はじめに
Rolf Movementは、ロルフィングの手技とは別に置かれた、動きの側から身体を扱う課程である。ロルファーの認定を取ってから、さらに30日間かけて取る認定で、私は2017年から2019年にかけてヨーロッパで受けた。
この課程がどこから来たのかを、通して書いておきたいと思った。
きっかけは2018年にさかのぼる。トレーニングの途中で、ロルファー仲間から今まで学んだことをシェアしてほしいと言われ、2月と3月の2回、セミナーを開いた。そのときにも歴史を話したのだが、手元の資料と伝聞をつなぎ合わせたもので、確かめきれていない部分が多かった。
その後、一次資料をいくつか手に入れた。Rolf Movementの創成期を担った2人へのインタビュー記事、その1人が1982年に書いた文章、Hubert Godardへの2つのインタビュー、各協会の公開資料。読んでみると、自分が話していた年や人数がいくつも違っていた。
この記事は、それらを突き合わせて書き直したものである。
Rolf Movementの認定をどう取るのかという制度の側は別の記事に書いた(「Rolf Movement Practitionerの認定をどう取るか〜30日間の要件と、受ける場所の選び方」参照)。私自身が受けたときの記録も別にある(「ヨーロッパのRolf Movement Practitionerまでの歩みについて〜認定までの道のり」参照)。この記事は歴史だけを扱う。
一つ断っておきたい。この分野の歴史は、語り手によって食い違う。年も、人数も、誰が何をしたかも。後で触れるが、一次資料を書いたKevin Frank自身が、これは誰が何をしたかについての決定版ではない、と断っている。この記事も同じ性格のものとして読んでいただきたい。出所は本文中と末尾に明記した。
Ida Rolfの生きた時代
Ida Rolfは1896年、ニューヨークに生まれた。ロックフェラー研究所に籍を置いた生化学者で、コロンビア大学で博士号を取得している。研究者としての経歴と、そこから身体へ向かった経緯は別に書いた(「アイダ・ロルフという科学者──ロックフェラー研究所の生化学者は、なぜ身体に手を伸ばしたのか」参照)。
ここでは、彼女が生きた時代のほうを見ておきたい。この課程の成り立ちに効いてくるのは、その部分だからである。
全体を見る医療が身近にあった
当時の米国は、19世紀から20世紀初頭にかけて民間医療が主流だった。医師には力も富もなく、地位も低かった。医学系大学院で医学教育を行うということもなく、自分で名乗れば医師になれた時代である。治療を受けるかどうかは基本的に患者が選べた(「金沢講演(2)〜代替療法と対処療法」参照)。
代替療法の一つとして広く行き渡っていたのがホメオパシーである。19世紀のうちに米国に学校が作られ、20世紀の初めには医科大学も病院も薬局も相当な数があった。
そして1916年、Idaは馬に蹴られて瀕死の状態になる。一命を取り留めたのは、オステオパシーの治療によってだった。
ホメオパシーもオステオパシーも、症状そのものを追うのではなく、その人の全体の状態を見る立場に立っている。当時の米国では、それが例外ではなかった。要素へ分解していく訓練を受けた人が、後に全体の構造へ目を向けることになるが、その転回の前に、全体を見る医療が身近にあったことになる。
彼女の見方がここから来たと断定するつもりはない。ただ、そういう環境の中にいた人だった。
なお、ロルフィングと科学的な評価の関係については、別に一本書いている(「ロルフィングは疑似科学か?── 身体の【科学】から読み解くロルフィング」参照)。
ヨガに触れた時期
1920年、Idaはニューヨーク在住のPierre Bernardというタントラ・ヨガの教師からハタ・ヨガを学んでいる。
この時期のヨガがどういう位置にあったかを知ると、驚きがある。近代ヨガに大きな影響を与えたTirumalai Krishnamacharya(1888-1989)がヒマラヤで修行を積んでいたのが1916年から1923年頃(「近代ヨガの歴史(1)〜クリシュナマチャリア」参照)。その頃のインドで、ヨガを実践する人は社会的な地位が低く、大道芸人に近い存在だった。
そういう時代に、ニューヨークでハタ・ヨガを学んでいる。
心と身体をつないだ人と、その最期
1920年代の後半、Idaはヨーロッパへ渡っている。当時は米国が科学大国になる前で、ヨーロッパ諸国が全盛の時代だった。
19世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパでは現代思想や心理学が席巻していた。
Idaは、Wilhelm Reich(1897-1957)の筋肉の鎧という考えに触れていた可能性がある。精神分析家のReichは、クライアントが悲しみ、怒り、恐怖を感じなくて済むように筋肉を緊張させて閉じ込めることに気づいた。そして、その緊張を取るために身体へ直接働きかけ、成果を上げた(「ゲシュタルト療法と「いま・ここ」〜NLPを理解するために」参照)。
Reichが米国に滞在していた1939年から1957年のあいだに、Idaはその考えを吸収し、身体と心の関係を自分の仕事に取り入れるようになっていく。
