める」
ということ
ホメオパシーにより、
「症状の根元に迫っていくこと」
ということをそれぞれ学んでいく。ロルフィングの5原則でいえばWholismに相当する。ただしこの5原則は、Ida Rolfが立てたものではなく、1989年の分裂の後にJeff MaitlandとJan Sultanを中心に整備されたものである(「5原則」参照)。
筋膜に注目するというロルフィングの特徴のヒントを与えたのが、Alfred Korzybskiの一般意味論(General Semantics)からだ。

Korzybskiは
「Map is not the territory(地図はその場所を示しているわけではない)」
と述べているが、症状(場所)があったとしても身体全体(地図)からみて、症状の場所ではなく全体からみるべきであり、その際筋膜が鍵となることに注目した。
このことから、
「症状の治療を行うのではなく、全体からみてバランスを調えていく」
という発想に行き着く。
ヨガについては本コラムで以前触れたが(「ヨガとの関係〜ロルフィングはヨガのどこを取り入れているか」参照)、Ida Rolfによると、
「ヨガのアーサナ(ポーズ)の主要な目的は、骨と骨との間のスペースを広げること(このスペースは関節)。すなわち、ヨガというのは、身体が伸びる必要があり、身体の両側が引っ張りあうか、回転するかによって実現する」

という。そこで、筋肉というのは2つの方向性を与えることで初めてその働きが最大限に生かされる。筋肉を輪ゴムに例えて言うならば、左右の2方向に力を与えると、筋肉の間のスペースが広がるといえばわかりやすいかもしれない。

5原則でいえば2方向性(Palintonicity)に相当する。
Ida Rolfが家庭の事情で大学を1920年代に退職し、ロルフィングと呼ばれるボディワークを1940年頃に開始。1950年代には教え始める。当初は、オステオパシーやカイロプラクティック向けに1週間の単位で研修を行っていた。やがて、テクニックを重視するオステオパシーやカイロプラクティックの考えに賛同できず、テクニックよりも哲学を重視する考えを広めるために、自分で10回シリーズの設計を行い、エサレン研究所やボルダーで教えるようになっていく(エサレンについては「心理学とボディワーク」、「心理学の大衆化と雰囲気」参照)。
ごく簡単に、ロルフィングの歴史を代替医療の歴史から考えてみた。また、このテーマについては今後とも考えていきたい。
2026年9月の注記
この回では、Ida Rolfがオステオパシーとホメオパシーから学んだことを、ロルフィングの5原則のWholismとPalintonicityに結びつけて書いた。
5原則は、Ida Rolfが立てたものではなかった。1989年にRolf Instituteが二つに分かれた後、Jeff MaitlandとJan Sultanを中心に整備されたものである。彼女が没したのは1979年で、その10年後にあたる。この回を書いた時点では、そのことを知らずに書いていた。
分かったのは、2015年2月のPhase IIIで5原則を教わってから10年後、2025年のアドバンスト・トレーニングでのことだった。基礎トレーニングでは、5原則は戻ってくる場所として教わる。迷ったらここへ戻れ、という形である。アドバンストでは、そこから始める場所になっていた。同じものが、後ろにあったものから前にあるものへ移っていた。
分裂の後に整備された枠組みが、分裂と直接の関係を持たないヨーロッパの教室で、疑われることのない基礎として教えられていた。そのことに気づいたのは、これを書いた11年後である。
Ida Rolfが学んだことと5原則が無関係だという意味ではない。ただ、**当時の学びが後の枠組みで名前を得た、という順序で読む必要がある。**この回は、その順序を逆に書いていた。
もう一つ、この回はAlfred Korzybskiの一般意味論を引いている。地図はその場所を示しているわけではない。症状のある場所ではなく身体全体から見るべきだ、という文脈だった。
同じ比喩を、10年後に別の対象について使うことになる。
2025年のアドバンストで受け取ったTaxonomy(5つの分類)について、分類は設計図ではなく地図であると整理した。事前に5つの領域を埋めていくものではなく、後から自分の受けてきたものを並べて、薄いところを見るための道具である。継続トレーニングをどう選ぶかを書いたときの、4つ目の基準になっている。
2015年は身体の見方について、2025年は自分の学び方について。対象は違うが、地図と場所を分けるという操作は同じである。
最後に、Ida Rolfの専門との近さを「奇しくも縁を感じる」と一行だけ書いている。
その一行は、11年後に固定ページ1本になった。「アイダ・ロルフという科学者──ロックフェラー研究所の生化学者は、なぜ身体に手を伸ばしたのか」。要素へ分解していく訓練を受けた人が、なぜ全体の構造へ向かったのかを扱ったページである。
一行で済ませたことに、後から書くだけの中身があった。
