Neural Fascial Mobilization – Jonathan Martine(6)〜トレーニング風景

Jonathan Martine(以下Jon)のワークショップも、パート1が最終日を迎えた。

本ワークショップについては、本コラムにて5回書いた。

ワークショップはパート1とパート2に分かれており、いずれも6日間。本日をもってパート1が終わることになる。

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対象は上半身と下半身の神経系。今回は内臓の扱い方についても学ぶ機会があり、パート1のみでも学ぶことが多く、これからの10回セッションで取り入れることができそうな内容だった。

パート1の最後は、骨盤(膀胱周辺)から腹筋、肋骨、鎖骨、首周辺(僧帽筋、胸鎖乳突筋、舌骨)と、正中線を中心にワークを行った。正中線にワークをしたにもかかわらず、骨盤や足にも好影響を及ぼし、身体全体が楽になることを感じることができた。

ミュンヘンのトレーニングでロルファーとして認定を受けてから、1年6か月。ロルフィングのワークショップを日本で受けるのも、米国の先生から受けるのも、いずれも初めてになる。

Dock at Dusk

ヨーロッパのトレーニング(特にPhase II)では、一人一人が平等に話すことができるように、先生が細心の注意を払っていた。そして練習中でも、自分から声をかけなくても回ってきていただけるので、自分の学びに集中すればよかった。

日本でのトレーニングは通訳を介したものだったこともあり、ワークショップの内容が通常よりもペースが遅く、それが別の意味で自分に良かったと思っている。質問と練習に長めの時間を取っていたこともいい。

Jonも、どんな質問にもしっかりと時間をかけて答えてくださるのがよかった。練習中には部屋を見回り、質問した場合には、笑顔で分かりやすく、一つ一つの筋肉や神経の場所の探し方を説明するので、その場で分からなかったことが明確になっていった。

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解剖学の基礎から学ぶことができたので、今どこを意識しているのかという目的意識を持ってクラスに臨むことができた。パワーポイントで示された、さまざまな解剖学の教科書(ドイツ語、フランス語、英語などからの引用もあった)の図は貴重だった。通訳があり、あえて日本語の用語を調べなくてもよかった点も素晴らしかった。

考えてみれば、ミュンヘンで学んだときは、ビデオカメラでPhase IIとPhase IIIの内容を録画していた。Phase IIの内容があまりにも多かったので、手技を身につけるのに必死で、頭がパンクしそうになっていた。

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1年が過ぎてみて、経験値が上がったのだと思う。ロルフィングの基礎トレーニングで学ぶ内容に加えて、方法がいくつかあることを学んだ、という印象だ。

本コラムでも触れたが、お客さんにも学んだ方法を取り入れており、今後10回がどのように進むのか、本当に楽しみだ。

明日から、パート2。合計で22人の参加者の予定だ(パート1は15人)。新しい人にも出会うので、それを含め、残りの6日間を楽しみたい。

2026年8月の注記

この記事には、録画についての記述が二つ入っている。ミュンヘンで学んだときは、ビデオカメラでPhase IIとPhase IIIの内容を録画していた。内容が多すぎて手技を身につけるのに必死で、頭がパンクしそうになっていた、と書いてある。そして今回のワークショップについては、一人が全てを収録してくれるので、よりクラスに集中できる、と別の回に書いた。

同じ録画でも、役割が入れ替わっている。ミュンヘンでは、その場で受け取りきれないものを後から補うための記録だった。ここでは、記録する係が別にいることで、その場に集中できるという話になっている。

そして、実際には見直さなかった。

これ以降のワークショップでも、撮ることはあっても、見直すことはよほどのことがない限りなくなった。2025年のアドバンスト・トレーニングの動画も、一度も見直していない。24日間の内容である。

当時は、余裕ができたからだと思っていたのだと思う。いまは違う理由が見えている。

手技は、記録から復元できる。手の位置も、圧の方向も、順序も、映像に残る。復元できないのは、その場にいたときの自分の状態のほうである。何をどう感じ、どこに注意を置き、何を待っていたか。それは映らない。

2025年のトレーニングで最も学んだのは、ボディワーカーとしての在り方だった。Neutralの3要件、IntentionとIntentionalityの区別、Kind Indifference、Right Action。どれも言葉としては書き留められるが、言葉を読み返して身につくものではない。その場で立ち会うことでしか渡らない種類のものだった。

見直さなくなったのは、記録に残らないもののほうへ、受け取る比重が移ったからだと思う。

この記事にはもう一つ、教わり方についての比較が書かれている。ヨーロッパのトレーニングでは、一人一人が平等に話せるように先生が細心の注意を払い、練習中もこちらから声をかけなくても回ってきた。日本では通訳が入るためペースが遅く、質問と練習に長い時間が取られていた。どちらも良かった、という書き方になっている。

ペースが遅いことを利点として書いているのは、この時期の自分の位置を示している。ミュンヘンでは速さについていくことが課題だった。ここでは、遅いことが理解の余地になっている。1年が過ぎて経験値が上がった、と本人が書いているとおりである。

そして、その1年半のあいだに、録画を見直す必要がなくなっていた。学べる量が増えたのではなく、その場で受け取れるようになったということなのだと思う。

この記事を書いた人

Hidefumi Otsuka