一方でReichは、第二次大戦後、自分が開発した装置をめぐる差止命令に従わなかったとして法廷侮辱に問われ、収監されて獄中で亡くなった。その影響からか、Idaは目に見えないものやスピリチュアルなものについての言動に警戒心を抱き、科学的なこと以外を語ることが少なかったという。
この点は覚えておいていただきたい。心と身体の関係を扱う道は開かれたが、それをどう語るかについては、創始者自身が口を閉ざす側に回った。後の世代がこの主題で苦労することになる経緯は、後の章で書く。
1940年頃からIdaはボディワークを始める。1950年頃までにはカイロプラクティックやオステオパシーの治療家に教えるようになった。当時はStructural Dynamicsと呼ばれていた。
何が足りなかったのか
ここから先が、Rolf Movementの前史にあたる。
Rolf Movement InstructorのKevin Frankが、この仕事の始まりについて一つの読みを示している。
Ida Rolfは人体を見る新しい方法を統合した。その方法は機能の経済性に持続的な変化をもたらし、とりわけ、空間の中で立ち動く仕方に現れる変化を引き起こした。心理や感情の変化がそれに伴った。
ところが彼女は、自分が知っていることを教えるのに苦労した。それを表す言語が、それ以前に存在しなかったからである。訓練を受けたダンサーを含めても、何が正常に見えるかを認識したり定義したりできる人はほとんどいなかった。まして、起きた協調の変化を言葉で伝えられる人はいなかった。新しい言語と、正常についての新しい指標が必要だった。これはいまも途上にある。
さらに、Ida Rolfは自分の求めているものを自分の身体で示すことができなかった。他の人がそれをする必要があった。
Rolf Movementの仕事は、Ida Rolfの企図に欠けていたこの次元への答えとして始まったのだろう、とKevin Frankは以下のように書いている。
At the same time, she had a hard time teaching what she knew because there was no pre-existing language for it. There were few people, including trained dancers, who could recognize or define what ‘normal’ looks like, let alone tell you the particular change of coordination that had taken place. A new language was needed, as well as a new set of hallmarks for normal. This is still a work in progress. IPR (Ida P. Rolf) was additionally hampered because she was not able to demonstrate what she was looking for with her own body. She needed others to do that. After speaking with Heather and Gael, I got the impression that Rolf Movement work started as an answer to these missing dimensions within Dr. Rolf’s project
動きは後から足されたものではない
創成期を担ったHeather Wingが1982年に書いた文章がある。
Ida Rolfは1940年代初めからロルフィングを発展させはじめたが、当初は操作と同じくらい動きを扱っていた。ロルフィングが形になっていく過程でも、これは教育的なプロセスなのだと言い続けた。施術者を正式に養成しはじめたとき、各セッションの目標をまず動きの言葉で定義している。そして、ロルフィングの後に変化を保つためのバランス運動の一式を作り、卒業する施術者全員に教えた。
動きは、後から付け足されたものではなかった。足りなかったのは、それを伝える言葉のほうである。
Dorothy NolteとStructural Awareness
最初にその空白を埋めようとしたのが、Dorothy Nolteだった。
Dorothy Louise Law Nolte(1924-2005)。ロサンゼルスに生まれ、電気技師の父の一人娘だった。十代のとき病院でボランティアをして、患者の悩みを聞くことが好きだと気づく。それが、後の仕事へ向かうきっかけになったという。
家族カウンセラーとして訓練を受けたが、一つの職業に留まる人ではなかった。親向けの講座を運営し、幼稚園を創設し、出産の指導者になり、そしてロルフィングを広めた。看護と人間関係の分野から来て1950年代後半にロルファーになった、と創成期の記録には書かれている。ロルファーが教育の側へ足を伸ばしたというより、もともと教育の側にいた人がロルフィングを通っていった、と読むほうが近い。
セッションを提供するうちに、クライアントがセッションの後に自分でできることを求めていると気づいた。そこでIda Rolfと緊密に働きながら、Ida Rolfの動きを独立した教育体系へ発展させる。Structural Awarenessと名づけられ、1962年から教えるようになった。
名前にAwarenessという語が入っていることが興味深い。ロルフィングは、身体の構造から身体内部の意識を高めるためにどうしたらいいのか、という視点で筋膜へ働きかける。その思想が、この語の中に入っている。
実際、私がドイツで受けたトレーニングでも、身体をどのようにゆっくり丁寧に動かすのか、頭で考えるのではなく身体で考えるためにどう身体を意識するのか、というところに主眼が置かれていた。60年前の名づけが、そのまま生きている。
Dorothyの仕事は、彼女のもとで長く学んだRachel Harrisに引き継がれた。Structural Awarenessの効果を評価する研究や、自習教材が作られている。
台所で書かれた詩
Dorothyにはもう一つの顔がある。
1954年、南カリフォルニアの週刊紙の家庭欄の締め切りに追われ、台所で一編の詩を書いた。子どもは自分が生きているものを学ぶ、という主旨のものである。送って、それきり忘れていたという。その詩は35を超える言語に翻訳された。
1998年、この詩をもとにした本を出す。共著者はRachel Harrisだった。Structural Awarenessを引き継いだのと同じ人である。
動きの側の最初の枝にいたのは、十代で患者の話を聞くのが好きだと気づき、台所で子どもの育ち方についての言葉を書いた人だった。
エサレン研究所(Esalen Institute)へ
1965年、Dorothyはエサレン研究所で、ゲシュタルト療法のFrederick (Fritz) Perls(1897-1970)のセミナーを受ける(「エサレン研究所(1)〜心理学とボディワーク」参照)。
そこで、心臓に問題を抱えていたPerlsにロルフィングのセッションを提供した。感銘を受けたPerlsが、創始者であるIdaをエサレンに招く。
Idaがエサレンで教えるようになったことで、ロルフィングは米国全土に広がっていった。エサレンという場そのものの性格については、Jeffrey J. Kripal の Esalen: America and the Religion of No Religion に詳しい。
もう一人、招かれた人
Ida Rolfがエサレンに招いた人は、もう一人いる。Moshe Feldenkraisである。
二人は対立せず、互いのワークを受けていた。ロルファーのSharon Wheelerから直接伺った話である(「Bone Work – Sharon Wheeler(3)〜3日目まで:Sharonの話(1)」)。
ERAのRolf Movementにも、二人の関係について同様の説明をしている。
Ida RolfとFeldenkraisは互いを知り、評価し合っていた。二人は自分たちのアプローチ、つまりIda RolfのStructural IntegrationとFeldenkraisのFunctional Integrationについて議論を交わしていた、と。
1976年にFeldenkraisがIda Rolfに宛てた手紙も引かれている。人間の場合、構造と機能はどちらか一方だけでは意味をなさない、だからあなたが構造を統合するとき、あなたは機能を改善しているのだ、と。
そしてERAは、Rolf Movementの成り立ちについてこう書いている。Ida Rolfは、三次元の筋膜のネットワークを考慮に入れて身体をどう使えるかを問うた。自然に直立し、重力に支えられることが目標だった。Moshe Feldenkraisおよび当時の多くの動きの研究者との交流が、彼女のRolf Movementのアプローチの発展に影響を与えた、と。
動きの側から身体を扱う仕事が、この時期に一つの場に集まっていたことになる。Rolf Movementは、ロルフィングの内側だけで育ったものではない。
Judith Aston
次に来るのがJudith Astonである。
ダンサーであり教師であり、ゲシュタルト療法のムーブメント・ファシリテーターでもあった。1960年代後半にロルファーになる。
Gael Rosewoodによれば、Judithが小柄でダンサーだったため、Ida RolfはDorothyに彼女の指導を頼んだ。当時JudithとGaelは子どもへの施術だけを学ぶ訓練を受けていて、二人で別室に移ってDorothyから指導を受けたという。Ida Rolfは、観察されている動きのパターンをJudithが真似る能力を愛していた。
Judithの前にDorothyがいた。この順序は押さえておきたい。
1971年、JudithはIda Rolfから動きの仕事を発展させるよう頼まれ、最初のムーブメント・トレーニングを行う。同じ年の末から、Patternerと呼ばれる教師の養成をはじめている。このときの体系の名前は、Rolf/Aston Structural Patterningである。Rolf Movementという名前は、まだない。
定義された言葉がなかった
創成期についてGaelはこう述べている。動きの仕事は、定義された用語と言語の不足に苦しんでいた。だから人々は実験した。初期の開拓者たちはそれぞれ深い経験を持ち、何を呼び起こすべきかについてそれぞれの解釈を持っていた。
そのうえ、IdaとJudithは、正常を妨げる主たるものが何かについて傾きが違った。Idaは過剰な腰椎前彎を問題として指摘し、水平と垂直の格子に対して中心線が保たれることを求めた。Judithは、重力と戦うのではなく利用すれば人はもっと少ない努力で済むと見て、螺旋と弧を通じて面を移行するときの優雅さと楽さを語った。
Kevin Frankは、この二人の描写を、象を触る二人の盲人にたとえている。どちらも正しく、どちらも全体を見ていないのかもしれない、と。
正常な機能を記述することは、ずっと捉えがたいままだった。
分かれ道
Judithは、ロルフィングのトレーニングの導入部で、Idaの姿勢の型よりも機能の楽さに注意を向けるようになっていく。そのほうが役に立つと考えて、間接的な筋膜のテクニックも教えはじめた。ロルフィングの講師が違うことを言うので、生徒が混乱した。
教授陣がJudithに方針に従うよう求め、Judithは出ていった。一度の会議で決着したという。Heather Starsongは、1976年のトレーニングの後にJudithが激怒していたことを覚えている、と述べている。長い時間をかけて積み上がっていた。二人とも強い個性の持ち主だった。
1977年、JudithはRolf Instituteを辞め、自分の仕事をAston-Patterningと改名する。訓練を受けた人たちは、彼女についていくか、彼女を教師として失うかを選ぶことになった。
Heatherは、この分裂がGuildの分裂と同じくらい大きかった、と述べている。この評価は後の章で効いてくる。
1978年から1980年へ
Rolfing Movement Integrationという名前と形が生まれるのは1978年である。
元PatternerのGael SwitzerとHeather Wingが、ロルフィングの教師であるPeter MelchiorとEmmett Hutchinsと組んで、生徒向けの動きの課程を作った。その秋、さらに5人の元Patternerが加わり、それぞれの方法から何を残すかを持ち寄っている。
同じ年、Heatherの自宅のスタジオにAston Patternerたちが集まり、何を発展させるべきかを話し合った。飛行機代を全員で出し合ったという。Gaelはこう述べている。原理は何か、目標は何か、どう教えるのか。そういう議論があった。Judithの教えの中に暗黙のうちに含まれていたものを、共有し組織化していく、興奮と充実の時期だった、と。
1979年、HeatherとMegan Jamesが最初のトレーニングを行う。同年6月にMovement Committeeが作られ、1980年1月1日、9名のムーブメント教師がRolf Instituteの会員として認められた。その後1年でさらに9名が加わっている。
1982年の7原則
Heatherが1982年にまとめた文章の脚注に、Rolf Movement Integrationの7つの基本原則が挙がっている。
Core、Dynamic Balance、Support、Responsiveness、Lengthening、Integrity of Movement、Harmony with Gravity。
ここで注意していただきたい。これはロルフィングの5原則とは別のものである。ロルフィングの5原則はSupport、Adaptability、Palintonicity、Closure、Wholismで、1989年の分裂の後にJeff MaitlandとJan Sultanを中心に整備されたものだ。1982年の7原則は、当時のRolf Movement Integrationに固有の一覧として読む必要がある。
Supportが両方に入っていることと、ResponsivenessとAdaptabilityが近いことで、混ざりやすい。
同じ時期に組織の輪郭も固まる
1978年の夏、Ida RolfはRolfingとRolferという語をRolf Instituteに譲渡している。亡くなる数か月前だった。1979年、米国特許商標庁がROLFINGの語の独占的なサービスマーク権をRolf Instituteに認めた。同じ年、Ida Rolfは世を去る。
動きの側が形を持ちはじめた時期と、組織が名前を確定させた時期が重なっている。
分裂は始まりからあった
ここまで書いてきて分かるのは、この分野が最初から荒れていたということである。
Judithが離れた後も、彼女のもとで学び続けたグループがあった。手技を含むように広がっていくJudithの仕事を学び続けた人たちで、Rolf Instituteに対して、本当の仕事を持っているのは自分たちだ、と主張した。教授陣の返答は、君たちで解決しなさい、というものだったという。
二つのグループの会合が何度も持たれ、共同で教えることも試みられた。極めて政治的で居心地の悪いものだった、とGaelは述べている。Heatherの言い方はもっと強い。壊滅的だった、所有権と力をめぐる争いがあった、と。
心理的な側面という問題
もう一つ、難しい問題があった。
パターンの中にある感情の表出を、どこまで動きの仕事に持ち込むか。感情的な原因を探っているように見えたとき、この仕事はかなりの人にとって気味の悪いものになった。洞察と稚拙な療法の境界が難しいので、この難問はトレーニングの中では落とされることが多い、とGaelは述べている。
そこにHubert Godardが、療法に寄りかからずに、失われた知覚の回路への気づきを持ち込む道を見つけた。Kevin Frankによれば、Godardは重力への方向づけという考えを人間の方向づけの過程の基礎に据えた。
心理的な安全は、生物学的な水準で、重力への応答と方向づけに織り込まれている。この整理は、Ida Rolfに、重力についてのメッセージと心理についてのメッセージを同時に更新する機会を、没後に与えるものだった、と。
性別のこと
Ida RolfはJudithを高く評価しながら、彼女が自分の仕事をこの分野に持ち込むことは認めなかった。加えて、性別の問題があった。始まりの時期、ムーブメントの教師はほぼ全員が女性で、ロルフィングの教師はほぼ全員が男性だった、とHeatherは述べている。
GuildとRISIへの分裂
1989年、Rolf Instituteが二つに分かれる。
この分裂を理解するには、名前の来歴を先に見たほうがいい。
1967年、Ida Rolfは自分の教えをGuild for Structural Integrationとして法人化している。Rolf Instituteが設立されるのは、その4年後の1971年である。つまりGuildのほうが先にあった名前だった。
1989年、Peter Melchior、Emmett Hutchins、Neal Powers、Stacey Mills、David Davisが、この名前のもとにGuild for Structural Integrationを再設立する。一方のRolf Instituteは、Jan Sultan、Michael Salveson、Jeffrey Maitlandらによって続いた。
PeterとEmmettは、Ida Rolfが自分の仕事を教えるために自ら選んだ2人である。1989年のそれは、新しい組織の設立というより、最初の名前のもとへ戻る側と、Instituteの名前で進む側に分かれた出来事だった、と読める。
なお、この年については資料によって揺れがあり、1990年、1991年とする記述もある。離脱と法人化と教育活動の開始が別の年だった可能性もあるが、ここでは系譜図に明記されている1989年を採る。
手技の側で何が分かれたのか、つまり手順の決まった形から原則に基づく形への移行については、アドバンスト・トレーニングの総括に書いた(「Advanced Rolferの認定までの歩みについて【総括】〜認定までの道のり」参照)。ここでは動きの側への影響を見る。
課程の形が分かれた
Ida Rolfは、ロルフィングを教えはじめた当初から、カリキュラムを2つの段階に分けていた。
Auditing。観察者の段階である。どのように観察するのかを教える段階で、施術は一切行わない。何を観察するのが大事なのかを身につけるまで、それが続く。そして Practitioner。準備が整うと、施術者の段階に移る(「Seeingと知覚すること(1)〜概念を持つと、見えるようになる」参照)。
分裂の後、Rolf Institute側ではカリキュラムの見直しが行われた。Phase 1にPractitionerの段階が入り、それと同時に、Hubert GodardのTonic Functionの考え方が入ってくる。Guild側は、2段階のままだった。
この違いは、いまも確かめられる。ボルダーのGuildは2023年に教えるのをやめたが、系譜を引き継いだ米国のAmerican Guild for Structural Integrationの課程一覧には、Basic Auditing Class、Basic Practitioning Phaseという名前が並んでいる。
ヨーロッパでも、Aleš Urbanczikが2011年に設立したEuropean Guild for Structural Integrationが同じ系譜を引き継いでいる。
私自身、この2段階の課程を受けた人に教わっている。Rolf MovementのPart 1を担当したPierpaola Volpones先生は、80年代にミュンヘンで受講した方で、当時の課程はAudit 9週間とPractitioner 9週間の2段階だった。テキストも写真も手技の練習もなく、ただセッションを観察する形だったという。
Ida Rolfの2段階が、80年代のミュンヘンに残り、分裂の後にInstitute側だけが3段階になった。現在のLevel制は、その先にある。
1990年代に理論が入る
Rolf Institute側では、Idaの没後、最新の知見が授業に入るようになっていく。ドイツのウルムで研究している筋膜の第一人者Robert Schleipの知識などがそうだ。
そのSchleipは、認定アドバンスト・ロルファーであると同時に、Rolf Movement Instructorでもある。科学の側からの知見と動きの側の理論が、一人の人物の中でも重なっている。
1990年代には、身体に心理的な要素が理論として入ってくる。Hubert GodardのTonic Function、Peter LevineのSomatic Experiencing。これはRolf Movementのカリキュラムに大きな影響を与え、どのように身体を意識して動きを行うのかが明確になっていく(「Rolf Movement Practitionerの認定をどう取るか〜30日間の要件と、受ける場所の選び方」参照)。
なお、この分裂については別の説明も聞いている。ロルファーのSharon Wheelerからは、分裂は政治的な要因によるもので、カリキュラムに差はなく、Maitlandの哲学の導入は差別化のためだった、という話を伺った。2段階から3段階への変更も同様だ、と。どちらが正しいかを判定する材料は持っていない。両方聞いておいたことに意味があったと思っている。
世界へ広がる
Gaelの教え子には、Hubert Godard、Pedro Prado、Monica Caspari、Carol Agneessensがいる(「Mentoring Session(4)〜パリでの体験:基礎を大事にすること」参照)。
1991年、GaelとHeatherがブラジルで動きのトレーニングを共同で教えた。ブラジルで最初のものだった。その受講生の中に、Lael KeenとMonica Caspariがいる。
Heatherは1994年に教授陣を退任し、Vivian JayeとJan Harringtonが引き継いだ。Gaelはブラジルのトレーニングの後、歩行に強い関心を持つようになり、歩行に現れる機能のパターンとそれが構造にどう影響するかを見続けている。
ヨーロッパではHubert Godardが、ブラジルではPedro PradoとMonica Caspariが、それぞれ独自にRolf Movementを発展させていく。
Monica Caspari(1953-2019)は、構造と動きという二つの相補的な側面を一つの体系として扱うdual certificationの課程を設計した人である。人は誰もが空間と重力との関係で組織されるが、その関係の経験の仕方は個々に固有であり文化の影響も受ける、と考え、文化差を尊重することが不可欠だとした。
ブラジル、ドイツ、日本、オーストラリア、南アフリカ、アルゼンチン、米国各地で教えている。
四つのライセンシー
現在、Dr. Ida Rolf Institute(1971年ボルダーで設立、現在はコロラド州ラファイエット)は、四つの公式ライセンシーを持つ。それぞれが米国の訓練と互換性のある訓練を独自に提供している。
ドイツ・ミュンヘンのEuropean Rolfing Association、ブラジル・サンパウロのAssociação Brasileira de Rolfistas、日本・東京の日本ロルフィング協会、カナダ・アルバータ州エドモントンのRolfing Association of Canada。
私がヨーロッパで積んだ単位が日本でも通用するのは、この仕組みによる。
日本からも、外へ出ている。田畑浩良さんはCertified Advanced RolferでありRolf Movement Instructorだが、2012年の時点で米国で教えており、2023年と2024年にはERAのRolf Movement認定ワークショップで、肚(Hara)と間合いを教えている。米国で育った考えがヨーロッパに入り、日本で育った考えがヨーロッパで教えられる。往復している。
いまも続いていること
最後に、この歴史が終わっていないことについて書いておきたい。
Gaelはこう述べている。全体を見渡すと、私たちは操作か教育かという問いに苦しんできた。機能と教育の側を求める生徒と、手技による操作は学びたいが動きは学びたくない生徒のあいだの分裂は、いまも残っている、と。
Heatherにも懸念がある。自分はいまもPhase 1の生徒と関わっているが、ムーブメント・セッションを受けたという生徒が、その内容は教育的というより手技的な構造の仕事だった、と言うことがある。それが気になっている、と。
Gaelはさらに、Godardが持ち込んだものについて、より具体的な言語を持ち科学的な裏づけがある刺激的な側面だったと評価しながら、その貢献が従来のムーブメントの課程とどれだけうまく統合されたのかは自分には分からない、とも述べている。
Kevin Frankの見方はもう少し楽観的で、仕事のいくつかの段階は実際に統合されつつあるかもしれない、少なくとも一部のムーブメント講師についてはそう見える、と応じている。
使命と、四人に一人
数字の側から見ると、この分裂はまだ残っている。
Dr. Ida Rolf Instituteの使命は、Rolfing Structural IntegrationとRolf Movement Integrationという、人間の構造と機能を最適化するための独自の方法を前進させるために、質の高い教育を提供し研究を促進することだ、とされている。二つが並列で置かれている。
ところが、European Rolfing Associationの教育案内によれば、ERA内でRolf Movementの追加認定を受けているのは、全ロルファーの約25%である。
組織の使命では二つで一組とされているものが、実際には四人に一人しか取っていない。Gaelが語った分裂は、この数字の中にある。
言語はいまも途上にある
冒頭に置いたKevin Frankの読みに戻りたい。新しい言語と、正常についての新しい指標が必要だった。これはいまも途上にある。彼はそう書いていた。
面白いのは、Hubert Godard自身が、まったく同じところから出発していることである。自分を形づくったのはダンスを教えたことだった、と彼は語っている。同じ課題でも、どう話すかによって人の踊り方が変わる。なぜそうなるのかを理解しようとして、重力への応答を動きの中心に置く探求に入った。
Tonic Functionという理論の出発点は、言葉の渡し方の観察だった。
Ida Rolfが持っていなかったのは言語だった。Dorothy Nolteは名前にAwarenessを入れた。Judith Astonのもとで人々が実験したのは、定義された用語がなかったからだった。Godardが理論を作った起点も、言葉が動きを変えるという観察だった。そして私がヨーロッパで受けたトレーニングで、Rita Geirola先生が繰り返し問うていたのは、誰に向けて教えるのか、そのときどの言葉を選ぶのか、ということだった。
100年近く、同じ問題のまわりを回っている。
参考文献・リンク
- Kevin Frank「Rolf Movement® Integration: An Historical Overview through an Interview with Heather (Wing) Starsong and Gael (Ohlgren) Rosewood」Structural Integration, June 2012
- Heather Wing「Evolution of Rolf Movement® Integration」1982(上記記事に併載。初出は The Bulletin of Structural Integration, Spring/Summer 1982, Vol. A, No. 1)
- Caryn McHose「Interview with Hubert Godard: Phenomenological Space」Contact Quarterly, Summer/Fall 2006
- Pedro Prado and Heidi Massa「Remembering Monica Caspari」Structure, Function, Integration: Journal of the Dr. Ida Rolf Institute, Vol. 48, No. 1, March 2020
- Dr. Ida Rolf Institute「About the Institute」(rolf.org)
- European Rolfing Association「Rolf Movement™ Training」(rolfing.org)
- European Rolfing Association「Rolf Movement™」(rolfing.org)
- Lea Kabirschke「Why not Osteopathy, Feldenkrais or Physiotherapy?」European Rolfing Association ブログ(rolfing.org)
- Dr. Ida Rolf Institute® Europe「Education Overview」(2025年9月版、rolfing.org)
- European Guild for Structural Integration「Structural Integration and its many names」(rolfguild.eu)
- American Guild for Structural Integration(rolfguildusa.org)
- Jeffrey J. Kripal Esalen: America and the Religion of No Religion
- Eric Jacobson「Structural Integration: Origins and Development」Journal of Alternative and Complementary Medicine, 17(9), September 2011
- Mark Singleton Yoga Body: The Origins of Modern Posture Practice
- Christopher Reed「Dorothy Nolte」(追悼記事)The Guardian, 5 January 2006
ロルフィングの学びについて書いた記事
- ロルファーになるには何が必要か──資格・認定団体・トレーニングの全体像をロルファーが解説
- ヨーロッパのロルファーとしての認定までの歩みについて〜ヨーロッパ・ロルフィング協会・認定トレーニング
- ロルファー認定後の継続トレーニング〜アドバンスト・ロルファーへ向けた18単位の枠組みと講師の地図
- 継続トレーニングをどう選ぶか〜講座を選ぶときに見ている4つの基準
- Rolf Movement Practitionerの認定をどう取るか〜30日間の要件と、受ける場所の選び方
- ヨーロッパのRolf Movement Practitionerまでの歩みについて〜認定までの道のり
- Advanced Rolferの認定までの歩みについて【総括】〜認定までの道のり
